神崎リナは隙を見せない

オチャメペンギン

第1話

4月10日。全国民が待ち望む特別な日がやってきた。


 国民奉仕記念日——政府が国民に感謝を示し、社会全体を少しでも良くしようと提供する様々な優遇措置の日だ。その中でも特に注目を集めるのが「快適優遇措置サービス」、通称「適サー」である。


 適サーは、政府が支援の必要性を認定した国民に、1年間専門スタッフ——つまり「メイド」を派遣する特別な支援制度だ。住み込みで派遣されたメイドが、家事、食事、生活改善の指導、さらには精神的サポートや社会復帰の支援まで行うというもの。


 対象者は厳正な選考によって選ばれるが、倍率は数百倍とも言われている。それでも「適サーを受けた人の9割以上が生活の質を向上させた」という実績があるため、全国で大人気の制度だ。


 ——で、なぜか俺がその狭き門をくぐり抜けてしまった。正直、応募は冗談半分だったのに。


 午後1時、玄関のチャイムが鳴る。


 「ついに来たか……」


 ソファでゴロゴロしていた俺は、だらしなく体を起こして玄関へ向かった。適サーの担当者、つまり住み込みのメイドがやってくる日だ。扉を開けた瞬間、俺は目を見開いた。


 想像以上に「本物」すぎるメイドだった。


 黒髪をきっちりまとめ、クラシックなメイド服を完璧に着こなした女性が立っていた。切れ長の瞳と陶器のように白い肌、その背筋の伸びた姿勢には無駄が一切なく、一挙一動が整然としている。冷静で凛とした雰囲気を漂わせ、まるでドラマの中から飛び出してきたような存在感だ。


 「初めまして。適サー担当の神崎リナです。本日より1年間、よろしくお願いいたします」


 透き通るような声と深々とした一礼。その動作に、余計な感情も隙も見当たらない。俺はしばらく固まったまま、ようやく言葉を絞り出した。


 「……え、あ、ああ。よろしく……」


 彼女は軽く頷くと、スーツケースを引いて家の中に入った。靴を脱ぐ仕草すらも優雅で、俺はただ呆然と見つめていた。


 「まずは生活状況を確認させていただきます」


 彼女はそう言うと、リビングを一瞥し、足早にキッチンへと向かう。散乱する雑誌、床に転がった洗濯物、シンクに溜まった食器。それらを淡々と整理しながら、メモ帳を取り出して何かを書き込む。


 「非常に非効率な状態です」


 「非効率?」


 「はい。この部屋の現状では、生活の質が著しく低下します」


 俺は床に転がる洗濯物を見て苦笑した。


 「いやいや、俺はこれで困ってないし?」


 「困っていなくても、改善が必要です」


 バッサリと言い切る彼女に、俺は反論する気を失った。すると彼女は冷蔵庫を開け、再び何かを書き始めた。


 「おいおい! 勝手に冷蔵庫開けるなよ!」


 「冷蔵庫の内容確認も、生活改善の一環です」


 「俺の生活を勝手に改善するな!」


 俺が抗議しても、彼女は微動だにせず冷静な態度を崩さなかった。その様子に、俺は頭を抱えた。


 「お前、怖いんだけど……」


 夕食時。彼女が用意した料理をテーブルに並べる。香りだけで食欲をそそるその料理に、俺は思わず箸を手に取った。


 「これ……お前が作ったの?」


 「はい。栄養バランスと味の調和を考慮しました」


 俺は恐る恐る一口食べてみる。そして——。


 「うまっ! 何これ、めっちゃうまいじゃん!」


 思わず声を上げると、彼女はほんの一瞬だけ眉を動かしたが、返ってきたのは相変わらず淡白な一言。


 「それは良かったです」


 「いやいや、良かったどころじゃないって。お前、プロの料理人かよ!」


 「適サー担当者として、最低限の技能です」


 さらりと答えるその様子に、俺はため息をついた。どれだけすごいことをやっても、それを当然のように受け流す。隙のなさが逆に腹立たしい。


 「お前、ほんと隙がないよな。ちょっとくらいポンコツなとこ見せてくれよ」


 「……そのような要望は業務内容に含まれていません」


 俺がニヤつきながら言うと、彼女は静かに片付けを始めた。その動きすら、やっぱり完璧だ。

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