おじさんの恩返し

@busukou-ai

第1話

 ゴトー ゴトゴト

 今朝も大阪なんば駅は、人でごった返しています。わたしはしがない地方公務員の一般事務の四十代女性で、南大阪から、なんば、梅田を経由して北千里の職場まで長い電車通勤の間、電車の中で本を読むことだけが楽しみです。

 長い間、付き合っていた彼氏もいましたが、ささいなけんかがきっかけで自然消滅。

毎日の通勤電車の中で、ほんと本を読むのだけが楽しみです。ツルゲーネフのはつ恋に、サガンの悲しみよこんにちは、大好きな作家の江國香織さんのエッセイ本、とるにたらないものもの、村上春樹さんの海辺のカフカ、それらの本をウォークマンの音楽、もっぱらビートルズを聞きながら、1ページ、1ページめくる時に至福の瞬間を味わいます。本は友達。そんなに友達もいないわたしの心を本はそっと癒やしてくれます。

 なんば駅の、大阪の中心部を走る赤い線が目印の地下鉄御堂筋線。

 この電車は大阪で1番混雑する電車で、今日もぎゅうぎゅう詰めの満員電車で1度積み残され、次に来た電車も満員で2回目ぎりぎりで積み残されて、ホームの白線より外側にぎりぎり立って、後ろの同じく積み残されたサラリーマンが押してきてホームから転落しないかとおびえながら、必死の集中力でふんばる毎日の通勤。

 1度、この張りつめた集中力がぷつりと切れたら、わたしは社会の脱落者になるのだろうか。それも怖いが、みんなほんとやる気だな。3度目の正直。赤い線の御堂筋線の電車にやっと乗れた。吊り革にもたれながら、ぎゅうぎゅう押されながら、好きな読書にふける。嫌なことを忘れられる。

 梅田駅。カッカッカと少し高めのヒールの音を立てて、トレンチコートをひるがえし、階段を颯爽とのぼるOL。みんなほんとに元気だな。わたしは、やっぱり少し疲れているのかもしれない。

 職場に着き、朝礼前のみんなへのお茶出し。

 丸い顔の背の高い、松たか子がタイプだという、大谷さんは甘いのが好きで、お茶出しの時のアイスコーヒーにシロップ2個おまけでつけてと茶目っ気たっぷりに頼む。シロップ2個つけるからお仕事ちゃんと頑張ってね。

 みんなのテーブルの上をよく絞ったぞうきんで拭き、ゴミ箱のゴミを捨て、音を立てないように掃除機をかける。

 カリカリと鉛筆を走らせて仕事をするかすかな音が聞こえる。

 仕事帰りの途中の大阪なんば駅の改札。

 改札を出たところで、おじさんに声をかけられた。

「おねえちゃん、ごめんな。おじさん今日、競馬で大切なお金を全部すっちゃってもう財布の中スッカラカン。帰りの電車代もないの。電車代出してくれないかな。」

 少し困ったな。わたしだってしがないOL。そんなにお金だってあるわけないし。迷ったけど、つかつかと駅の切符売り場の発券機の前まで歩き、一体いくらいるんですかと語気を荒げて聞いてみた。

「580円。終点までです。おねえちゃん、すまんな。ほんとおじさん今日はお金スッカラカンで。」

 仕方ないので、ブランドでも何でもない黒の革の古びた長財布をカバンから取り出し、発券機に600円入れた。切符が発券され、チャリン チャリンと小銭が二十円転がり落ちた。切符の取り忘れに注意してくださいとのアナウンス。二十円を握りしめ、切符をおじさんに渡すと、おじさんはほんとに助かる恩にきますと言って、ケータイの電話番号が書かれたメモ用紙をわたしに渡した。

「お金ができたら、必ず返しますから。おねえちゃん、ほんとにありがとうな。」

 おじさんは切符を握りしめてホームに消えた。

 それから1ヶ月くらいして、質素な夕食を終えて、ぼんやりしていた時に、ふとそのおじさんのことを思い出した。なんかいい予感がした。

 ポケットから電話番号が書かれたメモ用紙を取り出してゆっくりゆっくりひとつひとつプッシュボタンを確かめるように押していく。

 プルルル

 プルルル

 2回目のコールでおじさんが電話に出た。

「おねえちゃん、電話待っとったんや。おじさんやったで!万馬券

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