浪速区紳士録【純情編:春】淡く切なくほろ苦い!
崔 梨遙(再)
1話完結:4000字
それは、僕が小学校の5年生の春? のことだった。
いつも通りの帰り道。いつもなら、同級生の男の子と途中まで一緒に帰るのだが、その日は1人で帰っていた。1人で帰ることも、たまにははある。その日は、放課後に級友と遊ぶ予定もなく、“家でプラモデルを作ろう!”と思っていた。ところが!
マズい!
目の前を、同級生の女子が1人で歩いている。安達だ。僕は安達の後ろを歩く。女子はトボトボと歩いている。歩くのが遅い。これでは後ろを歩いていられない。追い抜いた方が早い。僕は一気に抜き去ることにした。
どうしてこんなに僕が安達を意識しているのかというと、2月、まだ小学4年生だった頃、僕は安達からバレンタインのチョコをもらったのに、ホワイトデーでは何のお返しもしていなかったからだ。他に好きな女子がいたからホワイトデーは何も返さなかったのだが、何も返さなかったことに罪悪感があった。なので、安達のことは意識してしまう。
何も言わずに抜き去って良いのだろうか? いや、やっぱり、声はかけた方がいいだろう。
ということで、
「よう! お疲れ、また明日」
よし! 上手く挨拶が出来た。さり気なく、しかも無難。これでOKだ……と思ったら前に進めない。安達が、僕の右腕を掴んで引っ張っている。
「え! 何? 僕に何か用があるの?」
「崔君、お願いがあるねん」
「わかった、わかった、話を聞くから引っ張るのはやめてくれ。袖が破れる」
安達は、ようやく僕の腕から手を離した。
「ほんで? 何なん? お願いって何?」
「崔君、今日、ウチに遊びに来て! どうしても遊びに来てほしいねん!」
「サヨナラ」
「待って! 崔君、待ってや-!」
また腕を掴まれた。
「だ・か・ら、強く引っ張り過ぎやねん、袖が破れるやろ?」
「ごめん、真剣に聞いてほしいねん」
「何? 僕に何をしてほしいの?」
「ウチに遊びに来てほしい」
「アカン、ほなサヨナラ」
「帰ったら嫌やー!」
「だから、引っ張るなって」
「何回、同じことを繰り返すのよ?」
「女友達を誘えばええやろ?」
「女の子の友達、今日はみんな都合が悪いねん。でも、どうしても今日は、今日だけは1人やと嫌やねん」
「だって、女の子の家に遊びに行ったって知られたらクラスの連中に冷やかされるやんか。僕、そういうの嫌やねん」
「なんで話すん?」
「え?」
「私は誰にも喋らへんし、崔君も喋らんかったら誰にもバレへんやんか。バレなかったら、クラスで冷やかされることも無いで」
「なるほど、ほな、1回、家に帰ってから行くわ」
「アカン! 崔君、家に帰ったら、もう来ないやろ? このまま私のウチに行くで」
しまった! 見抜かれていた。確かに、家に帰ったらもう安達の家には行かないでおこうと思っていたのだ。何故、バレたのだろう?
「崔君、ホワイトデーに何もくれへんかったやんか、だから、ホワイトデーの代わりに私に付き合ってや」
「わかった、行く、行く、行くから! 引っ張るなって。その代わり、ホワイトデーはもう何もプレゼントせえへんよ」
「今日、来てくれたら、最高のホワイトデーやで」
「ここの2階!」
こんなところに、こんなボロいアパートがあったとは知らなかった。安達は、鍵を取りだしてドアを開けた。
「こっち、こっち。崔君、入ってや」
部屋の中はキレイだった。多分、安達のお母さんがキレイ好きなのだろう。外から見るのと、中に入ってみるのとでは、大違いだった。安達の部屋は清潔感があった。
「ちょっと、電話をかけさせてくれ」
「うん、ええよ」
‘「あ、お袋? 今日は学校から直接友達のところに来たから。うん、ほなね」
「ごめんなぁ」
「これで大丈夫や。で、何して遊ぶの?」
「ゲームする?」
「僕、あんまりゲームはせえへんねん」
「そうなんやぁ、今、流行ってるのに」
「TVは?」
「イヤホンをつけてくれるなら」
「そこまでして見たくないわ」
「じゃあ、漫画読む?」
「って、少女漫画ばっかりやんか、少女漫画はキツイなぁ」
「なんで? おもしろいよ」
「ほな、これは?」
「めっちゃおもしろい」
「全何巻?」
「30巻」
「帰るわ」
「ちょっと、崔君、アカンって」
「今から読み始めても、30巻なんか読んでられへんやんか、途中まで読んでから帰ったら、続きが気になると思うし」
「じゃあ、どうしたらええの?」
「ほな、安達が僕にこの漫画のあらすじを教えてくれや」
「え! あらすじ?」
「だいたいでええから。はい、第1巻の内容からどうぞ」
「えーと、最初はねえ……」
「……ということで、2人は結婚して幸せになりました。おしまい」
「よくわかった。おもしろかった。お疲れ様。ほな、僕はこれで」
「アカンよ、まだ一緒にいてくれないと」
「だって、そろそろ夕飯の時間やんか」
「ダイニングに夕飯、買ってあるから、来てよ」
「おお、お寿司のパックか。で、なんで4つ?」
「3人くらい来てくれるかなぁって思ってたから。崔君、沢山食べてええよ」
「3人分も食べられへんわ」
「さて、食事も終わったし」
「どうしたん?」
「帰るわ、サヨナラ」
「アカン、もう少し!」
「なんで部屋の明かりを点けへんの?」
「それは……」
その時!
ドン! ドン! ドン! ドン!
玄関のドアが激しく叩かれた。そして大きな罵声。
「おらおら、金返せやー!」
僕達は咄嗟にしゃがみ込んだ。
「あれは? 何?」
「借金取り」
「そのままやないか」
「こらー! いるのはわかってるんやぞー!」
僕は這うようにしてベランダを目指す。
「崔君、どこに行くの?」
「ベランダ。ベランダから脱出する」
「ここ2階やで」
「うん、2階やから大丈夫。僕はジャングルジムのてっぺんから飛び降りれるねん」
「ダメ-! 逃げたら嫌やー!」
「待て!」
「どうしたん?」
「声がしなくなった」
「ほんまや、帰ったんかな?」
「帰ったのなら、僕は帰るわ」
「アカン、あいつがまた来るから」
「ほな、僕はどうしたらええの?」
「今夜はここに泊まってや。明日は日曜やし(当時、土曜は半ドン)。お願い」
僕はため息をついた。こんな状況で女の子を1人しておけない。僕がいなかったら、安達はとても不安な夜を過ごすことになるだろう。仕方ない。僕は腹を括った。
「電話を貸してくれ」
「どうぞ」
「あ、もしもし、お袋? 今日はこのまま○○君の家に泊まるから。ほんで、明日の朝には帰るわ。ほな、そういうことなんで」
僕は、当時、時々友人の家に泊まっていたので、母は僕の言うことを疑わなかった。日頃の行いが良かった? おかげで家に帰らなくても叱られない。
「ということで、今日は泊まるわ。でも、安達の家に泊まったとか、絶対にクラスのみんなには内緒やで。あいつ等、めちゃくちゃ冷やかしてくるから。自分達も女子が好きなくせに」
「ありがとう! 崔君」
「イヤホンつけながらTV見たくないし、暗いし、僕はもう寝るわ。毛布はある?」
「あ、布団を敷くね」
2つの布団が並べて敷かれた。
「私、こっち」
「ほな、僕はこっち」
「……崔君?」
「何? まだ眠られへんのか?」
「うん。崔君も眠れないの?」
「女の子と一緒に寝るだけでも眠られへんのに、いつ借金取りが来るかと思ったら、更に眠られへんわ」
「だよね。ごめんね」
「べつに、ええよ。しゃあないやんか」
「もし、あいつがドアを破って入って来たらどうしよう?」
「僕が時間を稼ぐから、安達は僕の家に逃げろ。僕の家は知ってるやろ?」
「崔君」
「ん?」
「ありがとう。私、何かお礼がしたい」
「ほな、胸を触らせてくれや」
「え?」
「冗談や、冗談や」
「ええよ」
安達が、パジャマの上を脱いだ。安達の胸が月明かりでうっすらと見える。
「触っても、ええよ」
「うん、触るで」
僕は、安達の胸にソッと手の平を乗せた。ほんの少し、ほんの少しだけ膨らみがあった。小さいのに、柔らかさを感じとれた。
「私、今日はお風呂に入ってないけど、汚い子やと思わんといてね」
「思わへんわ。僕も今日は風呂に入ってないし」
その時!
ドン! ドン! ドン! ドン!
「こらー! 出て来いや-!」
借金取りが再び現れた。だが、僕等は2人だけの世界にいた。借金取りの怒鳴り声なんて、聞こえない。やがて借金取りが帰ったようで、また静かになった。
そこで、僕は我に帰った。
「ごめん、もうええよ」
安達はパジャマの上を着た。
「明日の朝には、お母さんが帰って来るから、それまで一緒にいてくれる?」
「うん、ええよ。お母さんはどこに行ってるの?」
「親戚の所、お金を借りに行ってる」
「そうか、安達も大変なんやな」
「崔君が優しいから、安心」
「眠ろう、まだ朝まで時間があるから」
朝、安達の方が早く起き上がった。安達は僕の顔を覗き込んでから、僕の頬にキスをした。実は、僕は目が覚めていた。寝たフリをしていただけ。安達のキスには気付いていた。じゃあ、もう少し、もう少しだけ寝たフリをしていよう。
安達のお母さんが帰って来た。
「ただいまー! 典子、ごめんね-! 怖かったでしょう?」
「安達、ほな、僕は帰るで」
「うん、崔君、本当にありがとう!」
「え? 典子、この子は誰?」
「私を守ってくれた男の子」
それから、安達のことが気になるようになった。好きな女子は他にいる。安達のことは、単に心配していただけだったと思う。安達は、月曜から学校に来なくなった。1週間後の、帰る前のホームルームで、担任の先生が、“安達”が転校したと話した。
僕は、ホームルームが終わると走って教室を飛び出した。真っ直ぐ、全力でウチに帰った。僕は自分の布団の中に潜り込んだ。そして、泣いた。僕は安達を助けられなかったのだ。安達を助けたかったのに。この時、僕は自分の無力さを初めて痛感した。僕にはどうしようもないことだったのかもしれない。それでも、僕はなかなか泣き止むことが出来なかった。
今でも、安達を助けてあげられなかったことに罪悪感を感じることがある。僕の心には、今もその時の傷痕があるのかもしれない。
浪速区紳士録【純情編:春】淡く切なくほろ苦い! 崔 梨遙(再) @sairiyousai
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