第59話

 腕を目元へ乗せた早夕里は、少し間を置いてから、ため息混じりに話し始めた。


「……けいちゃんがさ、お前とは結婚する気はないって、言ったんだよ」


 震えている声に、早夕里を見つめる。隠れている表情は、泣いているように感じた。


「あたし、京ちゃんと結婚するんだと思ってずっと付き合ってきてたのに。男友達と遊んでも、あたしのわがままで喧嘩した時も、京ちゃんは一緒にいてくれたし、優しかったし。この人なら、あたしのこと分かってくれる。そう思ってたんだけど……」


 はぁ、と一度深いため息をついた後に、早夕里は続けた。


「掃除も洗濯も料理も、全然好きじゃないけど、京ちゃんの為なら苦じゃなかった。あたし、これでも尽くしてた方だと思うんだけどさ……やっぱりあたしみたいな遊んでる女は嫌なんだって。しかも、もう京ちゃんにはとっくに他に本命彼女がいたみたいでさー」


 早夕里はそう言った後に、ゆっくりと起き上がった。顕になった表情は酷く悲しげで、こちらの方が泣きたくなる。


「真舞くんのバーに行った日、実はね、どうしようもなくなってフラフラ歩いていたあたしに、真舞くんの方から声をかけてくれたんだよ」

「……え」


 驚いたあたしに、早夕里は笑った。


「意外でしょ? 真舞くんナンパとかするように見えないし」


 その言葉に、何度もうなづく。


「よっぽど、あたしがかわいそうに見えたんだよ、きっと。バーでもあたしのこと気にしながら接客してくれてたし。この人、優しいなって。で、片瀬成海の友達でまどかとも接点があって、これって、あたしにとっては運命としか言えないでしょって、思ったの」


 最後は悪戯に笑って見せた早夕里の顔は、いつもの笑顔だった。


「あたし、真舞くんのために生きるって決めた! 朝になったら新しい布団買いに行こうっ。もちろんダブルの♡」


 さっきまでの泣きそうな早夕里はどこへ行ったんだ? そうは思ったけど、あたしはそんないつも通りに戻った早夕里に安心して笑った。


「あー、なんか疲れたしお腹すいたー。コンビニでも行こっか? プリンも買わないと」


 立ち上がって大きく伸びをした早夕里は、そう言いながらダウンコートを着る。あたしもコートを着て、何の障害物も無くなった廊下を軽快に歩いて外へと出た。

 すると、ポケットの中でスマホが鳴る。

 部屋の鍵を閉めている早夕里の横で確認すると、着信相手は順平。

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