第21話 時を超えて
「……あれ。僕、どんな夢を見てたんだっけ……?」
目を覚ました僕は、つぅ、と頬をつたう涙を拭った。
嬉しいような、寂しいような夢を見ていた気がするが、もう思い出せなかった。
ピンポーン。
玄関で僕を呼び出すチャイムの音が鳴る。それと同時に、相変わらず大きな親友の声が寝室まで聞こえてきた。
「おはよー! おーい、透真ー。生きてるかー」
それなりに急いで歩き、玄関を開けようとしたが、ドアを開けたタイミングでもう一度チャイムが家の中に鳴り響いた。
「あっ、やべ。出てきてたわ」
「……
「悪い悪い。まだ寝てんのかなって思って鳴らしちゃったわ。ほら、大作家先生は早起きとは無縁になったのかなー、なんて」
陽は悪びれる様子もなく、手土産だと大きなスイカを僕に渡すと、慣れた仕草で僕より先に僕の家に入っていった。
「まぁ、先生やってる陽よりは遅い時間に起きてると思うよ」
「やっぱり……。はあ、いいなぁ。せっかく大人になったっていうのに、学生時代からずっと同じ起床時間なんだぜ? ほんと損した気分」
「朝練が無い分、遅くなったんじゃないの?」
「……顧問になっちゃったから一緒。っていうか、むしろ朝練の生徒より早く行って鍵開けてるから最悪。……今になって先生の苦労が身に染みる……」
「よかったね。先生側の気持ちがわかるようになって。あ、これ凄く立派なスイカだね。ありがとう」
「夏といったらスイカだからな。夏季休暇なんて……教師側は全然休みじゃなかったからなぁ。せめて、秋になる前に夏を感じようと思ってさ」
「確かに。大人になると食べ物で夏を感じるようになるよね。切ってくるよ」
陽から受け取ったスイカを切り分けると、冷房の効いた部屋へと運んだ。少しぬるい麦茶に氷を入れて、陽の前に差し出した。
「サンキュー。そういえば、久しぶりに旧校舎に入ったよ」
「旧校舎に? なんでまた……」
「旧校舎の取り壊し、明後日に決まったんだ。だから、最後に見回りと片付け」
「……そっか。本当に、なくなっちゃうんだね」
「透真、本当に見に来なくていいのか?」
「大丈夫だよ。……僕はもう、部外者だしさ」
「OBの大作家先生が来てくれたら、普通に学校は喜ぶと思うけどな」
「ふふっ、ありがとう。でも、本当にいいんだ。あの場所にはもう誰もいないから」
陽はふぅん、と納得したのか、それ以上何も言わなかった。
「そういえば、片付けしてたら旧校舎の文芸部の部室に入りたいっていう生徒がついてきてさ、俺も久しぶりに部室に入ったんだけどさ、多分お前のシャープペンが落ちてたぞ」
「えっ、嘘。無くしたなぁって思ってたんだよね。いつの間に落としたんだろう……」
「さぁな。でも、あんなとこに落ちてたにしては、意外と綺麗な状態だったな。それでさ、その生徒が文芸部に興味があるみたいだったから、お前の話をしてやったんだ」
「え、何勝手に話してるの」
「いや、ほら、高校生の時に言ってただろ。なんとかって先輩を探してたけどいなかった、みたいな話。あの話が引っかかってて、ずっと名前が思い出せなかったんだけど、その生徒と話してるうちに思い出してさ。千夏先輩だろ? あれ、結局見つかったのか?」
「陽、覚えてたんだ。まぁ、先輩は見つかりはしなかったんだけど……僕のことは見つけて貰えたと信じることにしたんだ。僕がここで言葉を紡ぐ限り、先輩はどこかで読んでくれてると思うから」
「そっか。じゃあ、もしかしたら、このファンレターの山の中に先輩がいるかもしれないな」
陽は僕宛てに送られてきたファンレターの入ったダンボール箱を指さして言った。
「……そうだといいな」
「随分、大きな封筒も入ってるんだな。ファンレターにしては気合いが入ってる……」
「あぁ、これはファンレターじゃないみたいなんだけど、編集者さんが置いていってくれたんだ。なんか、僕宛に高校生が自分の書いた作品を送ってくれたんだって」
「へぇぇ。昔のお前みたいだな。……なんか、こういうのいいよな。高校時代を思い出す」
「そうだね。えっと、送り主の名前は――……」
◇ ◇ ◇
海の見える自室の窓辺に座って、千夏は大切な宝物を抱えるようにして一冊の本を読んでいた。窓から入る潮風に千夏の髪が靡いている。
部屋の片隅にある本棚に、読んでいた本をそっと戻すと千夏は嬉しそうに口元を緩めた。
そこには、ボロボロになった薄汚れた文集と綺麗に製本された二冊が大切そうに並べて置かれている。
大切そうに並べられた二冊の本には、どちらも『潮騒の心臓』というタイトルが印刷されていた。
ボロボロの文集を指で撫でると、誰にも聞こえないくらい小さな声で囁いた。
「……後輩くん、やっと私も書けたんだ。遅くなっちゃたけど……キミも読んでくれるかな?」
千夏は大きめの封筒に、あの日文集に入れるはずだった自分の小説の原稿用紙を入れると、願うように封をした。
青い空と海が見守る中で、夏の日差しに目を細めると、千夏は真っ赤なポストに原稿用紙の入った封筒を投函した。
カタン、と夏の想い出を飲み込む音がした。
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