シュガーホリック
石田空
自分の恋は恥ずかしい
砂糖症候群。通称:シュガーホリック。
最初に感染者第一号が運び込まれたのは深夜の救命病棟だったという。
「すみません、娘がいきなり溶けはじめたんですけど!?」
外科的治療がわからず、ただ溶けてしまった彼女の遺体……溶けてしまったため、墓に入れることができるほどカケラが残らなかった……を検査して驚いたのは、彼女の体の成分は生物のものではなく、砂糖になっていたことだった。
それから砂糖症候群患者は救急病棟に運び込まれてくるようになったが、成分が生物のものから砂糖になったせいか、巨大冷蔵庫に入れておけば実体を保てたものの、治療方法が確立されなかった。
ただ全員の検査をし、カウンセリングを続けた医師は、ひとつの仮説を立てた。
「全員、恋をしていてこじれてないか」と。
こじれた恋の末に、砂糖の塊になって溶けて消えてしまう。
特に発症する年頃は十代から二十代。たまに三十代もいるが、その三十代のほとんどはこじれているどころか泥沼の愛憎劇になってしまい、裁判を何件も掛け持ちになっているほどまずいものになっているが、とにかく。
自分はこじれた恋をしています、と堂々と触れ込んでいるものだから、砂糖症候群に罹患していることを言いたがる人間はほどいなかった。
誰だってそうだ。
自分はこじれた恋をしていますなんて、公表したくないものだ。
****
自転車で走っていると、焦げた砂糖の匂いがした。
「三軒隣のおおこちゃん、砂糖症候群だったんですって」
「気の毒に」
「家庭教師の先生に恋してたんですってねえ」
「甘酸っぱい思い出で終わるはずだったのに。家庭教師の子も気の毒にね」
「家庭教師の先生はかからなかったんですって」
「まあ……」
ぐじぐじぐじぐじひそひそひそひそ。
人の不幸は蜜の味。叶わぬ恋は罪の味。
その言葉を聞き流しながら、私は自転車を走らせた。
シュガーホリックにかかることは、自分の恋の証明だからと、私の周りではそれにかかることを一種のステータスのように思っている子だっているけれど。
私はそのせいで勝手に傷付いている。
校門を擦り抜け、自転車を押して駐輪場に向かう。その中で、「あ、なぎちゃん」と声をかけられた。近所に住むさとちゃんだ。
彼は今日もジャージ姿だった。陸上部はもうすぐ記録会だから、予鈴の鳴るギリギリになったら練習を切り上げ、本鈴までに急いで着替えて教室に散っている。
さとちゃんは溜息をついた。
「最近また近所で砂糖症候群にかかった人出たんだってね」
「シュガーホリック。なんだかださいよ、砂糖症候群なんて」
「……名前のかっこいいよくないで症状は変わらないと思うけどなあ」
「でも、なんかヤダ」
そう言いながら、私はチラチラとさとちゃんを見た。
高校に入ってからというもの、元々私のほうが身長が高かったのに、今や逆転されてずっと見下ろされている。
陸上部に入って走っている姿がかっこよかったのか、このところ女子にはモテまくっているらしいが、本人だけがわかってない様子だった。さとちゃんは記録更新にだけ興味があり、勝ち負けには全く興味がないストイックさが仇となって、記録会で記録は出せても優勝することはできないでいた。
なんでこのボンクラを私はずっと好きなんだろう。
普通に考えれば、これはこじらせているんだから、いつでもシュガーホリックになってもおかしくないのに。私は一向に砂糖の塊になる気配がなかった。
風呂に入っても溶けない。顔を洗っても抉れない。最近の十代はいきなりシュガーホリックになって全滅したら困るからと、体の洗い方や顔の手入れの仕方まで、注意勧告が流れて、それの通りに洗わないと大惨事が起こる。
教室に入ったら「おはよう!」とよこちゃんに声をかけられて、唖然とした。右耳がなくなっていた。
「よこちゃん、耳」
「遂に私もシュガーホリックにかかっちゃったみたい」
「はあ……」
よこちゃんは元々右耳にピアスがかかっていた。そこが体が砂糖化する際に重みに負けて崩れ落ちてしまったらしい。
「この写真を今、彼に送ったところ。責任取ってくれるかなあ」
「そんな脅迫みたいな」
「だって、私このままだと消えちゃうもん」
よこちゃんの言葉は切実のはずなのに、本人には危機感がまるでない。まるでこの恋が叶わなかったら、この恋と一緒に心中するような心持ちだ。
それを私は馬鹿だなんて言いきれなかった。
自分の恋が叶わないなら、もういっそ死んでしまってもいい。そんなことで死んでしまうなという人の気持ちがわからない。
だって。終わってしまった恋の死骸を抱えて生きるのって、しんどいじゃない。それならそこで終わらせてよと、ついつい思ってしまうんだ。
大人はそれを向こう見ずと言う。
でも私たちはいつかは大人になってしまう。
私たちを私たちたらしめるのは今しかないのに、どうしてそれを馬鹿にできるというの?
****
シュガーホリックの治療法は、医師がいろいろ調べた結果「恋が叶ったら人間に戻る」という結論が出た。どれだけ検査をして研究をしても、それより上の成果が見つからなかったらしい。
だからよこちゃんみたいに脅迫じみた付き合い方をはじめる人だって中にはいる。
私はどうなんだろう。
ぼんやりと夕焼けを見上げながら溜息をついた。
私の気持ちに嘘はないはずなのに。それでも私の体は砂糖にならない。
こじらせているはずなのに。こじれているはずなのに。私が悲しくなって背中を丸めている中。
「なぎちゃん」
さとちゃんから手を振られた。彼は背が高くなっても本当になんにも変わらない。
「なに、さとちゃん」
「俺、なんか砂糖症候群になったんだってさ」
「だからそのダサい呼び方やめて……なんで?」
「ほら」
そう言って彼が髪に触れると、それをポキンと折った。細いそれは、紛れもなく砂糖の塊だった。
私はそれに産毛という産毛が逆立つ気がした。
「やめよう!? 病院に行こう!」
「でも俺、冷蔵庫に入る以外に恋が叶わないと死ぬじゃない」
「そうなんだけど……そうじゃなくって……」
「とりあえずなぎちゃん。俺に消えて欲しくないんだったら付き合おうか」
私は唖然とした。
自分がこじれてないから、全然シュガーホリックにかからないんだといじけていた。でも。この場合どうなるんだ。
私はにこにこ笑うさとちゃんに、とりあえず言った。
「私さとちゃん死んだらちゃんとお墓に入れて弔いたいよ」
「うん、燃えたら跡形もなく消えるのじゃあね。じゃあよろしく」
恋が叶うと、シュガーホリックは完治する。
彼の髪の毛は砂糖の塊のままだったけれど、もう砂糖の塊はどこにもなかった。
<了>
シュガーホリック 石田空 @soraisida
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