君の絵を描くなら、背景は水平線にしよう。

綴詩翠

一章 純粋無垢な君と出会った

第1話 「久しぶり、朔くん」 ①



朔夜side





春の暖かい日差しの中、潮の香りが鼻の下をくすぐって通り去っていく。

目の前では、青に染まった波が行ったり来たりしていて、その縁には、麦わら帽子に白いワンピースを着て、髪をなびかせている少女が。

そして、足を少し濡らしながら、またも波が来るのを待っている。

その様子から、目が離せない。

心臓の音がドク、ドク、と大きくなっていって、虫取り網を持つ手には力が入る。




きれいな、おんなのこ……

おなまえ、しりたいなあ。




齢五歳。

幼いながらもその子の美しさに見惚れて、聞かずにはいられなかった。




『ねぇ、だぁれ?』




無意識に目を輝かせて、聞いてみた。

一刻も早く、目の前にいる綺麗で可愛い生き物の、名前が知りたかったから。

その女の子はこちらを振り返る。

帽子で隠れて見えにくいけれど、確かにニコッと微笑んで、自分の名を口にした。




『───、───』




可愛らしくも透き通った綺麗な声が、とても印象的だった。




そして翌日。

友達はいるけど最近はあまり予定が合わず、いつも1人で、砂浜を駆け回るサワガニを目当てに海へ遊びに行く。

でもその日は、あの子を目的に海へ行った。

それでもやっぱり、虫取り網とバケツも持って行く。

今日も、その子はいた。

海を大きく捉えているその1枚の画に、ずっと前からいたかのように溶け込んでいるその子。

きれいだなぁ、なんて思ったりもして。

女の子はこちらに気がつくなり微笑んで、手を振ってくれた。




『!──ちゃんっ』




ときめく5歳児の心をそのまま音にしたかのような明るい声で、その子の名前を呼んだ。

それから、その子とは毎日遊んだ。

きっと太陽のように輝いて眩しいであろうその笑顔は、何故かいつまで経っても帽子という名のフィルターで隠されている。

にも関わらず、2人で手を繋いで、春のまだ冷たい海に足を踏み入れる。




『気をつけてね~!』




母にそう言われ、俺はその子を絶対に守ろうと、ギュッと手を握る。

そして父は、安全のためかこちらへ向かってきている。

そんな時のことだ。

青い波が、牙をむいたのは。








カーテンの隙間から差し込む日光で、アラームの設定時刻よりも10分早く目が覚める。




「…………ふぁ」




どのくらい前だろう。

ひどく懐かしい夢を見ていた気がする。








好きを求めた先にあるのは誹謗だと知って、早3年。

何度も死んでしまいたいと思いつつ、高校生になる前の春休み中の今でも、実行は出来ないでいる。

それでも最近は、死への気持ちが大きくなる一方。

今後のため、という理由だけで行く高校になんて、行きたくないからだ。

それに。




今後なんて、無いかもしれないのに。




でも実際は死にたいとか思ってるくせに、絵が描けなくなるかもとビビって死ねていない。

そんな自分が、大嫌いだ。

そして、こんな臆病者が自分だということにも腹が立つ。




俺・杉野朔夜すぎのさくやは、絵を描くことが好きで、中学に入ってからインターネット上に自分の描いた絵を投稿し始めた。

ちなみに絵はアクリル絵の具で描いている。

自分の気持ちをさらけ出せる絵は、俺にとってなくてはならない存在だ。

そんな俺の絵を、両親や友達は上手いと言って褒めてくれる。

その一方、ネットでは心もとない言葉でコメント欄が埋め尽くされて。




なんで……なんでだよ。

母さんも、父さんも、アイツらだって……

オレノエガ、ウマイッテイッテクレルノニ。




そのうち俺は、両親や友達が言っていることが本当なのか、ネットの言っていることが本当なのか分からなくなっていた。

つまり、両親や友達の言葉を疑うようになってしまったのだ。

そんな自分を嫌いに嫌って、何度もこの世から消えることを考えた。

それでも、やっぱり絵が好きだから。

絵だけは、信じられるから。

死後がどんなものなのかは分からない。

自分の欲しいものがなんだってある楽園のような場所かもしれない。

はたまた、毎日火で炙られたりする地獄のような場所かもしれない。

でも何故か、前者はないような気がして。

死んでしまったら、もう絵は描けない気がして。

その不確かな予測が心音を繋ぐ今日、俺は絵を描くためのセットをエコバッグに入れ、空の上ではなく海に向かう。




今日は風が強いな……




春風に少しの違和感を覚え、歩くペースを落としてみる。

そしてふと、自分の左手に広がる大海原に目をやる。

いつもより少し、海の色が鮮やかに輝いて見えた時。




「………は?え……はあ?」




目に映りこんだ光景を疑い、目を擦る。

でも、その光景は大して変わることはなく、先程から少しぼやけて見えるだけ。




「いやいやいや………無いだろ、マジで」




そんなこと有り得るのか?

いや有り得てるな。

でもなんで……どこから?

いや、その場まで自分で……




無数に浮かぶ疑問の答えが分かるはずもなく、その間に足はどんどんそこへ向かっていく。

沈むサンダルに入り込んできた砂を気持ち悪く思いながらも、動く足を止めることは出来なかった。

まるで、引っ張られるように。




「ま、じかよ………え、死んでないよな?」




俺の目の前にある……いや、目の前にいるそれまで2メートルといったところで、ようやく足が止まる。

海水に濡れていたらしき黒髪は、眩しい日光を反射して、頬にくっついている。

そして、俺が入学予定の高校の制服を着ている……全身ずぶ濡れの、女が倒れている。

でも、苦しそうな表情ではなく、まるで太陽の日の下で、心地よさそうに寝ているようだった。

それでもやっぱり、無事かどうかは確かめる。

自分の死には無頓着なくせに、他人の死には恐怖を覚える俺は矛盾した生き方をしているだろうか。

そんなことを考えながらその場にしゃがみこんで、声をかける。




「っおい、大丈夫か?」

「………」




返事は帰って来ない。

放っておくわけにもいかず、念の為もう一度声をかける。




「おい、おいっ、大丈夫か?」




すると、瞼が隠していた、宝石のような瞳がゆっくりと現れた。




……や、ば……




「……ん………」




数年越しに桜吹雪を見たときに感じるような、独特な高揚感を思い出させるその声に、胸がドクンと音を立てる。




綺麗すぎだろ……




でも、そこまで長くない髪の毛が少しの幼さを醸し出していて、可愛らしさもある。

そんな姿を前に、平静を装いながらもう一度尋ねる。




「起きたか。大丈夫か?」




そいつは体をゆっくり起こしたかと思えば、俺の顔を見た瞬間、目を見開く。

目力のあるその瞳に圧倒され、ずぶ濡れの女を相手に少し仰け反る。




何だ?

俺の顔に何か………




「え?」




思わず、声が出てしまった。

そいつが、息をすることを忘れそうになるくらい綺麗に……涙を流していたから。

思わず涙を拭おうとした右手を引っ込める。

さっき手をついて砂だらけだし、初対面の相手に勝手に触れるのは良くないだろうし。




「お……おい、どこか痛いのか?」




そう聞くと、少し困惑した顔で首を振りながら




「……ううん………」




と答える。




違うのか?




「じゃあなんで泣くんだよ?」

「………」




そして、下を向いているから分かりづらいが、怖いほどに綺麗な顔でそう言っていた。




「何でもないよ、本当に……」




いや、じゃあなんでそんな顔なんだよ……とツッコミたかったが、そいつの表情をみるととても言えなかった。

儚げで、哀しそうで………そして、滲み出るほんの少しの喜び。

綺麗な顔に無駄のない表情が、より一層美しさを引き立てていた。




ほんと、心臓に悪い……




「………ねん?」

「え?」




しまった。

つい聞き逃してしまった。




「なんて?」

「今って、西暦何年?」




はあ、西暦?

急に何だよ……

不思議に思いながらも答えはする。




「2034年だ」

「何月?」

「4月」

「何日?」




一度に聞けよ、と少し苛立つ。




「1日」




そしてその答えにまたも目を見開いたかと思えば、




「ああ……よか、った………」




囁くような小さな声だけど、ハッキリとそう言いながら、また倒れた。




「お、おいっ、しっかりしろ!」




体を揺すっても、返事はない。




もうこうなったら、ああするしか……




「っ世話のかかるヤツだな……!」




俺はエコバッグを手首に通して、そいつを抱き上げた。

そして、すぐ近くの病院へ全力で走った。

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