番外編:佐希の会社の先輩

今日の業務が終了して、残業組以外はそれぞれ帰る支度をしていた。私が所属する総務課もみんな続々と立ち上がっている。


「水本さんっ。一緒に帰りませんか?」


新入社員の男が水本さんに声を掛けている。

あれは営業課の男の子だったっけ。


課を出た途端、声を掛けられた水本さんは、「え?」という顔で振り返って、困ったような顔をする。


「私と?」

「はい。ご飯とかいけたらさらに嬉しいですけどー……、あ、もちろんごちそうします!」

「えっと、ごめんなさい。あの、嬉しいんですけど、私、結婚してて、家に帰って料理しないと」


これで彼女に玉砕する男は何人目だろうか。

彼女はモテる。

彼女より美人な女の子は社内にもいるだろうし、特別目立つタイプでもないのに、なぜかモテる。


薬指に光る結婚指輪が見えないというのだろうか。

ガツガツしている肉食系女子と違って、彼女は早くに結婚をしているからか落ち着いた雰囲気がある。

個人的な感情で特別誰かをひいきするわけでもなく、あくまでも中立の立場で周りを見ている。

その辺が私たちとの違いかもしれない。


「水本さん、結婚してるんすか」

「そうなんですー」

「えぇー、俺まじ超ショック。今日めっちゃ勇気出したのにぃ」


彼はさすが後輩というか、甘えながら水本さんの隣を一緒に歩く。

水本さんはおかしそうに笑っていて、それでいて困ったように隣の彼の顔色を窺っている。

多分、いつまで着いてくるんだろ、こいつって感じだろうな。


営業課の新入社員の井上くんはさすが営業マンというか、それでもめげずに水本さんに話し掛けている。


「水本さんって、大学あそこですよね? 俺同じとこだったんすよ」

「えぇー、ほんと? 歳は私より下ですか?」

「あ、はい。多分二個下ですね」

「そっかぁ。でも大学で会った事とかないでしょ?」

「いや、それがあるんですよー。財政学の授業取ってませんでした? 火曜の一限。俺、同じ経済学部でたまに授業一緒だったんですよ。俺、その時から可愛い人いるって思ってて」


男はベラベラと喋る。

そういう私も水本さんより一つ上だけど、同じ大学だった。

私は文学部だったけれど。

どうやら水本さんの彼は会社の人じゃないようだし、会ったことはないけど、同じ大学って言っていたような?

まぁあの大学大きかったし、どうせ知らない人だろう。

井上くんは若さなのか、相手が結婚していても関係ないのか、それとも別に普通に喋っているだけなのか、よく喋る。


「財政学で一緒だったんですか? えぇー覚えてなくてごめんなさい。でも私特別目立ってなかったと思うけど」

「いえいえ、いいんっすよ。俺が勝手に見てただけだし」

「えー、なんか照れる。そんな事言われたの初めてです」


水本さんは顔を手でパタパタと仰ぎながら歩いて行く。

二人がまっすぐ歩いて会社を出るのに続いて、私もその後ろに続いた。


「あれ、京? どうしたの? えぇー」


水本さんが驚いた声を出す。

何事かと思って前方を見たけど、水本さんの隣にいた井上くんもきょろきょろしている。

水本さんは小走りになると、彼女に近寄ってきた男性に手を振った。


「佐希、お疲れ。迎えに来ちゃった。迷惑だった?」

「え、ううん。嬉しいけどびっくり。すごく待ったんじゃない?」


話の内容からすると旦那さんのようで、井上くんと同様に男性へと視線を向けた。


あ、見た事ある。

ていうか、同じ大学で同じ文学部だった人。


有名な人。

”京”と呼ばれて騒がれて、文学部の人なら誰もが知っていた。

私もかっこいいと思っていた時もある。あまりの女癖に近付く事はなかったけれど。

色んな女の子をとっかえひっかえしていて、そんな噂なんて誰もが知っていたのに、それでも近寄ってくる女の子は途切れなかった。


そんな人と結婚?

水本さんって大人しいイメージだし、男遊びしているようには見えないから、真面目な人と結婚したんだと思っていた。

今でも王子様みたいな見た目をしているこの人が会社の前に立っているものだから、帰宅する社員が何度も振り返って行く。


こんな人と?

井上くんもびっくりしているようで、ピタッと固まりながら彼を見ていた。


「佐希。同僚の人?」


旦那さんが彼女に首を傾げて聞く。

その視線は井上くんに向けられていて、水本さんは苦笑して困った顔をする。


「同僚っていうか後輩かなぁ」

「へぇ。どうも初めまして。佐希の夫です」

「あ、すみません。初めまして。営業課の井上です」


ぺこっと頭を下げる井上くんを哀れに思いながら、旦那さんを見る。彼は井上くんが気に入らなかったのか、そのうち彼女の手を引くと自分のそばに寄せた。


「佐希。帰ろっか」

「う、うん。あの、井上くん。ごめんね。また明日です」


ぺこっと水本さんは頭を下げると、彼女の鞄を持った旦那さんに手を引かれて帰って行く。

 

彼女の旦那さんが噂の“京様”だとは思ってなかったな。

昔、文学部で確か一部の女子から京様と呼ばれていたはず。


そのあと、駅近くのコンビニに行くと、なぜか水本さん夫婦にまたバッタリ会ってしまって若干気まずくなる。

向こうに気付かれないように帰ろう。


「佐希。これ欲しい」

「うん。買おうよ。あ、私こっち欲しい。入れておいて」

「うんうん」


京様は自分でかごを持っているくせに、アイスを手にして甘えるように水本さんにねだる。ほんわか笑う彼女は可愛らしくて、そんな彼女を京様は嬉しそうに見ていた。

なぁんか京様って思っていたイメージと違うんだよなぁ。

意外と愛妻家?


「佐希。さっきの井上くんと一緒にいちゃダメだよ」

「えー。なんで?」

「分かるでしょ。明らかに佐希の事狙ってた」

「ふふ。結婚してるって言ったよ?」

「ほらー。なんか迫られてるんでしょ。だから結婚してるとか説明することになるんでしょ。指輪もっと太いの作ろうか?」

「大丈夫だよ」


余裕そうにかわす彼女に、京様はむすっとした顔で彼女の手を引っ張る。

その後、会社から電話がかかってきたらしい彼女は店の外に電話に行ってしまった。京様が一人でぐるぐると店内を見て、かごに商品を放り込んで行っている。



「あ、あの。私の事覚えてない?」


え。

私も商品を選んでいたら、いつの間にか新たな女の子が京様へと声を掛けていた。


モテるなぁ。さすがに。

やっぱり京様はそりゃ今でもモテるかぁ。


「どこかで会ったっけ?」


にこやかに笑いながら言う京様に女の子が一瞬がっかりした顔で、頬を膨らませた。


「えぇー、大学の時に何度かおうち遊びに行ったのにぃ」

「あぁ、そうだっけ。ごめんね」


お家に遊びに行ったっていうことは、噂の身体の関係ってやつか。

信じられないけど、これがあの大学の時は常識になってたんだよね。しかも一時とはいえ身体を繋げた相手を全く覚えていないとは京様恐るべし。


「京って結婚してるの?」

「結婚してるよ」

「へぇーなんか京に結婚とか似合わないね」

「そうかな?」

「結婚してもまだ遊んだりしてるの? 私とも遊んでほしいな」


女の子が上目遣いで彼を見上げる。

京様は困った顔をして、首を振った。


「ごめんね。奥さんの事大事にしてるからできないんだ。じゃあね」


京様は彼女に手を一瞬振ると、そのまま後ろを向いて歩いて行った。未練なんて微塵も感じさせないほど、その後ろ姿はあっさりしていた。


レジに向かってお会計をしていると、電話から戻ってきた水本さんが京様の腕に腕を絡めた。

彼の顔は一瞬で嬉しそうになる。


「京。ごめんね、待った?」

「ううん。仕事大丈夫だった?」


そう言いながら、彼女のショートカットの髪を優しく撫でる。

顔つきまでも優しい。


「うん。なんか書類の提出の事の電話だった。別に急ぎでもなかったし」

「そっか。家に帰って一緒にアイス食べよっか」

「わ、ほんとだ。溶けないうちに早く帰ろ」


二人は顔を見つめ合わせて、楽しげに笑いながら帰って行った。 

さっきの彼女が、今の光景を見てぽかんと口を開いている。


そうだよね。

あの“京様”があんな風に変わるなんて誰が思っただろうか。


恋をすると人はあんなにも変わるものなんだ。

文学部だった友達に電話しなきゃ。

みんな絶対驚くだろうな。コンビニを出てから、携帯を握って歩いた。


なんとなく。

幸せになりたいと思った。

誰かとあんな風に幸せを作りたいと思った。




おわり


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