二章 その名は地球回遊国家

 「……すごい」

 ノウラは思わず、目の前に広がる光景に感嘆の声をあげた。大きな目がますます大きく見開かれ、『砂漠の夜の光』と称される美貌びぼうは、新しい冒険先を見つけた男子小学生のようにキラキラと輝いている。

 それも無理はない。

 その光景を見たことがあるものなら誰でもそう思うにちがいない。いままで、テレビや動画で何度も見たことはある。それでもやはり、こうしてじかに見るとその迫力は圧倒的だ。

 場所は太平洋の赤道沿い。飛行船に乗り、その場所に近づくノウラの眼下に広がるものは、海を埋め尽くす数万隻に及ぶ氷の船の群れ。

 もっとも大型のもので全長一〇〇〇メートル以上、小型のものでも全長三〇〇メートルには達するという、個々のサイズにおいても、船団という単位においても、史上最大級の――それも、氷で作られた船体をもつ――船の群れ。

 その人類史上最大の船団が水素ガスを詰められて空高く舞う気嚢きのうに引っ張られ、風に乗って太平洋の赤道沿いを周回している。

 その姿はまさに動く氷山。雪という自然現象が氷河を作り、その氷河が動くことで数千万年もの時をかけて大地を削り、巨大な渓谷を作り出し、壮大なる景観を生みだす。

 それと同じように、人類という『自然の一部』がその活動によって作り出したもっとも新しい自然の景観。

 そう。このあまりにも壮大な景観を前にしては『人工物』などという言葉ではあまりにもスケールか小さい。

 大自然の驚異。

 そう呼ぶのがふさわしい。

 人類もまた、自然のなかに生まれた、まぎれもない自然の一部なのだから。

 大自然の驚異が織りなす海に浮かぶ巨大な国。

 それが、地球回遊国家。

 人口は一億を超え、経済規模においても世界で五本に指に入る。国民の幸福度においてはいまや世界第一位。その地球回遊国家を作りあげ、五〇年の歳月をかけて育てあげてきた人物。歴史上のいかなる伝説の王にも勝る業績を成し遂げた現代の神話。

 それが、氷の王。

 そして、その氷の王にとつぐものこそ、

 「このわたし、ノウラというわけね」

 ノウラはふてぶてしいほどに力強い笑みを浮かべながら、飛行船の貴賓室から地球回遊国家を見下ろした。

 それは、まさに『見下みおろす』というのがふさわしい視線であり、表情。太平洋上を風に乗って周回する史上最大の船団の勇壮な姿に、感嘆はしていても圧倒されてはいない。まして、萎縮いしゅくしたりなどしない。むしろ、その胸のなかは新しい人生に対する喜びで満ちている。それこそ、いまにもあふれかえる希望で胸が吹き飛びそうなほどに。

 「アブドゥル・ラティフやズフラは邪魔なわたしを追い出したつもりでしょうけど、わたしにとってはこれほど好都合なことはないわ。性差別に石油頼み。新しい時代の流れに乗ることもなく、そもそも、そんな流れがあることそれ自体を無視して旧態依然とした形のまま生きつづけようとしている化石国家。そんな国に一生、縛られるなんて願いさげだったもの。わたしをこの国に輿入こしいれさせたことに関しては『お父さま』と呼んであげてもいいわね」

 ノウラは氷の船団を見下ろしながらそううそぶく。

 そして、なによりも氷の王。

 地球回遊国家の統治者。

 地球と人類の未来のために動きつづける戦士。

 氷の船団を率いるがゆえに『氷の王』と呼ばれる人物。

 五年前までは妻とふたり、ナフードの王宮にもよくやって来ていた。オイルマネーの上にあぐらをかいて国家の近代化にも、産業の育成にも、国民の啓蒙けいもうにも、貧困層を豊かにすることにさえもなんの興味も関心も示さず、古臭い伝統に乗っかったまま自分たちだけの繁栄を望む国王アブドゥル・ラティフ。そのアブドゥル・ラティフを説き伏せ、新たなる道を歩ませる、そのために。

 「我々、地球回遊国家の目的は『人と人が争うことなく、その潜在能力を存分に発揮できる世界』を作ること。その実現のために『全人類社会の公平な発展』を目指しています。どうか、ご協力いただきたい」

 目的実現に向けて燃えるその瞳。

 真剣そのものの表情で熱っぽく語るその姿。

 『氷の王』という呼び名とは正反対の燃えさかる炎の君主。

 ノウラの知る一番、最初の頃ですでに五〇を超えていたが、理想に燃えて行動しつづけるその姿は『年寄り』などという言葉はもちろん、『初老』という言葉すら似合わない。まさに、人生の旬を迎えている青年の姿そのものだった。

 自分の立場を守ることしか頭にないアブドゥル・ラティフは、氷の王の言葉など聞こうともしなかった。いつだって迷惑そうに、うんざりした表情で相手していたものだ。それにもめげず、氷の王は妻とふたり、幾度となくナフードの王宮を訪れてはアブドゥル・ラティフと会談し、理想を説き、道理を語り、利益を示し、説得しようとしていた。

 ノウラははっきりとその姿を覚えている。その『永遠の青年』こそがノウラが心からあこがれ、恋慕い、人生の指針としてきた存在なのだから。

 五年前、妻を亡くしてからはナフードを訪れることもなくなったし、噂を聞くこともなくなった。それでも、ノウラは、氷の王がいまもひとり、妻とふたりで夢見た世界を実現させるために戦いつづけていることを疑ってはいない。

 あの活力に満ちた『永遠の青年』には、停滞ていたい消沈しょうちんなど似合いはしないのだから。

 ――そう。氷の王。あなたがいたからこそわたしは、あの古臭い因習に囚われた国のなかにあって世界を学び、未来を見つめ、『自分の望む世界を実現させる』という挑戦心をもつことができた。

 ――もし、あなたの存在がなければ、わたしもアブドゥル・ラティフやズマラと同じ、せまい世界に閉じこもって自分のことしか見ないせせこましい人間になっていたはず。あなたは、わたしをそんな運命から救ってくれた。ちがう人生を与えてくれた。

 ――あなたはわたしを知らなくても、あなたはわたしにとって恩人。人生の指標そのもの。わたしはあなたを一目、見た幼い頃からずっとずっとあなたに恋しつづけてきた。あなたを愛してきた。そして、いま、あなたのもとに行ける。あなたの妻として、あなたと共に新しい世界を作ることに挑戦できる。

 そう思うとノウラの胸はどうしようもなく高鳴る。まだ現実の恋を知らず、物語のなかに恋する少女のように。

 その胸の高鳴りと共にノウラは向かう。地球回遊国家へ。夫となる氷の王のもとへと。飛行船に乗って、というよりもまるで、飛行船をノウラの肉体そのもにしたかのように。堂々と、力強く。

 ――まっていてください。氷の王。いま、このわたしが、ノウラがあなたのもとに参ります。

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