第16話

「雪香、出かけるわ」


 玄牙が消え去った後、紅月は雪香を伴って後宮書庫へと向かった。


 紅月が書庫に着くと、白瑛は書物の虫干しをしている最中だった。


「すみません、お見苦しい格好で」


 紅月に気づいた白瑛は口元の布取り、服のほこりを慌ててはたいた。


「いいえ。いきなり来たのは私の方だもの」


「例の件で何かありましたか?」


「実は……」


 紅月は解蠱の方法を試してみたことから、玄牙とのやりとりをすべて白瑛に話した。


「それで……蠱師を探す方法を知りたいと」


「そんな資料はあるかしら」


 紅月が聞くと、白瑛はうーんと難しそうな顔をした。


「蠱術を解くには蠱師の元に行くのが良いという文献なら見ましたが……姿を隠している相手にどうしたらいいのか……」


「そうよね。そんな都合よくいかないわよね」


「普通の相手ならば、金を積めば解いてくれるかもしれません。元々それが目的かも。でも……陛下を呪殺しようという者ですから」


 簡単に見つかる訳がない、ということだろう。


「ねえ白瑛。どんな者がそんな術を使ったんだと思う?」


「それは……恨みがあるからでしょう」


「そうなの……かしら」


 凌雲は皇帝になってからまだ日が浅い。そこまで恨みを買うことなどあるのだろうか。


「玉座は常に血濡れているものですよ」


 紅月が考え込んでいる横で、白瑛はぽつりと呟いた。


「え……?」


「ああ、いえ。陛下は先帝の政を良しとせず、改革を推し進めていると聞きます。都合の悪い者もいるのではないでしょうか」


「そうね……そういう人もいるわよね」


 だが、後宮の中からはその人物にたどり着けるものなのだろうか。結局何もわからぬまま、紅月は宮へと戻った。




***




「凌雲様、良い知らせと悪い知らせとがございます」


「なんだいきなり」


 夜になり、寝所へと訪れた紅月はそう凌雲に告げた。


「では……悪い知らせから」


「はい。いまだ呪殺を企てた術士も、それを指示した者も分かりません。何か手がかりをと思いましたが、何も見つけられず……」


 紅月が報告すると、凌雲はふうとため息をついた。


「それは良い。宮廷の術士のするべきことだ。そなたがそのような危険なことに首をつっこむべきではない」


「しかし……」


「そなたは猫鬼をとめてくれた。それだけで十分だ」


 しかし、それは紅月が玄牙と繋がりを持ち、こちらに縫い止めているに過ぎない。その結び目が切れてしまったら、再びあの妖怪は牙を剥いてこちらに向かってくるだろう。


「いいから。良い知らせとやらも聞かせよ」


 そう言われ、今度は紅月はにっこりと微笑んだ。


「私、自在に猫になることができるようになりました」


「猫……?」


「はい、ご覧ください!」


 紅月は額に手を当て、強く念ずると、みるみるその姿は猫になった。


「にゃん」


「……はは、何をそんなに嬉しそうにしているのだ」


 少し呆れたような顔をして、凌雲は紅月を抱き上げた。


「そなたは変わっておる」


 そう言いながら、凌雲は紅月を膝の上に載せ、背中を撫でた。


「……母上もよくこのように猫を愛でていた。父の訪れを待っては裏切られ……。最後には一人で死んでしまった」


「にゃ⁉」


 撫でられながらうっとりとしていた紅月は驚いて凌雲を見た。


「知らなかったのか。皇太后は私の養母だ。生みの母は私が十五の頃に亡くなった。同じ頃、皇后の第一子が病で亡くなった。それで私は当時の皇后の養い子になったのだ」


 凌雲が紅月を抱え上げ、ぎゅっと抱き締める。もう十年ほど経ったとしても、母を失った悲しみは消えないのだろう。紅月も母を亡くしている。その寂しさは紅月にも分かる。紅月は凌雲の頬に頬をすり寄せた。


「……皇太后は私の政を良く思っていない。彼女の推す官僚たちを退け、一族を重用することを避けてきた。だから……きっと猫鬼を私に放ったのは彼女だと思う」


(そんな……)


 養い子とはいえ息子を呪い殺すのか。紅月は凌雲が気の毒になった。


「紅月は……私の側にいてくれるか?」


「にゃん」


 紅月が返事をすると、凌雲はわしわしと頭を撫でた。


(猫の姿なら……こんなに素直になれるのにな……)


 紅月はごろごろと喉を鳴らしながら、凌雲の胸で丸くなった。


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