第3章~動物農場~①
彼らは、現在の生活がきびしい最低のものであること、しょっちゅう腹がペコペコだったり寒かったりすること、眠っていないときは、たいてい働いていることなどを知っていた。
しかし、あのころは、たしかに今よりもっとひどかったのだ。彼らは心からそう信じた。
ジョージ・オーウェル『動物農場』より
◆ ◆ ◆
「トゥイッター」
と、思わず、古い方のサービス名を叫んだミコちゃんの言葉に反応した僕たちは、一斉に悲鳴の主のもとに集まる。
彼女が手にしていたスマホには、一宮高校の教室と思われる場所で、光石琴が、僕に小さな箱を手渡す場面が映っていた。
投稿された画像には、メッセージの類は、まったく表示されていないものの、リプ欄には、
・これなに、光石さんから佐々木くん(放送・新聞部)へのワイロ?
・いや、この二人、付き合ってるじゃないの?
・あっ(察し)
というポストが並んでいる。
僕には、まったく身に覚えのないことだけど、まるで、写真週刊誌のスクープ画像のように、光石琴と僕が仲よさげに映っているサマは、第三者からみて、投稿されているポストの様に見えてしまうのは当然だと思う。
そんな、いつ撮影されたものなのか、心当たりのない画像を目にして、言葉を失う僕をよそに、上級生が声をあげる。
「ミコちゃん! 写真を拡大できる!?」
ケイコ先輩の言葉に、「はい!」と応じた後輩女子は、二本の指をピンチアウトして画層を拡大する。
二人の手元をズームアップした画像を確認すると、僕は丁寧にラッピングされたその小さな箱が、見覚えがあるモノだということに気づいた。
「あっ! これ、先月、光石が僕にくれたチョコレートの箱ですよ!」
僕の声にうなずいたケイコ先輩は、たずねる。
「ミコちゃん、この画像のEXIFデータは確認できる?」
「先輩、知らないんですか? いまSNSにアップされる画像は、プライバシー保護のために、位置情報とかは確認できないようになっているんですよ」
多分、放送・新聞部では、SNSの現状にいちばん詳しいミコちゃんが即答した。
「そっか、残念……でも、佐々木くんが、このチョコレートをもらったのは、先月のことで間違いないのね?」
「そうですね! ケイコ先輩から、『取材対象や権力者と一緒に食事をしたり、金品をもらうなんて、ジャーナリストとしては失格モノ』って、お説教されたから、ハッキリと覚えてますよ。たしか、二学期の始業式翌日のことです」
「それだけのことを覚えていれば十分ね。あとは、《トゥイッター》……じゃなくて、《teX》の会社は、画像データを保存しているはずだから、撮影日を確認できるか問い合わせをしましょう!」
ケイコ先輩の言葉に、僕は、ただうなずくしかない。
「校内で盗撮かよ……趣味が悪いな……」
舌打ちしながら、苦々しげに言うトシオに対して、ミコちゃんは不安そうにつぶやく。
「いったい、誰がこんなことするんでしょうか……?」
ついに、自分たち放送・新聞部まで直接的なターゲットになってしまった、という事実が、メンバーに重くのしかかる。
それでも――――――。
重苦しくなる部内の雰囲気に対して、その空気を変えるように、パン、パンと手を叩いたケイコ先輩が告げた。
「はい、落ち込むのはココまで! 私たちに後ろめたいことなんてナニもない! ただ、今は犯人探しよりも、自分たちと光石さんの潔白を証明する情報発信にチカラを注ぐわよ!」
こんな時でも、すぐに雰囲気を切り替えて、次の行動指針を示す上級生の器の大きさに感激して、僕は、文字どおり頭を下げて、お礼の言葉を述べる。
「ケイコ先輩、ありがとうございます!」
ただ、素直に感謝を伝えたいと思った僕の純粋な気持ちを受け取るつもりはないのか、先輩は、「あ〜、はいはい」と、こちらの言葉を軽く受け流してから、こんな宣告を行った。
「別に、お礼を言われるようなことじゃないから……あと、佐々木くんは、これから一週間、放送・新聞部の活動禁止ね!」
一瞬、彼女が言ったことの意味がわからなかった。
(僕が、放送・新聞部の活動禁止……?)
「えっ、どうしてですか!? 生徒会選挙は、これからが大事な時なのに!」
抗議の声をあげる僕を諭すように、ケイコ先輩は告げる。
「そう! これからが大事な時だからよ。佐々木くん、あなたが生徒会選挙の候補者の周りにあらわれることで、光石さんに迷惑が掛かるってことを想像できないわけじゃないでしょう?」
穏やかな口調ながらも、キッパリと語る上級生の言葉に、「あっ…………はい……」と、答えた僕は、うなだれるしかない。
「光石さんは、今のところ、生徒会メンバーじゃないから良いケドさ……今回は、事実上の会長選挙出馬宣言な訳だし、厳密に言えば、次期権力者とメディアの癒着よ、癒着! これは、由々しき事態だわ」
「笑いごとじゃないんだからね! 政治家と会食して得た情報をそのまま、ニュース・ショーでタレ流す政治評論家が、どれだけ有害なのか理解しないと」
光石から、僕のお気に入りの高級チョコレートを受け取ったと報告したとき、ケイコ先輩は、そんなことを言っていたと記憶している。先輩が言ったことは、僕のワキの甘さが、光石琴自身に迷惑が掛かるという意味も込めてのことだったのだ――――――と、ようやく理解することが出来た。
「わかりました……投票日まで、放送・新聞部の活動を自粛させてもらいます」
肩を落としながら返答すると、ケイコ先輩は、優しく微笑んで僕の肩に触れる。
「この間、シッカリと勉強してきなさい。まずは、この本を読んでおくこと」
そう言って、彼女は、通学カバンから、一冊の文庫本を取り出した。これまで、『群集心理』や『宣伝的人間の研究』『煽動の方法』など、難しそうなタイトルの本ばかり読んでいたのとは一転して、『動物農場』というタイトルの文庫本は、表紙に豚、ロバ、犬、牛などの愛らしい動物のイラストが描かれていた。
これまで彼女が読んでいた本とのギャップを不思議に思いながら文庫本を受け取った僕に、先輩は続けて語る。
「それと、佐々木くんのお宅は、サブスクの映像サービスは、どこの会社と契約してる?」
「ウチは、父親と母親が映画好きなので、ネトフリとU−NEXTに加入してますよ」
そう返答すると、ケイコ先輩は嬉しそうに微笑んで告げた。
「それなら、ちょうど良かった! あとで、LANEに自粛期間中に見ておくべきドキュメンタリーの課題作品を送っておくから! この間に、
先輩の押し付けがまし……いや、ありがたい言葉に対して、「わかりました。よろしく、お願いします……」と、形式的に返答する。
こうして、僕は、生徒会選挙の最後の一週間という、いちばん大事な時期に、放送・新聞部の活動を自粛することを受け入れ、自宅に戻ることにした。
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