浪速区紳士録【純情編:春】淡く切なくほろ苦い!
崔 梨遙(再)
1話完結:5600字
それは、僕が小学校の5年生の春? のことだった(多分)。
いつも通りの帰り道。いつもなら、同級生の男の子と途中まで一緒に帰るのだが、その日は1人で帰っていた。1人で帰ることも、たまにはある。その日は、放課後に級友と遊ぶ予定もなく、“家でプラモデルを作ろう!”と思っていた。友人達も“プラモデルを作る”と言っていた。ちょうど、テ〇ビゲ〇ムが流行り始めた頃。僕達の遊びは、級友と一緒にゲームをするか? 1人でプラモデルを作るか? ということに変わって行く途中だった。だが、まだみんなで外で遊ぶことも多く、微妙な時期だった。やがて、テレビゲ〇ムをする方が主流になっていくのだが、それは少し先の話。僕達の世代は、ちょうど時代の移り変わりの時だったのだ。
ところが!
マズい!
目の前を、同級生の女子が1人で歩いている。安達だ。僕は安達の後ろを歩く。安達はトボトボと歩いている。歩くのが遅い。遅すぎる。さすがに、このペースで後ろを歩いていられない。これは追い抜いた方が早い。僕は一気に安達を抜き去ることに決めた。
どうしてこんなに僕が安達を意識しているのかというと、2月、まだ小学4年生だった頃、僕は安達からバレンタインのチョコをもらったのに、ホワイトデーでは何のお返しもしていなかったからだ。他に好きな女子がいたからホワイトデーは何も返さなかったのだが、何も返さなかったことに罪悪感があった。なので、安達のことは意識してしまうのだ。だが、意識していることは、級友にも女子にも安達本人にも知られてはいけない。知られたら、絶対に冷やかされてしまう。
その点、安達が気を遣ってくれたのか? チョコを手渡しではなく机の中に入れてくれたのは助かった。僕は、机の中のチョコを発見し、誰にも見られることなくチョコをランドセルに入れることが出来た。お返しをしなかったのは、他に好きな女子がいたからで、他に好きな女子がいたらお返しをしてはいけないと思い込んでいた。
何も言わずに抜き去って良いのだろうか? いや、やっぱり、声はかけた方がいいだろう。気軽に軽く挨拶だ。挨拶だけ、挨拶だけ。
ということで、
「よう! お疲れ、また来週!(この日は土曜で半ドン)」
よし! 上手く挨拶が出来た。さり気なく、しかも無難。これでOKだ……と、自分を褒めていたら前に進めない。安達が、僕の右腕を掴んで引っ張っている。
「え! 何? なんで引っ張ってるの? 僕に何か用があるの?」
「崔君に、1つお願いがあるねん」
「わかった、わかった、話を聞くから引っ張るのはやめてくれ。袖が破れる」
安達は、ようやく僕の腕から手を離した。
「ほんで? 何なん? お願いって何? 僕に出来ることならやるけど」
「崔君、今日、ウチに遊びに来て! どうしても今日は遊びに来てほしいねん!」
「サヨナラ」
「待って! 崔君、待ってや-!」
また腕を掴まれた。
「だ・か・ら、強く引っ張り過ぎやねん、袖が破れるやろ?」
「ごめん、冗談とちゃうねん、真剣に聞いてほしいねん」
「何? 僕に何をしてほしいの? もう1回言うてや」
「ウチに遊びに来てほしい」
「アカン、ほなサヨナラ」
「崔君、帰ったら嫌やー!」
「だから、引っ張るなって。何回、同じことを繰り返すねん?」
「崔君こそ、何回、同じことを繰り返すのよ?」
「そんなん、女友達を誘えばええだけの話やろ?」
「女の子の友達、今日はみんな都合が悪いねん。でも、どうしても今日は、今日だけは1人やと嫌やねん」
「だって、女の子の家に遊びに行ったって知られたらクラスの連中に冷やかされるやんか。僕、そういうの嫌やねん。冷やかされるのが1番嫌やねん」
「なんでみんなに話すん?」
「え? どういうこと?」
「私は誰にも喋らへんし、崔君も喋らんかったら誰にもバレへんやんか。バレなかったら、クラスで冷やかされることもないで。そうやろ?」
「なるほど、わかった。ほな、1回、家に帰ってから行くわ」
「アカン! 崔君、家に帰ったらもう来ないやろ? このまま私のウチに行くで」
しまった! 見抜かれていた。確かに、家に帰ったらもう安達の家には行かないでおこうと思っていたのだ。何故、バレたのだろう? 僕はこの頃から、嘘をつけないタイプだったのだろうか?
「崔君、ホワイトデーに何もくれへんかったやんか、だから、ホワイトデーの代わりに私に付き合ってや」
「わかった、行く、行く、行くから! 引っ張るなって! その代わり、ホワイトデーはもう何もプレゼントせえへんで。今日、遊びに行くのがホワイトデーの代わりやからな。それでええな?」
「うん、それでええよ。今日、来てくれたら、最高のホワイトデーやで。何かプレゼントを貰うよりも嬉しいわ」
「ここの2階!」
こんなところに、こんなボロいアパートがあったとは知らなかった。安達は、鍵を取りだしてドアを開けた。
「こっち、こっち。崔君、入ってや」
部屋の中はキレイだった。多分、安達のお母さんがキレイ好きなのだろう。外から見るのと、中に入って見るのとでは、大違いだった。安達の部屋は整理整頓されて清潔感があった。
「ちょっと、家に電話をかけさせてくれ」
「うん、ええよ、電話はこっち」
「……あ、お袋? 今日は学校から直接友達のところに来たから。うん、ほなね」
「崔君、ごめんなぁ」
「いや、これで家の方は大丈夫や。で、何して遊ぶの?」
「ゲームする?」
「僕、あんまりゲームはせえへんねん。っていうか、全くせえへんねん」
「そうなんやぁ、今、流行ってるのに」
「確かに流行ってるけど、興味無い。あ、戦略シミュレーションゲームなら好き」
「戦略シミュレーション?」
「無いよね?」
「無い」
「ほな、TVは?」
「イヤホンをつけてくれるなら」
「そこまでして見たくないわ」
「じゃあ、漫画読む?」
「って、少女漫画ばっかりやんか、少女漫画はキツイなぁ。安達に少年漫画を読めとは言えへんけど。少女漫画って、おもしろいんか?」
「めっちゃおもしろいよ」
「ほな、これは?」
「それ! めっちゃおもしろいで」
「全何巻?」
「30巻」
「ごめん、帰るわ」
「ちょっと、崔君、アカンって」
「今から読み始めても、30巻なんか読んでられへんやんか、途中まで読んでから帰ったら、続きが気になると思うし。ここは何も読まない方がええんや」
「アカン、まだ来たばかりやんか、じゃあ、どうしたらええの?」
「あ! ほな、安達が僕にこの漫画のあらすじを教えてくれや」
「え! あらすじ?」
「だいたいでええから。はい、第1巻の内容からどうぞ。最初からストーリーを話してくれ」
「じゃあ、話すね。えーと、最初はねえ……」
「……ということで、2人は結婚して幸せになりました。はい、おしまい。うわ、疲れた。喉がカラカラやわ。ジュース取ってくる。崔君も飲むやろ?」
「いや、漫画の内容がよくわかった。確かにおもしろかった。ジュースは要らんで、帰るから。お疲れ様。ほな、僕はこれで」
「アカンよ、まだ一緒にいてくれないと」
「だって、そろそろ夕飯の時間やんか」
「ダイニングに夕飯、買ってあるから、来てよ」
「おお、お寿司のパックか。で、なんで4つ?」
「3人くらい来てくれるかなぁって思ってたから。崔君、沢山食べてええよ」
「3人分も食べられへんわ」
「さて、食事も終わったし」
「食事は終わったけど、どうしたん?」
「もう帰るわ、サヨナラ」
「アカン、もう少し!」
「……暗くなったで。なんで部屋の明かりを点けへんの?」
「それは……」
その時!
ドン! ドン! ドン! ドン!
玄関のドアが激しく叩かれた。そして大きな罵声。
「おらおら、金返せやー!」
僕達は咄嗟にしゃがみ込んだ。思わず小声で話す。
「あれは? 何? 誰? 何者?」
「借金取りのオジサン」
「そのままやないかーい!」
「こらー! いるのはわかってるんやぞー! 早よ、出て来いや-!」
僕は這うようにしてベランダを目指す。音をたてないように。安達が小声で話しかけてくる。
「崔君、どこへ行くつもりなん?」
「ベランダや。ベランダから脱出する」
「え! ベランダから? ここ2階やで」
「うん、2階やから大丈夫。僕はジャングルジムのてっぺんから飛び降りれるねん。2階なら無傷で降りることが出来るから」
「ダメ-! 逃げたら嫌やー!」
「待て!」
「どうしたん?」
「声がしなくなった」
「ほんまや、帰ったんかな?」
「帰ったのなら、僕は帰るわ」
「アカン、あいつがまた来るから」
「ほな、僕はどうしたらええの?」
「今夜はここに泊まってや。明日は日曜やし。お願い! 一晩だけ!」
僕はため息をついた。こんな状況で泊まるのは嫌だった。だが、こんな状況で女の子を1人しておけない。僕がいなかったら、安達はとても不安な夜を過ごすことになるだろう。仕方ない。僕は腹を括った。僕は昔からトラブルに巻きこまれる。
「もう1回、電話を貸してくれ」
「うん、どうぞ」
「あ、もしもし、お袋? 今日はこのまま○○君の家に泊まるから。ほんで、明日の朝には帰るわ。ほな、そういうことなんで、はい、おやすみなさい」
僕は、当時、時々友人の家に泊まっていたので、母は僕の言うことを疑わなかった。男子の家に泊まっていると思い込んでいた。日頃の行いが良かったのか? おかげで家に帰らなくても叱られない。母は僕が級友の家に泊まるのを良く思ってはいなかったけれど。当時は僕にも付き合いというものがあったのだ。
「ということで、今日は安達がお願いするからここに泊まるわ。でも、安達の家に泊まったとか、絶対にクラスのみんなには内緒やで。あいつ等、めちゃくちゃ冷やかしてくるから。自分達も女子が好きなくせに」
「ありがとう! 崔君。え! みんな女子が好きなん?」
「当たり前やんか、好きやから意識して冷やかすねん。僕は、そういうノリは嫌いなんやけど。冷やかすのって、ガキみたいやから」
「そうなんやぁ、あ、これから何する? 寝るには少し早いよね?」
「イヤホンつけながらTV見たくないし、暗いし、僕はもう寝るわ。毛布はある?」
「あ、布団を敷くね」
2つの布団が並べて敷かれた。
「私、こっち」
「ほな、僕はこっち」
布団は、洗剤のいい臭いがした。
「……崔君? 起きてる?」
「うん、何? 安達はまだ眠られへんのか?」
「うん。崔君も眠れないの?」
「当たり前やんか。女の子と一緒に寝るだけでも眠られへんのに、いつ借金取りが来るかと思ったら、更に眠られへんわ。この状況で眠れたら、かなりの大物やで」
「だよね。ごめんね、巻きこんで」
「べつに、ええよ。しゃあないやんか、安達が悪いわけではないし」
「もし、あいつが、借金取りがドアを破って入って来たらどうしよう?」
「僕が時間を稼ぐから、安達は僕の家に逃げろ。僕の家は知ってるやろ?」
「崔君」
「ん?」
「ありがとう。私、何かお礼がしたい」
「お礼?」
「うん、助けてくれたから、何かお礼。私に出来ることなら」
「なんで? 今日はホワイトデーのお返しなんやろ?」
「ホワイトデーのお返しにしては、もらい過ぎやわ。なあ、何か無い?」
「そうか、ほな、胸を触らせてくれや」
「え?」
「アホ、冗談や、冗談や」
「崔君なら、ええよ」
安達が、パジャマの上を脱いだ。安達の胸が月明かりでうっすらと見える。
「触っても、ええよ」
「うん、触るで」
僕は、安達の胸にソッと手の平を乗せた。ほんの少し、ほんの少しだけ膨らみがあった。小さいのに、柔らかさを感じとれた。
「私、今日はお風呂に入ってないけど、汚い子やと思わんといてね」
「思わへんわ。僕も今日は風呂に入ってないし」
その時!
ドン! ドン! ドン! ドン!
「こらー! 出て来いや-!」
借金取りが再び現れた。だが、僕等は2人だけの世界にいた。借金取りの怒鳴り声なんて、聞こえない。やがて借金取りが帰ったようで、また静かになった。
そこで、僕は我に帰った。
「ごめん、もうええよ」
安達はパジャマの上を着た。
「明日の朝には、お母さんが帰って来るから、それまで一緒にいてくれる?」
「うん、ええよ。お母さんはどこに行ってるの?」
「親戚の所、お金を借りに行ってる」
「そうか、安達も大変なんやな」
「でも、崔君が優しいから今日は安心」
「眠ろうや、まだ朝まで時間があるから」
朝、安達の方が早く起き上がった。安達は僕の顔を覗き込んでから、僕の頬にキスをした。実は、僕は目が覚めていた。というか、結局、眠れなかった。ただ寝たフリをしていただけ。安達のキスには気付いていた。今、目を覚ましたら気まずいかな? じゃあ、もう少し、もう少しだけ寝たフリをしていよう。
安達のお母さんが帰って来た。
「ただいまー! 典子、ごめんね-! 怖かったでしょう?」
「安達、ほな、僕は帰るで」
「うん、崔君、本当にありがとう!」
「え? 典子、この子は誰?」
「私を守ってくれた男の子」
それから、安達のことが気になるようになった。好きな女子は他にいる。安達のことは、単に心配していただけだったと思う。安達は、月曜から学校に来なくなった。しかし、安達を心配していることが男子にバレたら冷やかされるので、安達を心配している素振りは見せられない。全く、面倒臭い。冷やかす文化は無くなってほしい。1週間後の、帰りののホームルームで、担任の先生が、“安達”が転校したと淡々と話した。どこに引っ越したのか? 言わない。理由は“家庭の事情”と言う。担任の言葉に、僕は目眩がした。ショックなことが起きると目眩がするのか?
僕は、ホームルームが終わると走って教室を飛び出した。真っ直ぐ、全力でウチに帰った。僕は自分の布団の中に潜り込んだ。そして、泣いた。僕は安達を助けられなかったのだ。安達を助けたかったのに。この時、僕は自分の無力さを初めて痛感した。僕にはどうしようもないことだったのかもしれない。それでも、僕はなかなか泣き止むことが出来なかった。
今でも、安達を助けてあげられなかったことに罪悪感を感じることがある。僕の心には、今もその時の傷痕があるのかもしれない。
浪速区紳士録【純情編:春】淡く切なくほろ苦い! 崔 梨遙(再) @sairiyousai
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