第3話 弟が負け犬というなら……
身を起こすと手を差し出されたので、その手を取り、立とうとしたところで、後ろ髪が引かれた。比喩ではなく物理的にだ。
横目でみると一つに結って背中に流していた髪の一部が枯れ枝に引っかかっていた。
面倒なので、髪を引っ張り絡まった部分を引きちぎる。
「なっ!」
「まぁ、女だてらに、軍服を着ていたら、怪しいことこの上ないか」
そう言いながら、スッと立ち上がる。元々汚れても良い服だが、流石に土がついた状態で図書館に行くわけにはいかないな。
「ガトレアール辺境伯様。ご無礼を致しましたことを、心よりお詫び申し上げるとともに、処罰は如何様にも受ける所存であります」
私は、黒髪しか見えない男を見下ろす。黒の隊服ということは、表に出てこない黒騎士か。関わらない方が無難だな。
「ああ、辺境伯の地位もすぐ下の弟が高等科を卒業するまでの繋だ。謝罪は受け取るが、それ以上はいい」
私は軽く土を払い、来た道を戻る。恐らく私は彼の昼寝かサボっているところ邪魔してしまったのだろう。ん? そう言えば、黒騎士は今日の公開演習に参加しなくてもいいのか。
「お待ちください」
何故か。黒髪の男が付いてきた。私は足を止め、振り返る。
「謝罪は受け取った。気配を絶っていた私にも非がある。貴殿を処罰するつもりはない」
「しかし、直ぐにガトレアール辺境伯様と認識できなかった私が悪いのです」
「私は殆ど辺境領から出ないから仕方がない。それにガトレアールの青ではないしな」
ガトレアールの青。ガトレアールの一族は澄み渡った空のような青い髪に青い瞳を持っているのが特徴だ。しかし、私は母親に似て、ピンクの髪に血のような赤い瞳を持っている。まぁ、軍帽を被っていたので直ぐには髪の色と目の色には気づくことがなかったのだろう。
「だから、謝罪だけでよい」
それだけ言って、再び歩き出すも、黒髪の男が付いてくるのには変わりない。なんだ?
「失礼ながら、護衛はいないのでしょうか?」
ああ、ガトレアール辺境伯と名乗っているにも関わらず、お付きの者がいないから不審がられているのか。
「それは妹の方に付けている。今は闘技場で推しという者の応援をしているからな」
「オシ?」
「名前は知らんが、おきれいな剣技を使う者だったな。一番下の弟が手を抜いて勝たせてあげていたが……ああ、そうだ。弟を貴殿のところで使ってやってくれないか?」
「どういう意味ですか」
「先程の処罰にしよう。どうも騎士のおきれいな剣技は好きになれない。今まで育ててきた弟の剣を壊す剣技をな。私ほどではないが、弟も中々の手練れだ」
いや、こんな事を言ったら駄目だったか?
「まぁ。弟が貴殿の目に止まったらでいい。姉としては実践的な剣を使える弟が、型にはめられた剣を振るうことが、残念でならないのだ」
そんなことを言っていると、闘技場のところまで戻ってきてしまった。そして、遠くの方で、手を腰に当てて怒っている様子の青い髪の少女とその後ろに日傘を差している侍女。その二人を護衛するように控えている厳ついおっさんがいた。
「お姉様! 何故いつも勝手に居なくなるのですか!」
いや、私はきちんと声を掛けたが?
「それでお姉様の好みの男性はいたのですか」
好み? フルプレートアーマーで戦っている人物を見て、好みもなんも無いと思うが?
「ん? 鎧の好みを聞かれているのか?」
「中身の人のことですわ! いい歳なのですから、結婚してください。でないと、私が結婚できないではないですか!」
いい歳と言われてグサリときてしまう。既に行き遅れと言って良い私を、嫁にもらいたいという人などいないだろう。
「エリー、何度も言うが私は結婚するつもりはないからな」
「お話中お邪魔して申し訳ございませんが、辺境伯様。そちらの方はどなたでしょうか?」
侍女のアイラが私に聞いてきた。どなたと聞かれても名前など知らん。
「名前は知らん」
「名乗り遅れまして申し訳ございません。黒騎士団の副団長を務めております。ランドルフ・アルディーラと申します」
アルディーラということは、公爵家の者か。しかし、と思い斜め後ろに立つ黒髪の男に視線を向ける。
アルディーラ公爵と夫人にも挨拶したことがあったが、黒髪でも金目でも無かったな。
「貴方が? アルディーラ公爵家の者?」
エリーは怖いもの知らずなのか、普通であれば聞きにくいことをズバッと聞いた。よく周りから人の心は持っていないのかと揶揄られる私ですら、聞くのをためらうことだぞ。
「はい。庶子ですが」
まぁ、そうであろうな。
「あら? 庶子の方が何故お姉様と?」
「エリー。推しというものの応援が終わったのなら帰るぞ」
あまりにも失礼な物言いのエリーの言葉を遮るように、帰ることを促す。いくら庶子でも相手は黒騎士の者だ。それも階級を示す為に襟に縫い付けられた紋章は副騎士団長。相当な手練れだ。敵視すべきではない。
「今から握手会ですの! ですからお姉様の推しを教えてください」
あ……握手会? そんなものをする必要があるのか?
「全く興味ないが? 強いて言うならテオか」
「テオお兄様は推しではなく、身内びいきというものです! それから、負け犬には握手会の権利はございません!」
テオが負け犬か。ならば、エリーの推しはゴミ以下だな。おっとこれは口にしてはならない。
「せめて一人だけでも、お姉様のお眼鏡に適った人はいないのですか!」
と、言われてもなぁ。鎧だけ見ても使えそうな動きをする者はいなかった。ああ、そう言えば
「この者なら辺境でもやっていけるだろうな」
私は私の背後に立っている黒髪に黒い隊服を着た黒騎士を指し示す。
「私も気配を感じなかったしな、私が手を出せなかった時点で、実力は中々なものだろう」
「それで、お姉様は恋に落ちたというのですね」
「全く違うからな。それからエリー、結婚相手が見つかれば連れてこいと言っているだろう? 順番など、どうでもいいとも言っているだろう?」
私はあのとき決めたのだ。幼い弟たちと妹を立派に育ててみせると。だから、私の結婚などどうでもいい。
「え? いやよ。絶対にお姉様に会わせると、剣の腕を見せてみろとか言われるもの」
「……魔術でも良いぞ。そうか……好きな殿方ができたから、私に好みを聞いてきたのか」
するとエリーは顔を真赤にさせて、私に背を向けて駆け出してしまった。
エリーも十三歳となって年頃になったからな……もしかして、あの推しとかいう者とか言わないよな。アイツを連れてきたら、その剣術はなんだと拳で殴っていそうだ。
「ザッシュ。エリーについて行ってくれ」
私は筋肉ダルマと言っていい厳ついおっさんに命じる。ザッシュはくすんだ金髪に彫りが深い顔立ちで、三白眼が印象的な私の護衛だ。そこに立っているだけでも相手を威圧する迫力がある姿をしている。
「かしこまりました」
そう言ってエリーを追いかけていくザッシュの背中を見て思う。アレが背後に立っている令嬢に、握手しなければならない騎士の心情は、如何ほどのものなのだろうか。
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