幕間(1)

 新しい試み。

 未来への展望。

 世界と人類への希望。

 その場所では、それらの明るさや挑戦とはまったく無縁な会話が行われていた。

 決して、地下深くに築かれた怪しげな秘密アジト……などではない。これ見よがしなほどに堂々と、人目につく場所に築かれた豪壮な建物だ。

 そこに集う人々もまた、世間の目を逃れてコソコソと活動しなくてはならない人種ではない。それどころか、世界中から敬意を払われ、賞賛される立場にいる人間たち。

 ナフード王国の王宮。国土の大半を砂漠と荒れ地が占める中東の産油国。国の規模としては小さいがしかし、豊富な石油資源によってうるおう国。

 そのナフード王国の数少ない緑豊かな大地の上に、王宮は築かれている。

 食糧の生産に使っていれば、年間に軽く数万人分もの食糧を提供できるほどの広大な土地を押しつぶして。

 国民の半数近くを占める貧困層に充分な食糧と教育を提供できるほどの費用をかけて。

 その王宮は建てられている。

 すべてにおいて馬鹿馬鹿しいほどに壮大。建物自体も、なかに作られた無数の部屋も、そのすべてが大きく、広く、見上げるばかりに天井が高い。

 まるで、伝説の巨人族のために作られたかのような広大な宮殿。外壁のすべてが最上級の大理石で飾られ、日の光を浴びて絢爛けんらんたる輝きを放っている。

 なかを埋め尽くすのは豊富なオイルマネーによってかき集められた世界中の芸術作品。絵画が、彫刻が、数々のオブジェが、産油国の王族の富の豊かさを示して飾られている。

 ただし、王族の一番のお気に入りがそれぞれの私室に山と積まれたジャパニメーションの円盤であることは、決して報道されない事実である。

 そして、その大半は、いまや衰退した日本にかわってジャパニメーションの本場となっている地球回遊国家の製品だということも。

 その王宮の一室において、暗く、後ろ向きで、将来の希望も展望も一欠片も含まれない陰湿な会話は行われている。灯ひとつないくらい部屋のなかで人目を忍んでコソコソと……ではない。

 日差しのたっぷり入る明るい部屋で、ふかふかの絨毯じゅうたんと大理石の壁に囲まれて、ヨーロッパ製のアンティークなテーブルと椅子に座り、最上級のグラスでやはり、最上級のワインを飲みながら、だ。

 その場にいるのは三人。

 ナフード王国国王アブドゥル・ラティフ

 国王の片腕たる内務大臣にして『第一王女』の婚約者、次期国王たるアブドゥル・アルバル。

 そして、もうひとり。世界一の美女として知られ、いまや『ナフード王国第一王女』となったズマラ。将来の王妃たる女性である。

 その三人は、貧困層の人々では一〇〇回、生まれ変わって貯金を積み重ねてもなお決して、飲むことも、ふれることさえもできない高級ワインを当たり前のようにがぶ飲みしながら、その明るい雰囲気にはまったくそぐわない陰湿な会話、いや、陰謀劇をつづけていた。

 「アレがどう行動するかは、わかっている」

 国王アブドゥル・ラティフが深紅のワインが満たされたグラスを手のなかで揺らしながら、欲望丸出しの醜い笑顔で言った。

 『アレ』とはもちろん、自らの第一子であるノウラのこと。生意気で、小うるさくて、煙たいばかりの娘など追い出すことができてせいせいした。いまさら、名前など呼びたくない。と言うことだろう。アブドゥル・ラティフはノウラを地球回遊国家に押しつけて以来、一切、名前で呼ぶことはなく『アレ』で通していた。

 もちろん、かつての婚約者であるアブドゥル・アルバルも、腹違いの妹であるズマラも『それが当然』とばかりに、その呼び方を受け入れている。ふたりとも、その口に浮かぶ薄笑いは国王に劣らず浅ましく、醜いものだった。

 アブドゥル・ラティフはワインを満たしたグラスを手のなかで揺らしながらつづけた。

 「七〇過ぎの年寄りに強引に挙式を行わせ、『我こそは地球回遊国家の王妃!』と喧伝することだろう。自分がその立場にあることを世界中に知らしめ、好きなだけ出しゃばれるようにするためにな」

 そう語るアブドゥル・ラティフの口調も、表情も、どうひいき目に見ても娘について語る父親のそれではなかった。悪意という名のスポンジケーキに軽蔑という名のクリームを塗りつけ、さらに嘲弄ちょうろうという名の砂糖をたっぷりと振りかけた、甘ったるくて胸の悪くなるケーキそのものだった。

 「ええ、その通りです。陛下。いえ、義父上ちちうえ

 と、近い将来、アブドゥル・ラティフの『第一の』娘と結婚し、国王の地位を引き継ぐはずの内務大臣アブドゥル・アルバルが口をそろえた。同じようにワイングラスを手のなかで揺らし、薄笑いを浮かべてのお追従ついしょうだった。

 「あれは女の身でありながら身の程をわきまえず、口さえ開けば『ああしろ、こうしろ』と小うるさく指図するケダモノでしたからな。いや、まったく、あんなものの婚約者でいたのは不幸なことでした。やはり、女というものは、このズマラのように従順で、おとなしく、常に男の後ろに立ち、相手を立てる存在でなければ」

 「ええ。その通りですわ。アブドゥル・アルバルさま」

 と、ズマラは自分の姉、そして、自分自身を含めた女性全般を蔑視する発言をされながらも、その当の発言者に対してうなずいてみせた。

 いまだ一九歳の若さでありながら『世界一の美女』と呼ばれるその美貌びぼうに微笑みを浮かべ、その目に妖しい光を宿して男によりそう姿はたしかに妖艶。一〇代の若々しさのなかに妖婦の一面をのぞかせた、男心を刺激せずにはいないものだった。

 ただし、外見よりも内面を見抜く目をもった本物の詩人であればこう言ったにちがいない。

 『たしかに美しい。しかし、王女としての美しさではない。売春婦としての美しさだ』

 そんなことは露とも思っていない『世界一の美女』は、未来の夫に向かって媚を売る笑みを向けた。

 「わたしは決して出しゃばりません。常にあなたの後ろに立ち、あなたを立てることを誓いますわ」

 言われて、アブドゥル・アルバルはこれ以上ないほど嬉しそうに破顔した。

 「おお、まさにその通りだ! そなたは女というものがどうあるべきかをよく知っている。そこに惚れたのだ。まさに、そなたこそ女の鑑だ」

 アブドゥル・アルバルはそう言うと、その腕でズマラの肩を抱き、自らの身に引きよせた。ズマラは嬉しそうにアブドゥル・アルバルの身に両手を添え、耳ともとにささやいた。

 「嬉しいですわ。あなた」

 お気に入りの娘と将来の娘婿。

 そのふたりの情愛の部分を見せられてさすがに気分が悪くなったのか、アブドゥル・ラティフがわざとらしく声を張りあげた。

 「ともかくだ。あれが地球回遊国家の国王と結婚すれば、我々が親族として近づくのはごく自然なこと。そうだな?」

 「ええ。その通りです。義父上ちちうえ。つまり……」

 「やつの運命は我々の手のなか、と言うことだ」

 アブドゥル・ラティフはそう言って満足げに笑って見せた。だが、それもほんの一瞬。すぐに、不快感丸出しの表情となった。

 「まったく、地球回遊国家め。忌々いまいましい。やつらがエネルギーの生産をはじめたせいで我々、産油国の価値はさがりっぱなしだ。石油価格も下落の一途で利益はどんどん少なくなっている。しかも、石油生成菌を培養しての大規模な原油生産まで企みおって」

 その言葉に、内務大臣のアブドゥル・アルバルも真面目な顔になった。

 「はい。もはや、見逃しておくわけには参りません。単に水素を製造して売りさばく。それだけならまだよかった。そのせいで石油価格がさがりはしても、石油には石油にしかできないことがある。産油国の価値がなくなることはあり得なかった。しかし、原油生産まではじめるとなれば話は別です」

 「そうだ。やつらはやり過ぎた。やり過ぎたのだ。我らの地位を奪い、取ってかわろうなどと、そのような思いあがった不遜な行為、断じて許すわけには行かぬ」

 「はい。その通りです。我らの立場と栄光は守り抜かなければなりません」

 「その通りだ。我らはわれらの立場を守り抜く。なんとしてもだ。そのために……邪魔者は消す」

 「……はい」

 それは『未来』というものをまったく無視した台詞。歴史の流れを食いとめ、過去の栄光を永遠のものにしようとするものたちの会話。

 国王アブドゥル・ラティフ。

 内務大臣アブドゥル・アルバル。

 ふたりの頭のなかには、いまや国民の半数が貧困層に属していることも、若者の失業率が上がりつづけていることも頭にない。

 頼みの綱である石油の産出量はとうにピークを過ぎており、いずれは涸渇するという予測にも関心はない。

 ふたりの頭のなかにあるものはただただ自分たちの権益を守るという、その一点。それ以外にはなんの興味も関心もない。

 日差しの入る部屋のなかはこんなにも明るいのに。

 大理石の壁はこんなにも輝いているのに。

 透明なグラスに満たされた深紅のワインはこんなにも美しいのに。

 なぜ、そのような明るさと輝き、美しさに包まれながら、こんなにも醜い会話を重ねることができるのか。

 まともな心の持ち主ならそう思う他なかっただろう。それでも――。

 『第一王女』ズマラの心の声を聞けば、それすらもまだマシだったと思い知ったことだろう。

 ズマラは自分の指にはめた小さな指輪を見ながら、心のなかで思っていた。『世界一の美女』と呼ばれるその美貌びぼうとろけるような微笑みを浮かべながら。

 ――ふふ。見ていなさい、ノウラ。愛しのお姉さま。わたしは物心ついたときからずっとずっとあなたのものを奪ってきた。あなたの服も、あなたの宝石も、あなたの友だちも、すべてわたしのものにしてきた。

 ――『世界一の美女』という称号も、次期国王たる婚約者も、いまではすべて、わたしのもの。これからもそう。あなたのものは全部ぜんぶ、わたしが奪ってあげる。あなたが昔から恋い焦がれていたおじいちゃんもね。

 ――もちろん、七〇過ぎの年寄りなんていらないけど……別の意味で奪ってあげるわ。

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