第6話 失敗

 



「やっほー、青少年! 演劇の準備は順調かい?」


 部室に入ってくるなり、よくわからないテンションで肩を組んでくる先輩の手をさっと受け流して僕は言った。


「今日はどういうキャラ設定なんですか……。まぁ、少しだけ危ない場面はありましたけど、概ね順調ですよ」


「豪快な師匠キャラだよ! それで、危ない場面って?」


 先輩に促されて、先日あった出来事を僕はかいつまんで話した。なんとなく、声をかけようとしてかけられなかったことは先輩には話したくなかった。


「はー、大変だったね。その友達はなかなかにスマートな対応だ」


「はい。陽のおかげでペンキで汚れた背景は分割して使うことになったので、そこまで時間のロスも大きくならずに済みました」


「ふざけてた子も、描いていた子も、場を和ましてくれる人がいると多少は救われるよね〜」


 うんうん、と頷いて陽を褒める先輩に、親友を自慢したい気持ちと自分の無力さが交互に顔を出す。


「先輩のクラスは順調ですか? 何をやるんでしたっけ」


「私のクラスは普通の喫茶店。メニューさえ決めれば、衣装はエプロン用意するくらいだから楽ちんだよ」


 ……メイド服とかじゃないんだ。


「ねぇ、今メイド服じゃないんだって思ったでしょ?」


「まぁ、少しだけ……」


「後輩くんのむっつりス・ケ・ベ」


「なっ……。僕が好きとかじゃなくて! だって先輩、そういういかにもなイベントっぽいの好きでしょう?」


 急に小声で悪戯っぽく言われると、意識していなくてもついつい顔が熱くなる。先輩なら率先して奇抜な格好をするだろうと思ったからで、僕の好みとかそういうつもりで言ったわけじゃない。確かにメイド服は好きだけど。

 僕が慌てて訂正すると、先輩は悔しそうに言った。


「好きだよ! だって、やっぱり学生がやる喫茶店といったらメイド服でしょ! 提案してみたんだけどさ、予算が足りないって話で没になっちゃった。制服エプロンにも需要はあるんだってさ」


 先輩のエプロン姿を想像しかけた僕は、なんとなく悪いことのような気がして、雑念を振り払うように首を横に激しく振った。




 ◇ ◇ ◇




 担当した小道具の色塗りを終えた僕と陽は、ペンキが乾きやすいように風通しの良い場所へと小道具を動かしていた。

 僕たちが教室へ戻ると何やら揉めているようで、クラスメイト達が美術部員を囲んで男女に別れていた。慌ててその場へ戻って、陽が声をかける。


「ちょいちょいちょい、待て待て! 今度はどうしたんだよー?」


 クラスメイト達は俯いたままで、場を和ませようとしている陽の明るい声が妙に痛々しく感じてしまう。


「……昨日ペンキで汚した分の修正、範囲は少なくなったとは言っても一枚分は描き直しじゃん? 美術部員だけじゃどうしても間に合わないから、手伝って欲しいって言ったんだけど無理だって言われて揉めてるの」


「俺たちだって手伝いたくないっつってるわけじゃないじゃん。部活があるから元々の予定以上の時間は取れないって言ってるだけだろ!」


「それじゃあ、準備が間に合わないって言ってるでしょ! 元はと言えば、あんた達が原因なんだから責任くらい自分で取りなさいよ!」


 ふざけていた男子達は一年生ながら運動部のレギュラーで、これ以上部活の練習時間を減らすわけにはいかない、というのが理由らしい。大人しい性格の美術部員が言いくるめられそうになっていたところを正義感の強い女子達が援護したことで、男子と女子で対立し始めているようだった。


「だから、それは悪かったって言ってんだろ! でもマジでもう休めないんだから、帰宅部とか文化部でやれる奴にやって欲しいんだってば!」


「帰宅部だって、だいたいの人はバイトのシフトがあるんだからそっちの方が休めないわよ!」


「なら、文化部ならいいだろ! どうせ、大会だってないんだからさ」


「はぁ!? 何よ、その言い方! 文化部だって部活があるのは一緒でしょ!?」


 どちらも譲らない言い合いに苛立っているせいで、男女の対立が次第にヒートアップしていく。いつもなら率先してこの場を収めようとするはるも、部活があって代わることが出来ないとわかっているからこそ口を挟めずにいた。


「そうだ! 透真、お前文芸部だったよな。部員も確かお前だけだろ? 頼むよ、俺の代わりに背景手伝ってくんねぇかな!」


 急に話の矛先を向けられて反応が遅れてしまう。その間にも男子達が両手を合わせて僕を拝み出した。周りを見渡すと、あからさまに皆がほっとしたような表情で僕を見つめていた。


 バイトもない、大会もない、それどころか他に部員もいない何をしているかも不明な部活の僕だったら、なんのしがらみもなく引き受けて貰えると皆の視線がそう言っているのがわかった。


「あの、僕は……」


 彼らの言う通り、僕が引き受ければ誰も困らずに済む。放課後は先輩と毎日部室で会っていたけどそれだけだ。文集も全然進んでいないし、締切も夏休み明けと言っているからまだ余裕もあるから問題はない。


 だけど、これって僕一人だけが手伝うだけで本当に間に合うのかな。もし、間に合わなかったら……その責任は僕になるのかな。

 言葉にしたいのに、考えがまとまらずに脳内でぐるぐると独り言を反芻はんすうする。


「透真……? 無理しなくていいんだよ? いっつも透真ばっかに押し付けるみたいなのって良くないよ。出来ないなら出来ないって言っていいんだよ……?」


 女子の意見をまとめていた明穂あきほが心配そうに僕の顔を覗き込んだ。

 正義感が強くて、意見を言えない人の代わりに意見を出してくれる明穂は女子からの信頼も厚い。さっきまで男子に面と向かって反論していた明穂あきほは、思わず黙り込んでしまった僕を嫌がっていると誤解しているようだった。


「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


 これ以上黙っていても余計な心配をかけるだけだ。


 心配も迷惑もかけたくなくて、僕はまとまらない思考を伝えることは諦めた。


「いいよ、僕がやるよ。僕なら部活は大丈夫だから、ね?」


 皆を安心させたくて、はるのようになりたくて、僕は下手くそにへらりと笑ってみせた。

 視線が重なった明穂の表情がぐにゃりと歪んだ気がした。


「よかった、助かったー! やっぱり困った時は透真様だよなー! お前って本当に面倒見がいいよなー」


「そんなことないよ」


「そんなことあるって! マジで助かった。後で差し入れになんか買ってくるな!」


「もしかして、僕のこと買収しようとしてる?」


「してない、してない! でも、マジでサンキューな!」


 良かった。

 僕にも出来た、と心の中で安堵しながら、賑やかさの戻ってきた教室を見渡した。

 そして、振り返った僕の視界に飛び込んできたのは、目にいっぱいの涙を溜めた明穂だった。


「……え? 明穂、どうしたの?」


 下手な笑顔を貼り付けたままの僕を一瞥いちべつすると、明穂は悔しそうに言った。


「……透真は、いつもそうだよね。なんか言いたそうに黙ったかと思えば、自分が我慢すればいいみたいにそうやってヘラヘラしてさ。……言いたいことがあるなら言えばいいじゃん!」


 ――見透かされた。


 上手く隠せていると思っていたわけではない。だけど、気づいてくれていた人がいた。見て、くれていた。そんな場合ではないとわかっているのに、それが少しだけ嬉しかった。


「透真が言いたいこと飲み込んでるのを見て、うちらだけ楽しめると思ってるの?」


「そういうわけじゃ……」


「あたし達はさ、透真の友達なんじゃないの……?」


 叫ぶわけでもなく、静かにぶつけられた明穂の感情が、僕のしていたことは独りよがりなんだと訴える。


 はっ、と我に返った明穂が慌てたように涙を袖で拭って、廊下へと駆け出した。静まり返った教室で、皆の視線が僕へと注がれる。


「……僕だって、自分が何を言いたいのか。……わからないんだよ」


 誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いて、僕は重い足を引きずって明穂のことを追いかけた。


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