一日目

 一時間目は国語の授業だった。海亀の甲羅に乗って竜宮城へ向かう浦島太郎の様子を、指がところどころ欠けたクラスメイトが教科書を握って朗読している。頬肉が削げて少し読み辛そうだったけれど、その子は気にしている風ではなかった。

 窓に近い席で、水面下に揺蕩たゆたう日差しがよく見えた。ちょうどおり良く、渦巻くいわしの群れの傍らを海亀が悠然と泳いでいた。その姿を眺めていると、教室の窓全体に巨大な眼窩がんかが映った。石灰岩にも似た頭蓋骨の輪郭と整った歯並びが間近に見え、二つのくらい空洞が覗きこんでいた。

 騒ぎにはならなかった。巨人の頭蓋骨が再浮上して視界から消え、滞りなく授業は進行された。この町では当たり前の光景なのだ。

 放課後、魚に食われたのか、四肢のいずれかが欠損した友達と別れた。帰路に就く。通学路には昆布が漂い、公園の砂場にはヒラメが身を潜めていた。目の前を、傘を膨らませては萎ませて海月くらげの触手がよぎった。

 遠い雄叫びが響いた。水に沈んだ空を見上げると、理科室の人体模型によく似た、下半身のない巨人の骨が腕を広げていた。伸びた脊髄の尾を揺らめかせて、水面を透過する日差しを遮る。束の間頭上を影が通過していった。

 あれは生きている。時折雄叫びを上げ、傍らに内臓を食い破られた鯨の死骸が浮かんでいることもあった。どこに胃袋があるのだろうか、と疑問に思った。

 少年はランドセルを背負ったまま家路を急ぐ。水の空を漂う巨人の骨にはもう目もくれず、児童公園を通り過ぎた。遊具のドームの穴からウツボが顔を覗かせ、黒い穴に似た目でその背中を見送った。

 家に帰ると、台所で夕食の支度をしていた母親が出迎えた。下顎が欠落し、上唇だけで笑みをかたどる。海水で満たされた空っぽの鍋をおたまでかき混ぜている。エプロンが通された背中を横目に、二階の部屋へ駆け上がった。戦隊物の赤いフィギュアが勇ましく片手を振り上げたまま、室内を漂っている。殆ど使われない勉強机と漫画ばかりの本棚。ランドセルを放り投げて、また階段を下りた。遊びに行くむねを伝えて、靴を履いた。玄関を出る前に、彼女の声が背中に届いた。下顎がないためか、意味のある言葉になっていなかった。

 悪友の成瀬川なるせがわを始めとした、数人の友達と待ち合わせをしてサッカーに興じた。ボールは同級生の女の子の生首で、水中に蹴り上げられた彼女の顔は無邪気な笑みをたたえていた。その影を瞳に映す。舞い踊るおさげが別の生き物に見えた。

 帰らなければ。ふとそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る