【アップ】2024年11月10日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
天川裕司
【アップ】2024年11月10日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
【本日の礼拝メッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=63G5ztHjjAI
【ブログ】
ブログを見て下さると、聖書や讃美歌の歌詞などもご覧になれます。
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12875421811.html
讃美歌68番(歌詞付)54年版「父なるみ神に」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=nthFXVycnzs
1
父なる御神に み栄えあれかし、
よろずを造りて 永久(ときわ)に統(す)べます
上なきみいつと またなきみ恵み、
かしこみたたえよ。
2
み神の独り子 我らの主イエスよ、
おかしし罪とが ことごと赦(ゆる)して、
み前にささぐる せつなる祈りを
うけいれたまえや。
3
慰めぬしなる 聖なるみたまよ、
誘うものより 我らを守りて、
たえざる悩みと つきせぬ憂いに
かたしめたまえや。
讃美歌365「わがしゅいえすよ」【Hymns】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=oofHHziqnMI
1
わが主イエスよ 愛の御手に
身もたまをも ゆだねまつり
禍(まが)に幸(さち)に われ言わまし
主よ みこころ なさせたまえ
2
うれいの雲 胸をとざし
涙の雨 そでにかかり
わがのぞみは 消えゆくとも
主よ みこころ なさせたまえ
3
はかなき世を わたる時も
あまつ家に のぼる日にも
ただみむねに まかせまつらん
主よ みこころ なさせたまえ
アーメン
2024年11月10日 礼拝説教 聖書箇所
「今、もしわたしの声に聞き従い わたしの契約を守るならば あなたたちは鷲の翼に乗せて わたしのもとに連れて来たことを。」
出エジプト記19章5節
しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、
ヘブライ人への手紙12章22節
はじめに
混沌とした時代の中で、主キリストの救いの歴史における恵みの契約の制定を学ぶ
1
「イスラエルの人々(子たち)は、」とは、主なる神自ら、歴史の主であり、御自身の誓いと契約において、救いの約束と希望を与えられた《契約の子たち》。かつてヨセフは、エジプトに来た兄弟たちに、自身の死を前にして、「しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます」(創世記50章24節)と伝えた後にエジプトの地で増え広がった民(創世記17章2節)。神は、先にはアブラム(アブラハム)に伝えた「あなたの子孫は異邦の国で四百年の間奴隷として仕え、苦しめられる」(創世記15章13節)と伝えた。そして、御自身の契約を思い起こされ(出エジプト2章24節)、ご自身の名をモーセに示された(同3章16節)。ついに、主の御業によって、エジプトの苦難の中から脱出(出エジプト)した《契約の子たち》は、「エジプトの国を出て三ヶ月目のその日に、シナイの荒れ野に到着した」。「彼らはレフィディムを出発して、シナイの荒れ野に着き、荒れ野で天幕を張った」。「イスラエルは、そこで、山に向かって宿営した(単数)」。イスラエルは一つの群れとして、ここに、神の契約の制定に備える。
2
「モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて言われた」。モーセは、山ではなく、「神のもとに上がった」。すると「主はその山から彼を呼ばれた」。「ヤコブの家に言い」「イスラエルの子たちに告げなさい」。貧しさと苦難、そして、脱出と導きの歴史を思い起こす。モーセの思いにまさって、神からの言葉と命令は、神の契約の更新を告げる特別な愛と真実の言葉。「あなたたちは見た」「わたしがエジプト人にしたこと」「また、あなたたちを鷲の翼に乗せて」「わたしのもとに連れて来たことを」。地における、出エジプト(脱出)は、先には「あなたは慈しみをもって贖われた民を導き」「御力をもって聖なる住まいに伴われた」(15章13節)と歌われ、後には「いと高き神が国々に嗣業の土地を分け 人の子らを割りふられた」(申命記32章8節)と証しされたとおりに、真の神の力強い御業と御守りと御救いにおいて実現し、御自身の民において証言され、告白される、礼拝的出来事。そして、命と契約の神でいます、「主」は、「今、もしわたしの声に聞き従い」「わたしの契約を守るならば」「あなたたちはすべての民の間にあって」「わたしの宝となる」「世界はすべてわたしのものである」との約束される。「宝」とは、特別な宝であり、高く尊ばれ、傷つけられることから注意深く守られる貴重な所有物(イザヤ43章4節)。民は応えて「わたしは確かに知った」「主は大いなる方」「わたしたちの主は、どの神にもまさって大いなる方」と告白する(詩編135編5節)。「あなたたちは、わたしにとって」「祭司の王国、聖なる国民となる」(ペトロ一2章9節)、「これが、イスラエルの人々(子たち)に語るべき言葉である」。
3
「モーセは戻って、民の長老たちを呼び集め、主が命じられた言葉をすべて彼らの前で語った。民は皆、一斉に答えて、『わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います』と言った」。主の宣言を民が受け入れたこと。わたしたちは、ここに、主の恵みの契約における基礎が据えられたのと見る。「モーセが民の言葉を主に取り次ぐと」。十戒の授与と一つ。
おわりに
わたしたちのささげる礼拝の基礎は、神の御業と新しい契約の仲介者キリストにおける贖いの御業の実現にある。受難と復活、御国の王、栄光の主において、わたしたちは、今日、自ら、契約の民の一人とされた者として、無数の聖徒たちと共に、神の栄光をたたえる。
(Mynote)
二〇二四年一一月一〇日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「使徒信条の第一の箇条には何を含んで居ますか。」
「私達の確信は愛と力に満ちた神様の内に在る事です。」
エジプトの地に下ったイスラエルの人々は溢れる程多くなった。これ以上イスラエルの人々が増えない様に、国を治められる状況にしようと、当時のエジプトの支配者は考えた。そしてイスラエルの人々に大変な仕事(枷)を与えた。その為にイスラエルの人々は苦しんだ。そこでイスラエルの人々は神様に救いを祈った。その声を神様は聴かれた。神様はモーセを遣わし、エジプトの地から出る為の準備をされた。これが『出エジプト記』のあらましに在る。イスラエルの人々は奴隷の地から約束の地へ導かれる為、モーセと共にエジプトを出た。この先はそれ以降の『出エジプト記』に在る全般、又『モーセの十戒』等に在るエピソードの通り。
(公同礼拝)
『出エジプト記』(第一九章一〜八節)
『ヘブライ人への手紙』(第一二章一八〜二四節)
この両箇所は、かの有名なモーセの十戒に繋がる「出エジプト」の時のエピソードが記され、イスラエルの人々が奴隷の地・エジプトから出て、シナイ地方の荒野を通り、約束の地・カナンに神様に依り導かれる迄が明かされる。
この間、イスラエルの人々は様々な苦難に遭う。これはモーセとその兄・アロンにも及んだ苦難であり、このときエジプトを出た全ての人に平等に及んだものである。そしてその間、その苦難の為にイスラエルの人々は幾ら奴隷の地(エジプト)から逃れたと言って、今にも飢えそうで、荒野に野垂れ死にしそうな自分達の境遇を思い知りつつ、モーセに食って掛かった。モーセは元々口下手であり、皆を統率する事に躊躇した過去がある。その時でも神様はモーセを励まし、モーセと共に居られ、多くの人々を導く力を与えた。この時も同じくモーセを教え、その都度人々とモーセに必要なものを与え、救った。しかし人々は心に様々な不安と恐怖、また後悔と迷いとを呼び付け、偶像を造り上げ、神様から(信仰から)離れる者も居た。これはモーセが神様の身許に近付き、あの十戒(十戒が記された石板)を教えられた時の事である。人々はその不安・恐れと苦しみから目に見えるものに縋り付き、神様を離れ、信仰を離れ、その苦難の途中でエジプトに帰りたがる者も居たのである。
これは信仰に生かされる上での、人の弱さの縮図の様である。人々はこの荒野で四十年間彷徨い、やっとの思いで約束の地に入った。四十年と言えば、人の人生のほぼ大半になろうか。それだけの期間を苦難に遭い続けつつ、信仰に於いて気丈に居られる人がどれだけ居るか?即ちこの事は、現代の人々にも同じく言えるのである。
「もしあなた方が誠に私の声に聞き従い、私の契約を守るならば、あなた方は全ての民にまさって、私の宝となるであろう。全地は私の所有だからである。あなた方は私に対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう」(『出エジプト記』第一九章五〜六節)。
この様に在り、神様はそのとき奴隷の地から出た全ての人に対し「私の契約を守るならば、あなた方は全ての民にまさって、私の宝となるであろう」と約束され、「全地は私の所有だからである。あなた方は私に対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう」とこの時に於いて最大の恵みと祝福(励まし)迄を与えた。ここで分かるのは、神様からそれだけを約束されても、見えない・聞こえない・忘れる事により、その神様の愛と恵み、祝福から人は自ら離れると言う事である。人は目に見えて手に触れて、その上で確認出来るものにとかく弱い。「弱い」とはすぐ誘惑されて、その「見えるもの・聞こえるもの・触れるもの」を頼り、信じる事から離れ、この地上での確実を愛する事に在る。無論、これでは信仰が成らない。信仰とは、信じて仰ぐと在る。
イエス様は弟子のトマスに、
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(『ヨハネによる福音書』第二〇章二七節)
と教え、
「あなたは私を見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、幸いである。」(『ヨハネによる福音書』第二〇章二九節)
と更に教えた。
この時のイエス様の言葉がこの時にも通じ、生きて来る様である。無論この「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」とは唯一誠のキリストの真実、それに依る信仰に於いて誠の神様を信じる事を指し、悪魔や人が作り出した邪教を指さない。正しい信仰に依りこの見極めも又大事になる。この時エジプトを出た全ての人々は、信仰を試されたのだ。
苦難に於いてこそ、どれだけ神様を一途に信じる事が出来るか?そして平時から神様をどれだけ一途に信じる事が出来るか?神様から与えられる愛と恵みと祝福とを、知る程に信じる事が出来るか?これを全ての人は、各自が信仰に於いて神様との一対一の関係を知り、問わねば成らない。己の信仰を問う時、他人を見ては成らない。兄弟姉妹でもその場合は他人と知る事が大事に在ろうか。ペテロがヨハネを見て、
「主(しゅ)よ、この人はどうなのですか」(『ヨハネによる福音書』第二一章二一節)
とイエス様に聞いた時、イエス様から、
「たとい、私の来る時まで彼が生き残って居る事を、私が望んだとしても、あなたには何の係りがあるか。あなたは、私に従って来なさい」(『ヨハネによる福音書』第二一章二三節)
と改めて教えられた。この事は又全ての人の信仰に言える事に在り、その信仰生活に於いて常に忘れず、ただ自分は神様に一途に従い、信仰から離れない努めを全うさせられる様に祈る事、このイエス様の教えと信仰の在り方を、常に神様の御前に於いて各自が自分に問わねば成らない。この事は人の自力では成らず、必ず神様の御力と聖霊の働きに依り成る。
モーセは「神のもとに登ると」と在り、ただ山を登ったのではない。その場所に行く事は神様の近くに登った事を指し、この姿が常に神様と自分との信仰に於ける一対一の関係・その姿と内実と捉える事、この事に注目せねば成らない。モーセはこのとき人の群れから離れ、一人で神様の身許へ行ったのである。
聖書に在る事は過去の事に無く、今の事に在る。今この地上に神様に依り生かされる全ての人に直接関わる事であり、人は聖書に登場する凡ゆる人を自分の関係者・また自分と同じ立場に在る人として認め、自分の信仰に於ける今の在り方を知り、常に信仰に依り罪から逃れ救われる様に、神様に祈り求めねば成らない。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw&t=46s
"DEDICATION" 「献身」(2024年09月06日収録/10月04日配信)
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MxKFmcXqI4Y
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
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