第5話 太陽は眩しすぎて
先輩と海まで走った日、僕は確かに心が熱くなるのを感じた。あの感覚を忘れてしまわないように、あの瞬間に感じた想いを文章へと
部室に来て他愛のない会話をして、小説の構想を語り合う。二人きりの部室で紙にペンを滑らせる音が心地が良かった。それが日常になってきた頃、構内の雰囲気が活気づいて騒がしくなってきた。
「なんだか賑やかになってきたね」
「もうすぐ納涼祭ですからね」
「納涼祭って響き、なんかいいよね」
「なんかってなんですか?」
「うーん、風情がある! 夏祭り、とか学園祭っていうよりなんか良くない?」
「あー、それは分かる気がします。賑やかなだけじゃなくて、夏の夜の僅かな涼しさとか、夏の始まりと終わりを意識するみたいな、心地良さがありますよね」
「そう、それ! ……随分と素敵な言い回しが出来るようになったね、後輩くん?」
私のおかげだ、とでも言うように先輩が胸を張った。勿論、本当に小説を書くようになってから、言語化するのが以前よりも苦ではなくなってきていた。
「一言で言い表せないことがこの世界には沢山あるってことがわかりましたから」
「そうだねぇ。良きかな、良きかな」
納涼祭が終われば、いよいよ夏休みに入る。学園祭のように出し物の準備で授業も部活も少なくなる期間は、生徒の夏休みへと気持ちを高めていく。
「透真くんのクラスは出し物何をやるの? やっぱり定番の喫茶店とかお化け屋敷とか?」
「演劇ですよ」
「じゃあ、君が脚本だ!」
「なんでそうなるんですか……。既存の作品をやるに決まってるでしょう」
「えー、なんで。せっかく文芸部がいるのに勿体なーい」
子供みたいに口を尖らせる先輩に、流石に無理に決まってるでしょ、と僕は言った。
「無理って決めつけるから無理なんだよ! 役者だって演劇部の子を出すんでしょ? せっかく文化部の腕の見せどころなのに……不公平だよ!」
「まだ小説を完成したこともないのに、いきなりそんか大役やれるわけないじゃないですか。そりゃあ、主役級の役者はクラスの目立つ人と演劇部の人でやりますけど」
「既存の作品って何をやるの?」
「ロミオとジュリエットですよ」
「うわー、定番だ」
「うわーってなんですか。定番でいいじゃないですか」
昼休みが終わる予鈴が鳴り、僕は慌てて荷物をまとめた。部活の時間が削れる代わりに、納涼祭まではこうして昼休みに集まることにしていた。サッカー部や大会があるような大きな部活は、開始時間が遅くなる程度だけど、僕たちのような文化部は殆どが納涼祭の準備に回されている。
諦め悪くまだぶつぶつと文句を言っている先輩を軽く無視して、先に戻りますね、と僕は部室を後にした。
◇ ◇ ◇
「遅いぞ、透真!」
「陽、ごめん。先輩に呼び止められちゃって……」
「冗談だって。新入部員の先輩と大分仲良くなってるみたいで俺も嬉しいよ……」
「いや、それ何目線なの」
「透真とはなんだかんだ付き合い長いからなー。もう、親目線みたいなとこあるんだよなぁ」
「えぇ……。どっちかって言ったら僕の方が保護者枠だと思うけど」
「いや、本気な話。最近、言葉に詰まることも減ってきたし、前より部活も楽しそうだし、普通に嬉しいんだよ。お前のいいところが周りにも伝わるようになってきたのがさ」
「……はいはい。ほら、小道具作り始めるよ。これとこれは僕たち二人の担当なんだから」
「りょうかーい」
陽の真っ直ぐな視線で見つめられると、思わず逸らしてしまう。本気で心配してくれているのが分かるからこそ、照れ臭くて僕は陽に背中を向けた。
普段目にすることのないペンキの缶が、教室の中を
教室の壁に立てかけられている大きな板は、大道具担当に割り振られた美術部員が大胆に描き出していた。
「俺らは塗るだけだからまだいいけど、この小道具の下書きに何パターンかの背景を描かなきゃいけないなんて、美術部大丈夫かな?」
「大丈夫じゃないと思う……。ギリギリ間に合うくらいのスケジュールだって、さっき言ってたから」
そうは言っても、準備は
だからこそ、祭りの空気に浮かされて、
「うわっ! やべっ、避けて……っ!」
ガシャン。
出来たての小道具を持ってふざけだした男子達がチャンバラごっこを始めると、一人が攻撃を受けきれずによろめいて、近くに置かれていたペンキの缶を蹴飛ばした。
しん、と静まり返った教室で、全員の視線が音のした方に集まるのがわかった。
「……やだ、嘘……。さっき、私が書き終えたばかりの背景が……」
あとは乾かすだけと隅の方に置かれていた大きな絵に、赤いペンキが飛び散っていた。
赤く染まった
さっきまでの楽しい雰囲気が一瞬で
誰が責任をとるんだ、と無言の視線が問い詰める。教室の空気が冷えていくのがわかった。
泣きそうな美術部員を大丈夫だと励ましたい。だけど、無責任な励ましなんかじゃ意味が無い。嫌な空気を
何か声をかけたいのに、咄嗟に言葉が浮かんでこない。理由をつけてぐずぐずしている僕は、結局ただの意気地無しだ。まるで、その事実を突きつけるかのように、隣に居た
「おーい、大丈夫だから、そんな顔すんなって! ほら、これなんかちょうど赤いペンキだから血みたいじゃん!」
場にそぐわないくらいの明るい声で陽が言った。
「この背景の半分だけ切り取ってさ、半分だけ描き直したらラストシーンで使えるよ! 置き換えて血が飛び散るっていう演出にもなるし、めっちゃ良くない? な!」
陽の言葉に教室の張り詰めた雰囲気が徐々に解けていく。
「確かに! さっすが、陽。その案めっちゃ良いよ! 描き手間も半減して、演出もクオリティアップとか、マジ天才!」
「ふっふっふー、やっぱり天才だってバレちゃった?」
「バレちゃったバレちゃった!」
笑い声が戻り、全員の顔に笑顔が戻り始めた。そんな中でそばに居る人にしか分からないくらいさり気なく、陽はふさげていた男子達と泣きそうだった美術部員に声をかけていた。
「よーし、お前ら作業に戻れ戻れー!」
「なんだよ、陽。それ、担任の真似してるつもりか? 全然似てねーよ!」
「るっせー! これでもこのネタ、先輩ウケいいんだからな!?」
「ギャハハ! 先輩に気ぃ使われてるだけだろ! ほんと陽はバカだなー!」
くだらない馬鹿げたやり取りも、深刻にならないようにいつもより明るい声色も、自然にやってのける
陽のおかげでいつも通りの雰囲気に戻った教室の片隅で、僕は伸ばしかけた手をそっと引っ込めた。この手で掴めるのは何も出来なかった無力感だけで、僕は恨めしげに手のひらを睨みつけた。
「やっぱり、
窓から差し込む太陽の光に照らされて、クラスメイトに囲まれて笑う
後ろからは、楽しそうな笑い声が聞こえていた。
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