大学デビューしようとしたのに、隣人の病んでるお姉さんに捕まってそれどころじゃなくなった件
天江龍(旧ペンネーム明石龍之介)
第1話
「んー、いい朝だ」
四ノ宮太志、この春十九になったばかりの俺は今日から晴れて大学生。
念願の一人暮らし初日の朝。
少し早起きして寝巻きのままベランダで朝日に目を細めながら背伸びする。
体が軽い。
いや、気分の問題だけではなく本当に軽い。
高校生の時、俺はデブだった。
だからといって友達がいなかったわけでもなく、むしろ学校では人気者と呼ばれる存在だった。
自分でいうのもなんだが社交性はあるし勉強もそこそこだったし。
だからこそ自分はこのままでいいんだと思って高校生活を満喫していたんだけど。
高校三年生の冬のことだ。
クリスマスシーズンにこぞって男友達に彼女ができたこともあり、焦った俺は密かに恋心を寄せていた同じクラスのほのかちゃんを二学期最後の登校日の後、デートに誘った。
いつも気さくに話してくれて、誕生日にはプレゼントも互いに渡したりする仲のいい子だった。
高校生らしくカラオケに行って、ファミレスで夕食を食べたあと。
俺は意を決して告白した。
が、しかし。
「私、太ってる人はちょっと……」
見事に玉砕した。
初めての失恋、そして挫折だった。
俺はあろうことか、ほのかちゃんを残してそのままファミレスを出てしまった。
もちろん、この出来事も俺が痩せようと思った理由の一つなのだがそう決意させられたのはその後のこと。
悔しくて泣きながら店を出た俺は何人かの友人に連絡してフラれたことを赤裸々に語ったんだが。
みんながみんな口を揃えて言った。
「いや、お前はお笑い枠じゃん」
その言葉が俺に刺さった。
失恋とのダブルパンチで、完全に打ちのめされた。
結局、みんなからすれば俺はデブの道化でしかなかったのだ。
そんな俺が彼女なんて思い上がりもいいところだと。
痛感して帰宅してから涙にくれた翌日から。
俺は痩せると決めた。
冬休み間、ほとんど断食のような食生活を貫いた。
糖分が足りずふらふらになりながらも減量中のボクサーさながらに水だけを飲んで生活して。
小遣いは全部サウナに費やした。
そしてふらふらのまま、朝から晩までずっとランニングと腹筋を繰り返した。
俺の通っていた高校は進学校なので三学期はほとんど自由登校だったこともあり、既に推薦で大学が決まっていた俺は学校へ行かず一月二月もずっと、ダイエットに時間を費やした。
あの日々は壮絶だった。
でも、なんとか卒業式までに生まれ変わってみんなを見返したかった。
来る日も来る日も。
ひたすら痩せることだけを考えてついに。
俺は痩せた。
まるでモデルのようなスタイルと、バキバキに割れた腹筋を手に入れた。
元々自分の顔立ちは痩せれば男前だと勝手に思っていたんだが、その予想は間違いではなかった。
少し古風だが紛れもない男前が鏡の前にいた。
これならみんな、俺をお笑い枠だなんて言わないはずだ。
ほのかちゃんだってもしかしたら俺に振り向いてくれるかもしれない。
明るい未来を想像し、俺は鏡の前でニヤリと笑い。
倒れた。
卒業式の前日のことだった。
貧血、栄養失調、他諸々。
ボロボロだった俺は三日ほど高熱にうなされて病院のベッドで管に繋がれていた。
もちろん卒業式には出席できず。
何人か友人がラインをくれていたが、その後会いにくるようなやつもいなくて。
後日送られてきた卒業アルバムの中の俺は、みんなが知っているお笑い野郎のままだった。
と、まあこんな感じで俺はとにかく痩せた。
もう誰も、俺を笑い者になんかしないはずだ。
早速入学式で可愛い子をチェックして、新入生歓迎コンパなんかに参加して。
夢のモテモテライフが待っているはずだ。
「よーし、やってやるぞー」
「あのー」
「……ん?」
女の人の困ったような声が聞こえた。
声のする方をみると、隣のベランダの仕切りの上からひょこっと顔を覗かせた女性がこっちを見ていた。
「うわっ」
「あ、すみません驚かせて。あの、ちょっといいですか?」
一瞬驚いたが、よく見ると随分と可愛い人だ。
センター分けがよく似合う大きなタレ目の女の子。
いや、俺より年上か?
もしかしたら同じ大学の人かもしれない。
こんな可愛い人が隣の部屋だなんて、こんな嬉しい偶然もあるんだな。
しかし困っているようだがどうしたんだろう。
「はい、なんでしょうか?」
「ええと、部屋の電球が切れちゃって。でも、どうやって取り替えたらいいのかわかんなくて困ってたんです。手伝ってもらえませんか?」
その大きな瞳は少し涙ぐんでいるようにも見える。
よほど困っているのだろう。
まだ入学式まだ時間はあるし、問題はないか。
「ええ、いいですよ。それではそちらに行きますね」
俺はベランダから部屋に戻り上着を羽織ってから外へ。
そしてすぐに隣の部屋の前で待っているとガチャっと扉が開いた。
出てきたのはもちろんさっきの女性。
全身が見えると、思ったより小柄でどこか幼さも残るそんな雰囲気だ。
薄ピンク色のワンピースがよく似合う。
「すみません急に。あの、二◯一号室の来栖ゆうなと言います」
「あ、あの。俺は今日からここに住む」
「四ノ宮太志さん、ですよね?」
「え、なんで俺の名前を」
「あ、いえ、それは……先日私のところに四ノ宮さんの荷物が一件間違って送られてきてまして。それで覚えていたんです」
「あ、ああなるほど」
「では、あがってください」
「お、お邪魔します」
初対面の人に、名乗る前に名前を呼ばれてドキッとしたが、まあマンション暮らしならそんなこともあるか。
それにしても、いくら成り行きで人助けのためとはいえ大学初日の、それもまだ入学式も終わっていない朝からこんな綺麗な女性の部屋にお邪魔することになるとは。
やっぱり痩せたことで俺に運気が来ているようだ。
ここで優男アピールをして、お近づきになって美人なお隣さんと……なんてな。
でも、これから大学デビューしようっていうのだから綺麗な女性の知り合いが増えるのは大歓迎だ。
さてと、さっさと仕事を終わらせるか。
「ええと、あの電球ですか?」
「はい。そこにある脚立使ってください」
「は、はい。では」
俺の部屋と同じ間取りのその空間はしかし、まだダンボールだらけの味気ない俺の部屋とは全然違う。
綺麗に畳まれた布団が置かれたベッドや参考書なんかが並ぶ本棚、それにテレビと部屋の真ん中にはこたつ机。
これぞ一人暮らしといった感じのこの部屋には甘い香りも漂っている。
女性っぽい香りだ。
なんか、ドキドキするな。
「ええと、これでいいと思いますけど」
今更ながら女性の部屋に招かれた事実にドギマギしつつ、なんとか電球を取り替えた。
すると、「わー、ありがとうございます」と両手を合わせて喜びながら来栖さんが俺のそばにきた。
「あの、なんとお礼したらいいか」
「いえ、いいですよこれくらい。まあ、また困ったことがあったら言ってください」
「はい。本当にありがとうございました」
そう言ってから、来栖さんは頭を下げたあと淡々と脚立を片付けはじめた。
正直、この流れで迫られてあんなことやこんなことが……なんて間違いとか起こらないかって期待はほんの少しだけあったけど。
こんな朝っぱらからそんなのあるはずがないか。
それになんと言ってもこの後は入学式だし。
俺もさっさと部屋に戻って準備しないとな。
「じゃあ俺はこれで」
あまり未練たらしく長居するのはよくないと、部屋を出ようとしたその時だった。
「あの、ちょっとだけお茶していきませんか?」
来栖さんが遮るように俺の前に来てそう言った。
「え、でも俺このあと」
「入学式なんですよね? でも、まだ時間はありますよ?」
「ど、どうしてそれを」
「そんなの、なんとなくわかりますよ。この辺で一人暮らしする人なんて、うちの大学の生徒くらいですし」
「あ、ああなるほど。じゃあ来栖さんもそうなんですか?」
「はい。私は今年二回生になるので四ノ宮さんの一つ先輩ですね」
控えめに笑いながら、来栖さんは一歩俺の方に近づいてきた。
さっき部屋に入った時に嗅いだ甘い香りが強くなる。
「あ、あの……それじゃせっかくなんでお茶、いただきます」
「ええ。お湯を沸かしてきますからそこに座って待っててくださいね」
甘い香りを残して、来栖さんは部屋から出て行った。
俺はその香りに頭をクラクラさせながら、無意識のうちに床に置いてあったクッションの上に座っていた。
さっきまではあまり意識していなかったけど、今って来栖さんと部屋で二人っきり、なんだよな。
もちろん何もないとわかっていても、ドキドキしてしまう。
意識するなと思うほど、胸の鼓動が早くなる。
でも、来栖さんは自然体だったな。
やっぱり、男の人を家に招いたことくらい普通にあるんだろうか。
彼女のベッドや窓の外に見える洗濯物を見てそんなことを考えてまた勝手にドキドキしながら。
来栖さんの戻りを待った。
♡
「四ノ宮君が私の部屋にいるなんて夢みたい……」
やかんを火にかけながら。
廊下で一人うっとりする。
初めて一人暮らしをする彼の住む部屋が私の隣の部屋で。
大学生になって一番最初に出会うのは私で。
彼が初めて訪れた女の人の部屋も私の部屋。
君の初めては全部、私。
ああ、幸せ。
あの日からずっと、ずーっと君のことを待ってた。
君は私の恩人。
そんな君が私の隣に越してくると知って、もうこの気持ちを止めることなんてできなかった。
いっぱい甘やかしてあげたい。
ダメにしてあげたい。
養ってあげたい。
ちゃんと私が管理してあげないと。
「……ちらっ」
こっそりと、廊下と部屋を区切る扉の隙間から彼を見る。
キョロキョロと部屋を見渡しながら落ち着かない様子。
可愛い。
偶然、ここに迷い込んだとか思ってるんだろうなあ。
可愛い。
好き。
でも、違うんだよ?
「あなたにとっては偶然でもね、これは全部必然なの。私と君が結ばれるのは、運命だから」
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