僕はまだ…
次の日、僕はまた彼女の入院する病院に来ていた。
彼女をこのまま死なせていいのか、実はずっと悩んでいる。
彼女に残された時間は多分もうほとんどない。
彼女は今も少しずつ、死へと近づいている。
可哀想だと思う。
哀れだとも思う。
でも、綺麗だ。
長く生きられないというのは、こんなにも人を美しく変えてしまうのだから。
なぜ枯れ果ててゆくのをただ待つのみとなった彼女が、僕の瞳にこんなにも光り輝いて映るのだろうか。
彼女のその尽きることのない虚しさが僕の胸の奥深くに突き刺さって抜けない。
僕は彼女に何をするべきなのかまだ答えは出ていない。
気づくと、いつの間にかあの病院の彼女の部屋の前まで来てしまっていた。
部屋に入ると彼女がいて、ベットの上で枕を抱いて寝転んでいる。
「どうしたの? わざわざ直接会いにくるなんて。これは明日の天気は雪かな?」
「…今は夏休みで僕も暇。だからちょうど暇つぶしの相手を見つけられて嬉しいんだ」
「その割に目が赤く腫れているのはなぜだろう」
分かっていてもあえてこんな質問をしてくるのだから意地が悪い。
彼女も昨日僕が涙を流しているところを見ていたくせに。
街中にひしめいていたはずの豊かな色彩はいつの間にかぼんやりと色褪せていた。
その風景を見渡していると彼女が話しかけてきた。
「死ぬのってどんな気持ちだろう」
そう言われても僕にはよくわからなかったから無難に返事をした。
「それは死んでみないとわからないね」
「そうかー、死ぬ前になんかやっておきたいことないかなー。君は死ぬ前にやりたいこととかある?」
「君と生き続けたい…かな。君はなんかないの?」
「私は……なんでもないや」
「なんじゃそりゃ」
僕がそう言うと、彼女は気恥ずかしそうに両手の指を絡ませながら小さな声で答えてくれた。
「…ある人に想いを伝えたいって、こと」
「あーそれはそれは」
僕の反応に気恥ずかしくなったのか、目線をどことなく逸らされているように感じる。
「それで?」
「…うん?」
彼女がとぼけたふりをしているのはわかっている。
「誰なのかなーなんて思ったり思わなかったり」
「言うわけないじゃん」
「残念だ」
お互いに目線が床やら壁やらに飛んでいる。
少し気まずい。
「君には生きていてほしいな」
彼女が独り言のように呟いたその言葉は僕の頭の上でクルクルと周り、気づくと僕の口まで動かしていた。
「……ずっと考えてた。君が死ぬって言ったことについて、ずっとずっと考えていたんだ。」
僕の言葉に、彼女は豆鉄砲でも喰らったように目を大きく見開いた。
「目一杯考えた。そしたら…」
「おー」
「何も思いつかなかった」
「へ?」
「どれだけ考えても思いつかなかったんだ」
「そこは嘘でもねぎらいの言葉をかけるべきでしょ」
「確かに。でも、一つわかったことがある」
「何でしょう」
「僕は、君を、死なせたくない」
「フッ、私死ねないじゃん。神様にでもなれっていうの?」
「まぁ、長生きして欲しい」
別に好きとかそういうことじゃなくて、“早く死んでしまう”なんていう理不尽な理由で死んでほしくないだけで…
「ん〜でも、神様になるくらいだったら天使になりたいな」
「天使?」
「そうだよ、私の病名は特発性過剰適応形質性白皮病って言ってね。別名エンゼル病なんて呼ばれたりしてるんだ。この病気は発症してから半年から一年で死に至るらしいね」
「まるで他人事だ。エンゼルの由来はなんなの?」
「実はこの病気にかかると、髪も肌も目も白くなるんだ」
「その髪色染めたんじゃないのか」
「実はそうなんです」
「そうなんですか」
「うん。…実は、私も、考えていたことがある」
「なんでしょう」
「私、君には生きていて欲しい。私の分まで生き続けて欲しい」
「ほへ?」
「だから自殺禁止ね」
「君と死のうとか考えていたんだけど」
「ダメです無理です残念です」
「…ずるいな。先に死ぬなんて」
「君にはまだ私の気持ちはわからないよ」
「…」
会話が途切れた。
その沈黙が耐えられず無理やり話を広げた。
「君は後、どれくらい生きられるの?」
「う〜ん、、分かんないなぁ」
「…そう、なんだ」
予期せず言葉に感情を乗せてしまった自分に動揺し、それに動揺している自分にさらに動揺してしまった。
彼女と会ってから自分も知らない自分の存在に気付かされる。
自分の中にしまっていたはずの自分。
それは僕という人格を作る上で最も大事な根幹で、一番柔らかい部分だ。
「もしかして心配してくれてる?」
彼女が少し嬉しそうに僕の顔を覗き込んでくる。
「そうだね。君の頭が空っぽになっていないか、いつも心配している」
「あらあら〜、言語道断チョップ」
「だから痛いって」
「言ったでしょ、今度は容赦しないって」
「聞いてない」
「そうかもしれないかもしれない」
「でもありがとう。君のおかげで今までずっと楽しかった」
「私も負けじと楽しかったよ」
そう言って笑い合い、その日は終わった。
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