第42話 彼女の意思

「俺は中学の頃、一度いじめにあって不登校になったんすよ」

「……いじめに?」


 中学の頃、黒崎先輩は罰告と呼ばれる遊びに付き合わされた。当時俺は先輩にお願いされて相手役を受け入れた。先輩からは気軽に断ってくれ、と言われていたので適当に振って終わりにする……そのはずだった。


 けれど、俺は授業の合間に高学年の生徒の内緒話を耳にしてしまった。内容は罰告で振られた人を他の生徒が笑いものにするのだとか。


 もしも俺が断れば黒崎先輩がその対象になってしまう。幼い頃から実の姉のように優しく接してくれた先輩がそうなるのだけは嫌だった。


 だから俺はあえて告白を受け入れた。これで誰も傷つかないで済むと中学生の俺はそう思っていた。


「今の俺と違って、中学の頃はクラスに友達が何人もいたんすよ。 けれど、年上の彼女ができた途端に友達の態度が一変しました」


 今度は同学年の友達から俺はからかわれるようになった。年上の彼女というだけで興味を引くものだったらしい。


「最初はそこまで気にしませんでしたが、次第にエスカレートし、やがていじめにまで発展した。耐えられなくなった俺は学校に行くのをやめたんです」

「中学生は心と体の成長が特に複雑な時期だからね……君の周囲はそれが顕著になっていたわけだ」


 生徒会長の言葉はもっともだが、当時の俺は自分のことに手いっぱいでそこまで考えられなかった。加害者の気持ちなど理解できるはずもない。


「それから半年の間、俺は家から出ませんでした。友達だと思っていた人からいじめられて、今まで当たり前のように接していた人との関わり方さえわからなくなった。 人と接するのが怖くなったんすね」

「でも、君は立ち直った……どうやって?」


 生徒会長の問いかけに俺は話の原点へと戻る話に触れ始める。


「ある日、家に引きこもってネットを見ていると偶然一つの動画が目に入りました。それは子供の頃に遊んだ記憶のあるカードゲームの大会映像だった」

「カードゲームの?」


 生徒会長の眉が動いた。俺は言葉を紡ぐ。


「ルールなんてほとんど覚えていない。けれど俺はその映像の全てに目を奪われた。机一つを隔てて年齢や性別、立場の壁を越えて、競い合い、勝利した人は握りこぶしをあげて喜び、敗者は相手を称えるように握手を求める。試合が終わると周囲の人々が対戦した二人を囲んで盛り上がる。言葉では表しつくせないほどの感動と熱狂と興奮がそこにはあった」

「…………」

「俺はその映像を見て久しぶりに人と接してみたいと思えるようになりました……それでもまだ登校に抵抗があった俺は学校にも行かずに限られた小遣いでデッキを組んで、お店で開催されているカードゲームの大会に出たんすよ。 当然ぼろ負けだったし、久しぶりに外出したせいで言葉もたどたどしかった」


 再び俺の背後から強風が吹いてきたので、そこで一度言葉を区切った。風がやんだのを確認してから俺は会話を続ける。


「けれども、そんな俺をカードゲーマーの人達は温かく受け入れてくれた。次第に人と接する感覚を取り戻した俺は当時も石神高校で教師をやっていたオガ先……鬼道先生に促されて再登校するようになったんです」


 やがて俺は無事に高校受験に合格し、今に至っている……ずいぶんと話しが長くなってしまった。要するに何が言いたいのかというと……


「カードゲームは意味のない時間なんかじゃないって事です」

「……わからないな」


 生徒会長は一言、そう告げる。


「わからなくてもいい。 けれど、わからないからって否定するのは違うと、そう思います」


 俺にとって、月ヶ瀬先輩にとって、カードゲームとは何か、その回答は違うかもしれない。有栖川や黒崎先輩にとってカードゲーム部は何のためにあるのか、その答えも同じものではないのかもしれない。それでも、皆があの場所を望んでいる、それだけは変わらないはずだ。


「……そうだね」


 生徒会長は一瞬だけ笑顔を崩して哀愁のような視線で地面を追った。その真意は何か、俺には分からない。けれどそれは拒絶するものではなく、何かを受け入れようとしている気がした。


 ……俺はまた、自分の都合の良いように生徒会長を解釈しようとしているのかもしれない。


「けれど、カードゲーム部の廃部は変わらない。 これは君の為でもあるんだ」


 生徒会長の髪が風で揺れる。彼の瞳は俺の目をまっすぐに見つめていた。

 この人は悪人ではない。全てを考慮したうえで月ヶ瀬先輩を連れ戻そうとしている。ただそれだけ。そして、今の俺にこれ以上の何か解決策があるわけでもなかった。


 風がやんだ。先ほどまでごうごうと鳴っていた音は消えて静寂が訪れたその時、ピコンと携帯の音が鳴る。生徒会長は「失礼」と言ってポケットから携帯を取り出した。先輩の携帯の着信音のようだった。


「……これは」


 携帯の画面を見て生徒会長は動きを止めた。


「……生徒会の広報担当から送られてきた動画だ」


 生徒会長は俺に近づくと携帯画面を見せてくる。動画? と俺は訝しげに画面を見る。生徒会長が再生ボタンを押して動画の再生が始まった。


「これって、この前の大会の……」


 映されていたのは二週間前、初めて有栖川と月ヶ瀬先輩と大会に出た時の大和田を交えて四人でカードゲームをしている様子だった。


「誰がこんな撮影を……」

「黒崎さんから送られてきたと言ってたよ」


 あの日、あの場所に黒崎先輩がいたのを思い出す。先輩はバイトを終えた後、俺たちを見ていたと聞いていたが、まさか動画を撮っているなんて知らなかった。


 生徒会長は俺と共に画面を眺めている。その目には先ほどと同じようにどこか寂しいような気配を漂わせていた。


「……彼女の意思か」


 生徒会長は携帯をポケットにしまうと屋上の入口へと歩き始めた。


「まっ……」

「……そうだ、君の名前を教えてもらえるかな?」


 声をかけるよりも先に生徒会長は振り向いた。そういえばこの人、俺の事を一度も名前で呼んでいなかったな。


「……天野博士っす」

「そうか、またね、天野君」


 生徒会長は階段を下りて行った。一人その場に残された俺は空を見上げた。


『関心がなければ人は見向きもしないし、名前も覚えられない』


 彼が言った台詞である。どうやら近江生徒会長にとって今までの俺はそういう存在だったらしい。


 なぜ最後に生徒会長は俺に興味を持ったのか、この時の俺は分からなかった。


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