浅川瑞樹の備忘録 3
2024年12月14日
とんでもないことが起きた。
心瀬舞奈の元上司――古島勝が死亡した。
しかも、二度目の聞き取り調査の直後。
朝のニュースを見ていたらいきなり出てきた、見知った人物の名前。職業柄そういう事例はこれまでもなかったわけじゃないが、やはり慣れない。
俺はすぐに警察の知人に連絡し、情報入手にとりかかると同時に――
改めて古島勝のインタビューを再生してみた(関口に言われたとおり、音声ファイルはちゃんとパソコンに保存してある)。
口調こそ礼野美江を必死に庇う理想的な上司のように思える。だが実際に彼と顔を合わせて話をしていると、顔立ちはそこそこ端正なものの終始どこかニヤついており、笑顔でこちらを刺してくるような印象を常に持ち合わせていたような気がする。
特に、礼野を「カワイイところもある」と評した部分。あそこで俺は直感した――
古島と礼野の間の私的な関係を。
少なくとも古島が部下としてだけではなく、個人的な意味でも彼女を評価していたのは間違いない。
妻子がいるにも関わらず礼野に懸想し、不必要なまでに礼野を庇い、彼女から心瀬舞奈へのパワハラは無視した挙句、舞奈を徹底的に追いつめた。
しかも、今度は礼野がいよいよ窮地に立たされ自分の立場も危うくなってきたら、礼野まで見捨てて退職という形でさっさと逃げる。
俺から見たら、古島勝という人間は礼野以上に傲慢かつ狡猾な男だった。さすがは「あの」ザクシャルで長年生き抜き、それなりの役職を手に入れただけのことはある。
それが突然の事故で死亡とは……人生とは分からんもんだ。
しかも状況からして恐らく、家族まで巻き込んで。
そして録音された古島の音声を聞いているうちに、その音声は何故か少々遠くなり。
かわりに酷い雑音と共に、囁くようなおかしな声も混じってきた。
――逃がさない
――これは罰
少女のように可憐にも思えるが、どこか無機質で冷酷な声。
それは次第に大きくなっていく。古島の声をかきけすように。
――おかあさんをいじめたのなら
――わたしをころしたのなら
その音声はしまいには完全に古島の言葉を消し、こう終わっていた。
――どうしても逃げるのなら
――お前のだいじなもの ぜんぶ こわす
ため息と共に、俺は確信した。
これは間違いなく、舞奈の娘『
事務所にかけつけた関口にも、すぐにその音声を聞かせたが……
しかしその時には何故か『舞音』らしき声だけが消失し、やたら浮ついた古島の声しか残っていなかった。しかも『舞音』の声が被った部分までもごっそり消えた。
まぁ、自分の顔に泥を塗った部下なんぞどうでもいいと言わんばかりの、奥方や子供の話ばかりだったからまだいいが……畜生。
それから間もなく、知人から連絡があった。
古島宅は一軒家で、いわゆるオール電化の家だったそうだ。しかもスマホ経由で家のセキュリティは勿論、テレビや炊飯器など複数の家電を外出先からでも操作できるようになっていたらしい。要するに最先端の便利技術を詰め込んだ家でもあったようだ。
会社からでも、風呂をあらかじめ沸かしたりなどの操作が可能だったらしい。
そして――今はまだ捜査中の段階だが、それらのシステムが突如暴走したとの見方が強いようだ。
特に給湯器周辺の損傷が酷く、風呂場がまるで爆撃でも受けたかのような惨状になっていたらしい。さらに、現場検証の結果によれば事故当時古島は入浴中だったという。
その上近所の目撃証言によると、事故直前に「熱い熱い熱い!!」との男性の絶叫が響いており、同時にこんな機械音声が連続で聞こえていたそうだ。
『給湯温度を変更します』『給湯温度を変更します』『給湯温度を変更します』『給湯温度を変更します』『給湯温度を変更します』『給湯温度を変更します』『給湯温度を変更します』『給湯温度を変更します』『給湯温度を変更します』……と。
我が家でも給湯器がぶっ壊れ、そういう音声を連続で出されたことはある。しかし入浴中に突然そうなるとは……
遺体や周辺の損傷度合からして、湯が恐らくマグマ並みの高温になり浴槽や床まで溶けたであろうとの話だ。あまりに酷い状態なので推測でしかないらしいが。
そんなことが起こりうるのか? 何よりも安全第一のはずの家電で?
さらに言えば、給湯器のシステムが壊れた頃に邸内の家電にも影響があった形跡があるという。風呂の異常とほぼ同時に、キッチンでもコンロが火元と思われる火災が発生。時間的に、夕飯を終えてコーヒーでも入れようとしていたというところか。
出火当時はその煙で既に、奥方と息子は意識を失っていたようだ……
料理や庭いじりが好きだった奥方と、就職も決まって前途洋々だったであろう息子。
奥方が丹精こめて育てていただろう花々も、恐らく跡形もなくなってしまった。
何の罪もなかったであろう家族は、せめて苦しまずに逝けたのだろうか。そう願いたい。
これまでの経緯からして古島は舞奈が流産した当時、直接の上司だったはずだ。
つわりに苦しむ舞奈がパワハラされるのをそのまま放置し、彼女の復帰直後も異動などの手段を講じず、パワハラを止めず、舞奈の訴えを無視し、むしろ加害者として加担した。
舞奈にとっては、愛する我が子を殺した一味の首領。舞音にとっては母親を追いつめた上、自分を殺害したも同然の一派のボスである。
彼女らの目線からすれば、殺されて当然の人物だったかも知れない。
――しかし。
とにかく、心瀬開と――出来れば舞奈と直接、会わなければ。
何が起こっているのか確かめなければ。
俺はそう考えたが――このタイミングで開はまたしても多忙になったらしく、電話もメールもなかなか繋がらない。
これはいっそ、直接乗り込んでみるしかないだろう。
俺はすぐ関口に、依頼人・心瀬開のデータを出させた。
これまでの依頼人の住所や電話番号は全てパソコンに保存している。しかも検索ですぐ出てくる。
膨大な紙の資料をいちいち探っていた現役時代を思えば天国だ。
出てきた住所は江戸川区。都心まで出るにはそこそこ便利な最寄り駅ではあるが、駅から少々離れている。徒歩で20分といったところか。
この間のシステム障害からだいぶ経つが、首都圏の鉄道は未だ完全復旧したとは言い難い。
たかがコンピュータがおかしくなった程度で、何をもたついているんだと言いたくなるが
……これも俺のような、昭和の人間の考え方なんだろうな。
ともかく明日はちょっとした遠征だ。電車が動くか分からんから車で行きたいが、鉄道があんなんだから最近は道路もやたら渋滞が多い。小回りがきかないので自転車を使うことさえある。
だがもう、悠長にはしていられない。人が死んでいるんだ。
この前心瀬開と会った時、舞音を「信用してみませんか」などと言ってしまったのが悔やまれた。もっと言えばあの時の俺は、舞音を人間の子として人間的に扱う自分に多少酔っていたのかも知れない。
「舞音」は人間ではない。それは厳然たる事実として捉えなければいけなかったのに。
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