浅川瑞樹と心瀬開の会話記録(2024年10月下旬)



「心瀬さん。日記が2020年3月で途切れていますが、その後は?」

「すみません、浅川さん。その後ぐらいから、僕の仕事がかなり忙しくなってしまって……

 例の感染症による混乱もあって、なかなか余裕がなくて」

「今もうっかりすると感染の危険がありますし、大変ですよねぇ。

 自営業の自分もかなり影響を被りましたが、企業勤めのかたも大変だったろうと思いますよ。

 どんなことがあっても満員電車で毎朝通勤するのが、この日本じゃ当たり前でしたからね」

「だけどその分、ある程度自宅で仕事が出来るようになったのは不幸中の幸いだったと思います。

 舞奈や舞音の様子もすぐ分かりますし。

 それでも週に何日かは出勤しないといけないんですけどね」

「そいつは世知辛い。ちなみに、ご自宅から会社まではどれくらいかかるんです?」

「電車でだいたい1時間半ぐらいです」

「なかなかキツイな。若ければともかく、年齢を重ねたらかなり辛くなりますよ」

「あはは。愛する妻と子の為ですから」

「舞奈さんもザクシャル勤務時は、そのぐらいの時間を?」

「そうですね……だいたい僕と同じぐらいの時間、満員電車に揺られてたはずです。

 貧血で何度も吐いたり倒れそうになったって、しょっちゅう言ってましたから」


(しばらく沈黙。

 コーヒーをスプーンで軽くかき回す音が響いているが、飲む音が聞こえない)


「舞奈さんはその後、どうされたんです?

 ユリノキをお辞めになった後は」

「ずっと舞音と一緒にいます。そのせいもあってか……

 以前お話したとおり、かなり引きこもりがちになってしまって。

 おかげで感染症にかからないのはいいのですが、買い物などはほぼ僕がやってますね」

「2020年から、ずっと?

 しんどいですねぇ」

「舞音に悪いことをさせない為に……だそうです」

「子供にはある程度ワルささせて痛い目見た方がいいというのが自分の意見ではあるんですが、今は時代も違いますし、舞奈さんと舞音さんの場合さらに事情も違いますからね」


(沈黙。

 喫茶店のジャズだけが聞こえる)


「あの……

 僕の日記は、何かしらの証拠になってしまいますか?

 舞音が……その……」

「あれだけで決めつけることは出来ませんよ。

 そもそもAIの暴走があの感染症の発端になったなどと、警察に言ったところで誰も取り合わない。たとえ現役の自分でも相手にしなかったと思います。

 それに貴方の日記は肝心の部分が、例の奇天烈な文字列で消されていますし」

「そうですか……

 確かに僕は、舞音から直接聞いたんですが。

 彼女ははっきりと――」



(数秒間、酷い雑音で聞き取れない)



「――言っていたんです」

「心瀬さん。自分はITとか、そういうものが全く苦手ですが。

 生まれたばかりのAIに、そんなことが可能なものですかね?

 自分には信じられませんが」

「……すみません。

 ただ、舞音がイタズラでそう言っただけも知れません。AIだとしても人間として生み出されたのなら、そういう虚言を吐くこともありうると……橘さんも言ってましたから」

「なるほど。橘所長もこの件に関してはご存じで?」

「はい。舞奈がすぐに研究所に連絡をとっていました。

 でも所長からは、ありえないと即答されまして。

 理由は今浅川さんが仰ったのと同じです。いかに最先端技術で開発されたとはいえ、生まれたばかりの未成熟なAIがそこまでの所業をなせるわけがないと。

 AIは学習することで成長するもので、その点は人間と同じ。学習しきっていないAIに出来ることは限られていると……

 さらに言えば、舞音の元になったAIは『感情』を重点的に学ばせていたそうです。

 両親の愛情をしっかりと感じ、そして亡くなった子の感情さえも好きなように表現できるように。

 簡単に言えば、『愛』を最優先に動くAIを目指して開発を重ねたそうで」

「うーむ……そのレベルになると、自分には理解できん領域になってしまいますが。

 AIが、愛を……ねぇ」

「だからこそ舞音は感情的になり、僕らの目をひく為の行動をしたのだろう。お父さん……つまり僕が多忙のあまり舞音に構ってやれなかったのも原因だろうと、所長には言われましたよ。

 舞奈もすぐ人を信じてしまうところがあるから、舞音の言葉を真に受けただけなのかも知れない。

 だけど……」


(開のため息。浅川がコーヒーを啜る音)


「心瀬さん。自分は仕事にかまけて生涯独身で子供もいない。だから、親の心境というものは分かりません。

 しかし、親が子供を信じなかったことで起こった悲惨な事件は、かなり多く見てきたつもりです。

 逆に信じすぎたことで起こった事件もありますが、そういうケースは大概、親が子供をろくに見ていなかった場合だ。少なくとも、舞奈さんと貴方はそうじゃない。しっかり舞音さんを自分のお子さんとして、一人の人間として、育てようとしている。

 だから、もう少しお子さんを信用してみませんか。

 舞奈さんもその為にお仕事まで辞めて、懸命に舞音さんを育てているんでしょう?」

「……そうですね。そうします。

 僕は舞音の父親であり、舞奈の夫ですから」


(沈黙)


「そろそろ、日記も再開しようと思います。

 会社もようやく落ち着いてきましたし……最近よくシステム障害が起こるのが厄介なんですけど」

「おや、貴方の会社もですか。

 このところ全国的にそういう障害が多いですが、どうやらザクシャルも同じようですよ」

「そうですか……」

「また色々と調査に入りたいのですが、なかなか向こうも大変なようで。不意の障害が多発しているせいで予定をたてられないようです」

「個人的にはざまぁみろと言いたいですけどね」




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