中秋の名月
つつみやきミカ
中秋の名月
美月の話をします。私は美月の友達です。
軍人学校で同じ学校になって、最初に話しかけてもらった。美月は容姿も美しくて、今までの私の友達にはいないような雰囲気だった。だから第一印象は仲良くなれないと思うほどだった。おまけに出会った当日にはその辺の同級生を指さして「あの人かっこよくない?」と言っていた。私はあまり恋愛に好意的ではなかったし、第一数年間片想いをしている相手がいたので、新しい環境で浮ついていて、より気が合わない、と思った。しかし彼女が短い生涯でそのようなことを言ったのは、その人ただ一人だったのだから、今思うと浮ついた発言ではなかったのかもしれない。
美月はその見た目に反してずいぶんと成績が悪かった。最初の方は私も勉強を教えようとしていたが、あまりに伸びないために途中でさじを投げた。私と美月は友達でいるために学力の差は気にならなかったから、美月が困らないのならそれでよかった。入学してしばらくして、成績順に振り分けられるようになってから、私と美月は会う機会は減ったが、そういうことも友達でいることには関係なかった。それよりも美月がかっこいいと言っていた翔太という人もどうやら成績が悪かったようで、気が付いたら仲良くなって、知らないうちに付き合っていた。
「華燐にご報告があるの! 翔太と付き合うことになりましたーっ!」
「あ、ああ、あー、ついにね」
「そう、ついに! はあ~、長かった。苦節三か月!」
「三か月は早いよ」
そう、私の片想いに比べたら随分と早かった。おめでとう、と声をかけると、にこりと笑った。ああ、そりゃその翔太っていう人も好きになるな、と思った。
翔太という人は相当な人格者のようだった。惚気を真に受けるのも馬鹿らしいが、どうやら美月にとっては随分と理想の彼氏みたいだ。休みを挟む度に話題のカフェやら遊園地やらに行ったと話して、軍人とは思えないほど充実していた。美月が行きたいところにどこでも付き合ってくれるらしい。そんなに献身的な彼氏なら、友人としても安心だと思う。ひとしきり楽しかったという話をして、美月はいつも片手に持ったアイスコーヒーを揺らす。
「華燐は好きな人いないの?」
少しだけ、聞いてほしいと思っていた。でもわざわざ言うほどでもないと思っていた。自分から切り出すことが恥ずかしかったからがひとつ、話したところで年月のわりに進展がなかったことがひとつある。
「いるけど、でも」
私たちの恋愛はどうにもならないと思う、と続けようとしたら、美月は自分の知らない人だと思う、と私が言うと思ったのか、間髪を入れずに誰、と身を乗り出した。
「隣のクラスの中って人、あたりみお」
「ん~、えっと、あれ、その人知ってる! 頭いい人だよね」
入学して数か月、美月とどこで接点があったのかと問えば、どうやら翔太の友達だそうだ。翔太には友達が多いようだったけど、その中でも仲がいい方だったと思う、とのことだった。
意外だった。翔太は美月にお似合いで明るく楽しく陽気で、なんなら軽薄な性格だと思っていたから、慎重で交友関係が狭い澪と仲良くなるなんてあるのか。それを思うと自分もだと思った。自分も美月と仲良くなるのは意外なことだと、澪に思ってもらえるのかと考えた。アイスコーヒーのカップから垂れる水滴が腕に伝うのも気にせず、応援するよと言った美月に、適わないと思った。友人だからしないけど、美月の彼氏なら躊躇わずにそれを拭ってやるのだとわかった。
美月は最後まで私の恋を応援してくれていた。私たちがどうにもならないことはわかりきっていたのに、座学よろしくそこだけ物分かりが悪かった。私たちのことを応援していたというよりも、ずっと私の味方をしてくれていたのだと思う。
美月の話をします。僕は美月の友達です。
美月は元々友達の恋人だった。入学してからやたら気の明るい人に友達になろうと言われてから、生返事で友達という関係性をやり過ごしていたら、数か月目には「めちゃくちゃ可愛い子と付き合った」と言われて、自分に起こりえない話題で虚を突かれた。僕は恋愛をしたことがなく、これからもできないだろうと思っていたので、純粋に友達である翔太の話を聞くのが楽しかった。僕に恋愛を問われても、翔太の話でしか返答することができないだろう。
ここは軍事学校であったから、二年次には部隊を組むことになって、翔太の他に美月と、幼馴染の華燐の四人チームになった。それでよく話を聞いていた美月が、華燐と随分仲がよかったのだと初めて知った。美月は僕と違って誰とでも仲良くできる性格だとは思っていたが、翔太に聞く限りではかなり大胆で派手な人のようだったので、華燐と特別仲がいいというのは意外だった。実際に接してみて、美月は翔太と同じくらい明るく優しい人間だったので、翔太は話を誇張していたのだと思った。
美月は戦闘能力がずば抜けて高かった。身体能力に加えてどの武器を与えられてもそれなりに使いこなした。座学はからっきしであったのに、実技となると誰も美月に迫れなかった。僕も華燐もよく唖然としていたが、それよりも呆然としていたのは翔太の方だった。
翔太は勉強もできなければ戦闘も不得意だった。戦闘訓練のたびに美月に負い目を感じるような表情が見ていられなかった。ただそれを美月に見せるようなことはなかったし、美月も覗き込まなかった。華燐が気にして僕にこの話題を振ることも少なくなかったが、僕たちに何かできるはずもなく、優しい華燐が悲しむのを慰めることしかできなかった。
翔太はそのうち自分にできることを探したのか、救護班の手伝いをしている姿をよく見るようになった。戦い方が上手いといえど怪我も多い美月の手当てをしていることが多くなった。度々僕や華燐の手当てもしてくれていたが、戦闘は全然うまくならないのに、手当は少しずつ上達していた。
「戦闘員、向いてないんじゃない」
僕がそう切り出すと、翔太は傷つく素振りもなく笑った。
「あ~はは、そうだよな。そんなん俺にはっきり言う人、澪しかいないぜ。はは……」
「辞めるとか考えないの。このままだったら死ぬかもよ」
「考えるよ、毎日。でもじゃあ辞めて何になる? って言われたらないんだよ、何も。それで辞められない」
きっかけがないんだと言ったし、美月にも格好がつかないと言った。命を危険にさらすくらいの恋愛をするのが美徳だとは思えなかったが、翔太の人生を変える責任は持てなかった。
「そもそも何で軍隊なんて入ったんだよ」
翔太は珍しく神妙な顔をした。
「誰にも言わない?」
「言わないよ」
「……好きだった先輩を追いかけてきたんだ。付き合ってなかったけど、両想いだったと思う。ここに入ったって聞いて、俺もって……でも、俺らが入る前に戦闘事故あっただろ。船ごと何人も死んじまったやつ、あれで死んだから先輩はもういない。俺はそのときにはもう入隊が決まってた。そんだけ」
僕は慰める言葉を持たなかった。その理由は僕には理解ができない。翔太の価値観と僕の価値観は明らかに違った。
「こういう話、美月としたことはあるの?」
「ないよ、美月のことは知ってるけど、俺はない。聞かれたことない」
そういうのが美月の気の遣い方なんだと、翔太は俯いた。
翔太は度々気まずそうな顔を見せるが、やはり人望はあった。僕たちのチームとは関係がないのに、同期が仲違いをして喧嘩に発展した時も、割って入って場を収めていたのを何度か見たことがある。翔太がいなければ、軍隊の人間関係は相当悪かっただろう。翔太がどれだけ軍人として足を引っ張っていようが、誰も翔太のことを悪く言う人はいなかった。励ます人ばかりだったと思う。
美月がそういう翔太のことをどう思っていたかは知らない。
美月の話をします。俺は美月の恋人です。
美月と初めて会ったのは、先輩の墓参りの時だった。好きだった先輩がたくさんの人と一緒に死んで、その人たちと一緒に供養された。それを墓参りだと思って、花でも供えに来たら、美月がいた。俺は美月のことを知らなかったけど、美月は俺のことを廊下で見かけたと言っていて、同期なのだと説明された。それでなぜ同期がここにいるのかと聞いたら、兄がこの事故で死んだのだと言った。美月は時間があるならお茶でもしようよと、俺を町に連れ出した。
美月は趣味や雑談をしたかったようだが、俺はそんな気分ではなかった。初対面だったが、美月の兄のことや軍隊に志願した理由を無神経に聞いた。美月は飄々とそれに答えてくれた。美月は一族全員が軍人で、本人も例外ではないこと、そのため兄が死んだのは悲しむことではあっても親戚の中では珍しくないこと、自分もその覚悟があることだった。
俺はそこで初めて自分の志望理由を恥じた。もう理由となった先輩はいなかったから、とっくに自分の地面は揺らいでいた。軍人であれば食うに困ることはないし、続けていれば何とかなる、くらいしかなかった。
「なんだか、学校で見た時とは印象が違うね」
「……はは、今日はつまらなくてごめんね」
「全然。翔太くんのこと知れてよかった。また遊ぼう」
俺のことなんて少しも話していないのに、美月は楽しそうに笑った。そしてそのあと、何度か一緒に出掛けた後、俺から話を切り出して、美月は俺の恋人になった。
美月は俺と違って、さすが軍人一家と言うべきか、ずっと優秀だった。勉強は俺と同じくらいできなかったけど、戦いは得意だった。俺はというと、何もできなかった。同じチームとなったことは嬉しかったが、足を引っ張っているのが本当に苦しかった。せめてもの償いとして、手当てを別の友達から習って手伝いをしていたが、自分の本来の仕事ではないから、いつ誰に何を言われるかと思うと怖くて仕方がなかった。同じ班になった聡明な友達の澪と、美月の友人でもあり案外気の合った華燐が気を遣ってくれたことも苦しかった。美月がいちばん俺の顔色を窺わずに接してくれていたと思う。戦闘中はいつでも、美月は俺のずっと前にいたから、俺と顔を合わせることが無かっただけかもしれない。
戦争になって、戦地に身を置くようになってからも状況は変わらない。変わらず周りのみんなは俺に優しくても、俺は何の役にも立たない。
そんなことを考えているうちに美月は死んでしまった。突然のことで、何の物語のクライマックスでもなかった。珍しく美月と二人きりで戦場に放り出されて、きっと敵なんてそういなかったのに、死ぬべき状況でもなかったのに、俺より先に美月が歩けなくなって、俺の手を引けなくなった。
美月と最後に並んで歩いたのは険しい岩山、そして水没した地面だった。ひどい光景だ。俺の手を引く美月の手には分厚い手袋が重ねてあって、何度も休日に出掛けたその姿と同じはずなのに、ひどく無機質だった。当然ながら、美月のお気に入りの靴で歩かせられる所ではなかった。いつもは遊園地にカフェにと軽やかに跳ねる足元は、泥だらけで一歩一歩を強く踏みしめていた。目的地などないのに、美月はただ俺の手を握り続けた。思えば戦場で手を繋いだのなんて初めてだった。
「翔太は、なんで軍隊に入ろうと思ったんだっけ」
掠れた声で美月が問うて、俺は自己嫌悪から引き戻された。
「あ、そ……その。ごめん、足手まといで、いつも」
「え? ふふ。なにそれ」
数拍の沈黙ですら耐えられなくて、俺はぽつぽつと志望理由を正直に話した。言葉は選べなくて、彼女を傷つけるような話だったと思う。
「翔太は好きな人がいたんだ」
「まあ、そう……だけど、もう好きじゃないよ」
「死んじゃったから?」
美月が言いたいことがわからなかった。今は美月のことが好きなのだから、先輩のことがもう好きではないのなんて俺にとっては当然だった。
「死んでも私のこと好きでいて」
美月はそう言って、袖で口元を拭った。美月の服にまた色が付いた。普段使っていた口紅よりもいくらか赤みが強かった。彼女の膝がかくりと折れて肩から地面に崩れ落ちる。手入れのされた頬がまた泥で汚れてしまった。
「私、好きな人を守って死にたかったの。守れてたかな?」
「……うん、ずっと」
かっこ悪いから、俺も美月を守って死にたかった。
しばらくして、動かなくなった美月をやっとの思いで背負ったら想像以上に重くてちょっと笑った。美月と一緒に帰りついてからの澪と華燐の顔は酷かった。背中の美月の方がひどい有様なのに、二人とも俺の心配ばかりをしていた。もう助からない人を心配する必要はないのだから、当然か。冷えた身体で周囲を改めて見回して、まだ抱きしめるための身体があり、焼くための身があり、ありがたいなと思った。
数日後の葬式の時に美月の親と初めて会った。見かけてはいたが、兄弟もなくして美月もなくして、さぞ無念だと逡巡しているうち、向こうから声をかけられてしまった。挨拶もそこそこで会話に困り果てていた俺に、美月の親は「娘のために泣いてくれてありがとう」と言った。そこで初めて、美月の親が泣いていないことに気が付いた。
「こうなることは覚悟していたから、私たちは大丈夫」
美月と似た顔で同じことを言うのだと、俺は声を上げて泣いた。
澪と華燐はその頃からぶつかることが増えた。華燐は好きな人相手なのにどうして、とも思ったし、澪も華燐のことがそういう意味で好きじゃないのに、よく優しくできるなと思った。美月と俺は華燐の澪への想いを知っていて、二人をくっつけようと思っていたが、今になって無理だと諦めた。結局のところ、俺は美月に合わせていただけで、何の感情も無かったのかもしれない。
それでも俺が澪に「美月の代わりに他の人が死ねばよかったのにね」と言われたあと、華燐に思いやりがないという理由で殴られたということを聞けば、ずいぶんと仲がいいのだなとも思った。とても的確な指摘だったから、暴力で諫める必要はなかった。澪のそういうデリカシーのなさも、華燐の正義感も、俺は好きだったと思う。
やっぱり美月と一緒に死ねばよかった。
翔太の話をします。私/僕は翔太の友達です。
翔太はあのあと死んでしまった。自殺でした。美月とお似合いの本当に優しくて良い友人でした。
翔太が死んだのは自分の責任です。
中秋の名月 つつみやきミカ @tutumika
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