2024年11月8日


 今日、僕は会社へ行けなかった。

 というか首都圏の大勢の人が、恐らく僕と同じ目に遭っただろう。

 今朝の午前4時ごろに発生した、JRを中心とした電源システムトラブル。同時に通信系統にも支障が発生し、結果首都圏のJRがほぼ全て午前中使えなくなってしまった。

 しかもJRだけではなく、私鉄までも同時に。


 勿論ニュースでは大騒ぎ。JRだけで大規模障害が起こるならまだ分かるが、同時に私鉄までもが止まるなんて……こんな事態はありえないと、専門家が口々に喧々囂々の大騒動だ。

 今日僕は、現場にいなきゃ出来ない仕事をするはずだったはずなのに……

 いつも通り駅に行ってみたらどの電車も全く動く気配がなく、詰めかけた大勢の客に駅員が詰め寄られて酷い光景になっていた。

 仕方がないので徒歩で2、3駅ぐらい先まで足を伸ばしたりもしてみたが、どこの駅も状況は全く変わらない。ホームに溢れんばかりの乗客に、いつまでたっても空っぽのレールがあるだけだ。

 ターミナル駅はさらに酷いもので、何本もの電車が発車できずにそのまま線路に留まったままだった。

 電源システムそのものが何らかの理由で落ちたのか、車内の電気すら一切通っておらず、完全に命を失ったかのような車輛。ろくに動かすことも出来ないのか、整備員たちが怒声をあげながらその周囲を汗みどろで駆けずりまわっていた。

 まるで台風が鉄道を直撃した時の如き様相だった。今日は大雨が降っていなかっただけまだ良かったのかも知れないが……


 復旧のめどが立たないままで乗客を乗せるわけにもいかず、やがてホームは閉鎖され。

 駅から追い出されたサラリーマンやOLたちはこぞってタクシー乗り場に押しかけていた。あの行列、多分軽く1キロ以上はあったな。

 僕も何とかタクシーをつかまえようと思ったが、タクシーは全く来る気配がない。そりゃ首都圏中がこのありさまなら当たり前だ。

 需要に対して供給が圧倒的に足りないのもそうだし、鉄道が使えなくなれば当然、人は車を使う。そうなれば首都圏中が渋滞するのは必然。

 僕も一瞬だけ自分の車を使うことも考えたが、途中の幹線道路の超絶渋滞を見て諦めた。あれでは夜中になっても会社に到着できないだろう。


 テレワークが普及し始めた今でも、現場でしか出来ない業務は未だにたくさんある……

 それを実感させられたものだ。



 午前中ずっとそうやって四苦八苦しながら会社に行く手段を探したが、全くどうにもならず。

 その旨を上司に連絡して帰宅させてもらい、テレワークで今日の業務を何とかすることにした。

 というか上司も上司で、自転車使って出社したらしい。電車で片道2時間の距離を。

 僕にはとてもそんなスタミナはない……


 ほうほうのていで帰ってくると、いつも通り舞奈が出迎えてくれた。

「良かった! 開くん帰ってきてくれて!!」と、子供のように抱きついて。

 多分舞奈にしてみれば、昨日の痴漢冤罪事件がとても気になっていたのだろう。僕が電車に乗らずにすんだことが、単純に喜ばしかったのかも知れない。


 舞音もいつも通り、にこにこ笑ってこう言ってくれた。


『良かったね、おとうさん。

 、電車に乗らなくてすむでしょ?』

「いや、それはそうなんだけどね、舞音?

 電車が止まったら、みんなが本当に困るんだよ。おとうさんも困る。

 ニュースでも見たと思うけど、みんな大変な思いをして出社してるんだ」


 僕としてはこう答えるしかない。

 しかしそんな僕の言葉に、舞奈が割り込んできた。


「だったらみんな、会社なんか行かなければいいのに。

 いつもいつも電車をあんなに酷い状況にしてるのは、そもそもザクシャルみたいなクズ企業でしょ?

 どれだけ鉄道会社が時差出勤を奨励したところで、まともに聞く企業なんかありゃしない。全部揃いも揃って9時出社って、今時何考えてんのと言いたくなるよ」

「舞奈。9時出社にはちゃんと理由があるんだ、そもそも市場が開くのが9時だしそれに合わせてそれぞれの企業は取引を始めるから……」

「じゃあ日本以外の企業はどうなの? 海外にだって市場はあるけど、ここまで厳しく9時出社厳守なんてやってる国あるの? フレックス勤務がこれほど浸透してないのって日本ぐらいじゃないの!?」


 海外のことはよく分からないが、ドイツやスイスあたりは厳しそうだ……ぐらいの想像しか僕には出来ない。

 それよりも今は、明日以降をどうするかを考えなきゃ。ずっとテレワークというわけにもいかない……

 とはいえ、幸い今日は金曜日。いくらなんでも、土日を挟めば鉄道は復旧するだろう。

 だが今日の、全くうんともすんとも動かない電車やいつまでたっても空っぽのレールを思い出すと――

 この状況がしばらく続きそうな不安が襲ってきてたまらない。


 そんな心配を口にした僕に、舞奈はこう言ってくれた。


「それでもいいよ。むしろその方がいいよ、開くん。

 昨日のことがなくても、ずっと心配だったんだ。あの満員電車は毎日少しずつ、開くんの寿命を縮めてるんじゃないかって。

 満員電車のストレスって、戦闘機パイロットのそれを超えてるって研究まであるくらいなんだよ? だって戦闘機と違って、自分で状況のコントロールが出来ないんだもの。

 私だってどれほど苦しかったか分からない。ちょっとしたトラブルでドアが開かないまま何分も人に押しつぶされながら、お腹が痛いのこらえていたあの苦痛は……

 もう二度と味わいたくないよ」


 その気持ちは僕にも分かる。僕だってあの地獄のような電車がつらいのは確かだが、それでもどうしたって行かなきゃならない時はある。家にいながら出来る仕事があるのと同じように、現場にいなきゃ出来ない仕事だってあるんだ。

 極端な例をあげれば、心臓の緊急手術をテレワークでやろうったって絶対無理なように。



 そんな僕と舞奈を、きょとんとした顔で交互に眺めていた舞音の表情はいつもどおりの可愛さだったが……

 その大きな栗色の瞳の奥に、何やら小さな青い光が大量にせわしなく走っているのを見て、僕は思わずまじまじと彼女を見据えてしまった。



 よく見たらその光はただ単にテレビの光の反射に過ぎなかったのだが、一瞬背筋がぞわりとしたのは間違いない。

 我が子は人間じゃない。それを改めて思い知らされた気がして。



 考えてみれば舞音はAIだ。最初から機械として生まれた子供だ。

 人間に模されて、人間の少女と同じように笑い、泣き、おしゃべりしてはいるが、AIだ。

 ……でも、それでも、舞奈と僕の子供だ。

 舞奈と一緒に、僕が守らなきゃいけない子なんだ。



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