宝石箱が開くとき2

一泊旅行当日。

大学近くから私たち四人は一緒に集合して、超お金持ちらしい京が出してくれたタクシーで現地に向かっていた。


タクシーで一時間ほど揺られた場所がそうだった。

東京を出て、少し走ったところにこんな田舎があるのかと思えるような場所。

田んぼがチラホラ見えて、懐かしい気分になる。

東京で育ってきたせいで、ここまでの自然の中にいることなんて本当になかったかもしれない。

集合場所の駅の前で、四人でベンチに座りながら会話を交わす。


「美亜ちゃんは陸上とかしちゃうんだっけ」

「うん、あんまり速くないけど、中高と一応陸上部だったから」

「あ、じゃあさ、じゃあさ、変態っぽいことちょっと聞いていい?」

「え、なに?」

「陸上選手とかのユニフォームって、やたら短いさ、ボクサーパンツっぽいの履いてるじゃん。大会の時とか。あれって美亜ちゃんも履くわけ?」

「え、あ、うん。履くよ?」

「俺、絶対見に行くよ! 応援行く!」

「裕次郎の変態度合にまじでひくわ」


ひろちゃんのぼそりとした呟きに、裕ちゃんがビクリと体を跳ねさせる。

チャラ男の裕ちゃんはどうやら、ひろちゃんには弱いらしい。


「寛子、こっちおいで。今特に紫外線きついらしいから」

「うはーー、京ってもう女たらすために生まれてきたよね、確実に」


京がひろちゃんを呼んで、四人で日陰に移動した。

しばらくすると、千里が来て、それからだんだんと生徒たちが集まりだした。 


「先生、おはようございまーす」

「おお、みんな早いね。おはよ。田舎っていいなー、落ち着く」


この前はシックなスーツ姿だったけど、今日は私服らしい。

黒のパンツに、グレーのTシャツの上に黒のレザージャケットの千里は、こうして見ると、大学生にまぎれていたって分からない雰囲気がある。

だけど、大人の色気というか、大人の余裕と言うか、そんなものがチラリと垣間見える。

さらにかっこよくなったな。


「先生って田舎は似合わないですよー。すごい都会的だし」

「そう? でも僕田舎出身なんだよ」

「うっそぉ! 意外だよねー、美亜」

「う、うん。意外だね」


いきなりひろちゃんに言葉を振られて、慌てて相槌を返す。

千里はほんのわずかに空を見上げて、目を細めた。 


「先生。部屋割ってどんな感じ、ですか?」

「なんかね、四人部屋らしい。コテージみたいなとこで、一人一つずつベッドがあるらしいから割と広いと思うよ」


千里に話しかけると、すごく自然に返事が返ってきた。

受け持ちの生徒へ千里はとても気さくで優しい。

エリートで、お金に困っていないのだろうと思わせる気品を漂わせながら、少年みたいにくしゃりと笑うものだから、女の子たちが浮ついているのが分かる。


これは。

まぁ、あの田舎の中学でもたいがい人気だったけど、随分すくすく成長したものだ。


「佐々木さんはずっと陸上やってたの?」

「あ、はい。中高と陸上部でした」

「そんなに肌白いのにね。焼けない体質?」

「あぁー、そうなんです。真っ赤になって熱を持って終わります。あ、でもちゃんと真面目に部活してたんですよ?」

「ふふ、大学でも頑張って」

「はい」


千里と話しながら、小さくできた千里の影を踏んづけていたことに気付いた。

影踏みと言って、影を踏んづけられたら鬼になる、鬼ごっこを思いだした。

夕方の影の長い時にするととても楽しくて、私は毎日のように千里にやってとねだった。

そして、いつだって足の速い私が勝った。

千里はずっと鬼だったのに一度だって文句を言わなかった。


今になってようやく気付く。

きっと私はたいそう甘やかされていたんだろう。 


「美亜ちゃん。ジュース買ってくるけど、なんか飲む?」

「え、あ、じゃあ、一緒に行くっ」


裕ちゃんに覗きこむようにして声を掛けられて、我に帰った。

だめだ。

千里に再会するという異常事態だったとはいえ、最近水野明穂の記憶を思い出し過ぎている。

あまり意識しないで最近は生きていたのに。


だめだ、だめだ。

今の私は佐々木美亜なんだ。

大学に入ったばかりで英語と小説が大好きな色白の女の子。

それが今の私。


「裕ちゃんはサークル何入るの?」

「んー、俺はバスケかな。高校の時も弱小ながら一応バスケ部だったし」

「そっかそっか。サークルだと気楽にできるよね」

「そそ、バイトもあるし、美亜ちゃんとも遊びたいし~お近づきになりたいし~」

「えー」


二人でドリンクを抱えながら歩いていくと、千里が点呼を取っている最中だった。

駆け足で近寄っていくと、ひろちゃんが楽しげに私を呼んでくれた。


泊まる場所は駅から歩いて行けるところで、民宿でもホテルでもなく、ロッジのような建物だった。

そこの前にはバーベキューセットが置いてあって炊事場もある。


学校からの一泊には適していそうな場所は、四人ずつロッジに適当に入ってバーベキューの準備をした。

もちろんロッジは男女でバラバラになったけど、京を連れて女子部屋まで乱入してきた裕ちゃんは相変わらずのチャラ男っぷりだ。

そこから男女問わずの大宴会になって、ひろちゃんと裕ちゃんが真ん中で盛り上げている。


「美亜ちゃん。これ食べて。お菓子、おいしいよ」

「ありがとう。わあ、初めて食べる」

「かぁわいい。どうしよ、可愛い~」


お酒を飲んでいないのに酔っぱらったような雰囲気の裕ちゃんに笑いながら、辺りを見渡す。

千里は途中で抜け出して行った。

だってもう夜中の一時だ。

チラホラいない人もいるから、その人たちはもうそれぞれ眠る準備をしているのだろう。


私もそろそろ寝ようか。

宴会の雰囲気はもう十分楽しんだ。

 

「美亜? 眠い?」

「あ、京。ううん、外の空気当たってくる」

「あんまり遠くは行っちゃだめだよ」

「ありがと」


お菓子パーティーの端っこで女の子と戯れている京の心配そうな視線に頷いて、外に出た。


四月の空気は涼しくて、妙に心地がいい。

ロッジの外は静かで、さっきまでの喧騒なんて別世界のようだ。


息を吐いて深呼吸する。

空気がおいしい。

空を見上げると、いっぱいの星が目に入って、思わず息を止めて見やった。

手の中に掴めそうで掴めない星は、まるでいつかの明穂のよう。


明穂は私の中にあるようで、掴めない遠い存在なのだ。

二度と明穂になることはできない。

だけど、限りなく近くにいて、存在を私に主張する。


それがたまにとても苦しくなる。

明穂と美亜の両方が一つの身体に存在して、息もできないくらいやりきれない時がある。

 

「どっちなんだろ……」


大きく息を吐く。

明穂、お前は一体どうしたいの。

千里と再会させて、私に一体何をさせようとしているの。


足もとになにかを感じて、星から目を離した。

黒猫が足元をくすぐって離れていく。

しゃがみこんで見つめると、体を後ろに向けたまま顔だけでこちらを見てくる。

真っ暗な闇の中で、瞳だけが鈍く光っている。


「おーい、タマー。タマ、おいでー」


一向に近付いてくる気配を見せない黒猫を指でくいくいと呼び寄せる。


「あー、来ないかぁ」


黒猫ってだいたい懐かないな。

今まで素直に懐いてきた黒猫なんて見たことない。魔女の使いだからと主張する誰かを思い出した。ヨーロッパでは元々魔女の使い魔で、とかよく分からない話を熱心に語っていたっけ。

遠いどこかにいると思ってたのに、ずいぶん近くに来ちゃったな。


「タマー。こいこい」

「なんでタマなの?」


頭上から声がして、勢いよく見上げると、月夜に照らされた千里が黒猫を見ていた。


「わっ」

「あ、驚かせちゃった? ごめんね」


心臓がドクドクと跳ねあがる。

黒猫は私の驚いた声に反応して、どこかに消えてしまった。

視線をどこにやっていいか分からずに、地面に転がる石を見ているふりをした。


「あ、せん……、先生」

「タマって古くない? 今時の猫はもっと変わった名前ついてるよ」

「ふふ、猫といえばタマって感じなんです」


千里は目を細めて、何かを考え込むように一瞬強く眉を寄せた。

それから千里は黙ったまま、近くのベンチに腰かけると、私をじっと見た。

隣に座れと促されている。


なんとなく。

座っちゃいけない気がした。

今この場で離れないとだめな気がした。

だけど私は逆らうようにこくりと頷いて、千里の隣に腰掛ける。


「昔、同じような事を言う子がいたよ」

「へぇ、先生の子供時代?」

「うん」

 

千里は何かを考え込むかのように、ゆっくりと返事をした。

千里が思い返す子供時代には確実に明穂がいる。

それは考えるまでもなく知っている。


「先生ってどんな風に育ってきました?」

「それ知りたい?」

「え、まぁ、はい。知りたいです」


千里の事はなんだって知りたいよ。

私と一緒にいなかった十八年間、どこで誰と息をしていましたか?


「んーとね、ここよりもずっと田舎に住んでて、僕は今と変わらず本の虫でした」

「ふふ」

「子供時代は僕の一番幸せな時だったな。だけど、中三の時にある出来事があって、僕は不登校になったんだ」

「……え? 不登校?」


思わず顔を見た。

「しばらく学校に行けなくて、行く意味も分からなくて、見かねた両親が僕を海外へと連れ出したんだ。ハイスクールはアメリカで、大学はカナダに行った」

「ほとんど日本にはいなかったんですか?」

「そうだよ。七年間を海外で過ごした。目的もなく日本に帰ってきて、予備校の講師をしていたんだけど、親のコネでこの大学の講師を紹介してもらって、それから助教授になって、去年教授になった」


初めて知る千里の過去。

あらためて明穂の存在がどれだけ大きかったのかを思い知る。

とても苦しんで、悲しんで、絶望したのだろう。

千里は大人びた顔つきで、「こんな事聞いても面白くないよね」と笑った。

黙って首を横に振る。

気の利いた返事を返そうと思うのに、喉が張り付いて言葉が出ない。

 

「先生は、今、幸せ?」

「どうしてそんな事聞くの?」


言葉の響きには少し、拒絶の匂いがあった。


「嫌だったら答えなくていいです」

「……君といると、なんだか遠い過去が引きずり出されてくる気分になる」

「……ごめんなさい」

「いや、いいんだ。ただ、幸せになるってどういう状態を言うんだろうね」


先生は苦笑して、一度髪に手を差し込んでくしゃりと掻きまわした。

聞きたい事がたくさんある。

たくさんの事を聞きたいけど、なんだか明穂を思い出させてしまったようで申し訳ない。


そりゃあ、私の見た目は大きく変わっても、中身は明穂のままなんだ。

どうしたって、その存在は消せない。

 

「今日は、もう寝なさい。なにか相談事があったらいつでも聞くからね」


千里は最後、教師の顔をして、立ち上がって帰って行った。

不自然の言葉の切り出し。

過去を引きずりだされて、苦しそうな顔をしていた。

きっと明穂を思い出すことは、千里にとって辛い事なのだろう。

最後の質問にも結局答えてくれなかった。


けど、結婚をして、教授になって、きっと幸せな生活を送っているのだろう。

そうだったらいい。

それならいい。

もう自分からは千里に近付かない。

教授と生徒として、それなりの距離を保って付き合って行く。

そう、決めた。

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