PHASE8 心瀬開の日記~血みどろの家族ドライブ~

2024年12月16日



 昨日、僕は……

 舞奈と舞音に、酷いことをしてしまった。



 事の発端はやっぱり、ここ最近の僕の忙しさに尽きる。

 僕は会社に泊まり込むことも多くなり、在宅勤務も少なくなってしまった。この前舞奈があれだけ心配してくれたばかりなのに。

 だからせめてクリスマスと年末ぐらいは、舞奈と舞音にサービスしよう。そう思っていたのに……



 昨日はとても珍しく、舞奈が外に出てもいいかもと言い出した。たまたま僕が「久しぶりにドライブでも行きたいな」と言ったのがきっかけだ。

 ちょっと嬉しいことがあって気分が晴れたから、というのが理由らしい。

 ずっとパソコンの中にいた舞音も、この前コノハナ研究所でアプデしてもらって、舞奈のスマホに移動できるようになった。つまり舞音が入ったスマホを持てば、舞奈はいつでも舞音と一緒にいられるんだ。

 だからこれを機会に、積極的に舞音に外を見せるのもいいだろうと――

 僕も舞奈も、そう思っていた。



 家族でドライブ。CMではよく見かけるものの、我が家ではなかなか実現しなかった光景。

 いや、不可能ではなかった。正月に舞音をパソコンごと車に乗せて、実家に連れていったこともあったんだから。でも、色々と面倒を伴ったのは確かだ。

 二人ではあっても、「三人」では難しかった光景。

 それがやっとできる――

 それもあってか、僕自身も相当浮かれていたかも知れない。


 出かけたのは、ちょっと遠方のショッピングセンター。

 アウトレットが有名で構内も広く自然豊かで、ショッピングや食事に映画は勿論、散歩だけでも楽しめる場所だ。

 僕自身も仕事ばかりだったので、ドライブは久しぶりだ。

 しかも舞音はカーナビの代わりもやってくれる。ちょっと前からカーナビアプリから地図や道路事情などなどを学習していたらしく、とても優秀な道案内をしてくれた。



 だけど僕は、状況を忘れていた。

 ここ最近の鉄道トラブルの影響で、道路の渋滞が常に酷いことになってるのを。

 数か月前なら土日でもそこまで混まなかった高速道路も、今やどこも有料の超低速道路と化している。

 喜び勇んで出かけた舞奈と僕だったが、すぐ大渋滞に巻き込まれた。

 さすがの舞音のナビでも、これはどうにもならなかったらしい。



 しかもそのショッピングセンター付近のコンサートホールでは大人気バンドのライブまであったらしく、それも運が悪かった。高速に入って数分で僕らの車は、岩の如く動かなくなってしまった。

 最初こそ「渋滞自体、見るの久しぶりだなぁ」などと興味津々でその車列を眺めていた舞奈も、1時間もするとスマホで舞音としか話をしなくなり。


 さらにもう数十分すると、舞奈は腹痛を訴えはじめた。

 久々のドライブだし、なるべくこまめにパーキングエリアやコンビニに寄ってトイレには行っていた。しかしこの日は運悪く生理と重なってしまったのもあって、彼女は朝からずっと顔色が悪かった……

 出発直後はそこそこ元気にふるまっていたのもあってか、僕はそこに気づかなかった。


 そして渋滞に巻き込まれ、ろくにトイレにも行けず、助手席でうずくまっているしかなかった舞奈。

 後席に移動して横になるにも狭い車内ではそれもままならず、場所が高速では迂闊に外に出るわけにもいかない。覗かれかねないのでナプキンを替えることも出来ない。

 生理時の痛み止めを飲んでもいたようだが、それすらろくに効かなかったらしい。

 なかなか動かない車列に僕もイライラしていたが、舞奈の苦痛はそんなものではなかっただろう。



 3時間ぐらいかけて、ようやくパーキングエリアに到着した時――

 舞奈の座っていた助手席は、真っ赤に染まっていた。

 勿論スカートもずぶ濡れで、最早使い物になりそうにない。舞奈のお気に入りのフレアスカートで、僕も結構好きだったのに……



 舞奈の生理はいつも、かなり重い上に周期も短い。

 学生時代から子宮筋腫を患っており、しかも手術をしてもまた数年後に筋腫が出来てしまうような状態だったらしい。小さいものではあるが、今も筋腫は存在している。

 だから他の女性たちよりも生理が辛く、その辛さを話してもあまり理解されないと時々文句を言っていた。

 一番大きいナプキンを使っても、夜は当たり前にシーツが汚れる。

 実際、敷布団や下着が血に染まっていたのを何度も見たことがある。舞奈はそのたびに僕から隠そうとしていたけど、見えてしまうから仕方がない。

 トイレでもしょっちゅう、丁寧に血を拭かなければいけないらしい。たまに外出先で和式のトイレに入らざるをえない時は、どんなに気をつけても床にまで飛び散るから大変だそうだ。

 薄い色のスカートなんかは勿論履けないし、下腹部を過剰に圧迫するようなズボンやストッキングも履けないから、着られるものも限られる。

 しかもそんな大量出血が、舞奈の場合1か月と間を置かずに来る……

 だから彼女が引きこもる前は、旅行のスケジュールを立てるのも大変だった。特に温泉が絡んだ場合は。


 さらにそんな酷い生理痛は、当たり前に下痢や吐き気や頭痛も伴う。

 僕も生理痛については概念だけは知っていたが、子宮だけでなく他の臓器にまで影響するなんて思わなかった。

 実態を知ったのは、舞奈と結婚してからだ。本人は、自分の生理痛は普通より酷いからあまり参考にならないかもと言っていたけれど。



 なのに……何故僕は、気づかなかったんだろう。



 何よりショックだったのは、ずっと呻きながら真っ青になり横たわる舞奈の姿、そのものだった。

 朝はそこそこ元気にしていたはずなのに、今は大量の血を流しながら、スマホだけを抱えて微かに息をしているだけ。

 その眼は開いているけれど、どこも見てはいない。いくら僕が謝っても「開くんは悪くない、渋滞が悪い」と言うばかり。

 しまいには

「こんなに人が密集している社会そのものが酷い」

「満員電車もそうだし、この渋滞もそう」

「東京そのものが害悪なんだよ」

「人が密集するしかないシステムになっちゃってるんだよ」

 ……と、うわごとを言い始めた。


 その後は勿論、僕らは目的地に到着することも出来ないまま、帰宅するしかなかった。

 舞奈があんな状態なのに買い物を楽しもうなんて、鬼畜の所業でしかない。



 僕は舞奈と舞音に良かれと思って、ドライブに出かけた。

 なのにそれが舞奈にとって、これほどの苦痛を齎してしまうなんて……

 僕はこの期に及んでも、分かっていなかった。

 女性の痛みというのが、これほどのものだったなんて。

 舞奈のかつての苦痛――流産当時の苦しみと悲しみを、僕は見ていたはずなのに。



 帰りは何とか普通に渋滞を抜け、比較的スムーズに帰宅することが出来た。

 舞音のナビが優秀で本当に助かったし……

 奇跡的に、赤信号にもそこまで引っかからなかったのは本当に幸いだった。後席に横たわっていても、舞奈は信号に引っかかるたびに呻いていたから。



 そして舞奈はそれきり寝込み、今もろくに起きられない。

 スマホだけは手放さず、舞音とおしゃべりは出来ているようだけど……家事が殆ど出来ていない。

 病院――つまり定期的に世話になってる婦人科に行くことも勿論考えたけど、舞奈は拒否した。


「結局いつも通り「様子見です」って言われるだけだよ。

 あそこ、いつもそうだもの。散々時間かけて行って数時間待たされた挙句、結論はいつも同じ。何もしてくれない」


 舞奈によれば、かなり評判のいい婦人科だそうだが……

 電車をいくつも乗り継ぎしないと行けない場所にある上、行ける曜日も平日のみ。

 さらに言えばこのご時世にネット予約不可能で、電話予約しか受け付けていない。しかも電話受付は平日昼間のわずか数時間のみで、それすらなかなか繋がらない。

 とどめに、予約して赴いたところで数時間待たされるのは当たり前ときた。

 そこまで苦労した挙句に診察が数分で終わり、何の改善も見られないのでは、どれほど評判がよかろうと忌避したくなるのは当たり前だ。逆に症状が悪くなってしまうかも知れない。


 スマホを手にしたまま、乾ききった唇から漏れた舞奈の呟きが忘れられない。


「なんで……

 なんでこんなに、生きるのって大変なんだろう?

 仕事するだけでもとてもつらいのに、電車に乗ってもドライブ行っても、病院行くのさえつらいのはなんで?」


 僕は何も答えられなかった。

 満員電車に乗って、朝から晩まで上司に怒鳴られながら働き、少ない休日に出かけたら渋滞に巻き込まれる。地方は過疎で苦しんでいるのに、都会はどこも人でいっぱいで心休まるヒマがない。

 そんな中当然に体調を崩し少しでも評判のいい病院を選ぼうとすると、それさえ理不尽に待たされる。

 しかしそんなことはこの日本に生まれた以上当然で、三食ちゃんと食べて生活していける分、他の国よりずっと恵まれている。幸福だと思えと――

 僕は小さいころからずっとそう教わってきて、疑問を抱いたことがなかった。



 そんな僕はやっぱり、舞奈の理解者にはなりえないのか。

 やっぱり僕は、舞奈にとって加害者、敵でしかないのか。

 舞奈と舞音に良かれと思って僕がやることは、いつも空回りするばかり。

 僕は夫として、舞奈に寄り添わなければいけなかったのに。彼女の痛みに、苦しみに。



 思えば僕はパワハラの実態にも気づかず、舞奈の訴えを聞くだけ聞いて放置していた。

「僕だって誰だって仕事はつらいものなんだから、それぐらい我慢しろ」と――

 口に出してそう言ったことこそないけれど、舞奈の苦痛を「会社にいれば当然のこと」として考えていた部分はあったかも知れない。

 だからこそ状況を軽く考え、仕事を辞めさせようとも思わなかった。

 それが一層彼女を追いつめたと知らずに。


 もう二度と、そんな愚は犯さない――そう思っていたのに。

 僕はまたしても、舞奈を苦しめた。


 今回のドライブだって、完全に僕のわがままに過ぎない。

 舞奈を外へ連れ出すという目的も確かにあったし、彼女が乗り気だったのもあるが、本当は僕自身が息抜きしたかったからだ。

 それが……

 ……



 僕はもう、舞奈と舞音の幸せだけを考えよう。

 僕が自己主張したら本当に、ろくなことがない。

 僕のそんな自分勝手が舞奈を追いつめ、舞音を殺した。

 元々悪いのはザクシャルかも知れない。だけどそんな会社に舞奈を行かせ続けたのは、間違いなく僕なんだ。

 無理にドライブに連れ出して、ここまで酷いことになったのも。



 それでも舞奈の夫でありたいなら。舞音の父でありたいのなら。

 ひたすら舞奈と舞音に尽くし、人生を、魂を捧げる。

 僕に出来る贖罪はそれだけだ。



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