親に売られし王女は氷の王と幸せをつかむ

藍条森也

一章 売られし王女は高らかに笑う

 「第一王女ノウラ! お前と内務大臣の婚約を解消し、お前を王族より除名する!」

 中東の砂漠地帯に位置する小国ナフード。国土もせまければ人口も少ない小国ながら、豊かな石油資源によって栄えている国。そのナフードの王宮にいま、国王アブドゥル・ラティフの非情な宣告がくだされた。

 場所は王宮のなかの謁見えっけんの間。他よりも一団、高い床にしつらえられた玉座に座る国王アブドゥル・ラティフは、第一王女である娘ノウラを見下しながらそう言ってのけたのだ。

 見下みおろす……ではない。

 見下みくだす。

 そう。父にして国王たるアブドゥル・ラティフの表情は、まさにそう呼ぶしかないものだった。

 その父王の前でノウラは、まるで臣下のように深紅の絨毯じゅうたんの上にひざまずかされている。肩を落とし、『世界で二番目の美貌びぼう』と言われるその美しい顔をうつむけながら。

 そして、国王アブドゥル・ラティフの隣には婚約者であった内務大臣アブドゥル・アルバル。その横にはノウラの腹違いの妹、『世界一の美貌びぼう』と称される第二王女ズフラ。

 かつては姉のものだった称号を奪いとり、姉を世界一から世界二へと転落させた妹姫が、そのあまりにも美しすぎる顔を輝かせながらよりそっている。まるで、妻ででもあるかのように。

 アブドゥル・アルバルとズフラは、あからさまな勝者の笑みを浮かべてノウラを見下している。

 その微笑みは断じて、敗者に対して敬意を払う品格ある勝者の笑みではない。敗者を嘲笑あざわらい、その名誉までも汚してやろうという下品きわまる嘲笑ちょうしょうだ。

 そして、ノウラのひざまずく深紅の絨毯じゅうたんの左右には、ナフード王国の権威主義の象徴とも言うべき衛兵たち。前時代的な大仰な服装に身を固め若干、顔を上向きにして並んでいる。

 皆、中東の人間らしく彫りの深い端整な顔立ちだが、あまりにも引きしめすぎた表情のために一切の人間味というものが感じられない。まるで、造作だけはうまいが魂のこもっていない彫像が並んでいるようにも見える。

 本来、このような話を、このような公の場でする必要はないはずだった。身内だけで話を決め、『どうして、そんなことになったのか?』という周囲の疑問には無言を決め込む。

 それでもよかった。

 それなのにわざわざ謁見えっけんの間で、それも、臣下たる衛兵たちの前で宣告してみせたのは、国王アブドゥル・ラティフのノウラに対する悪意の表れだった。

 「ノウラ」

 と、国王アブドゥル・ラティフはもはや『王女』の一言は告げずに呼んだ。いや、さげすんだ。

 「お前は昔から、女のくせに賢こぶっては父であるこのわしにさえズケズケと意見した。うるさくてかなわなかったぞ。内務大臣もお前のようによく口の動く、小うるさい女との結婚は勘弁してほしいと言ってきてな」

 チラリ、と、アブドゥル・ラティフは自らの右腕とも言うべき内務大臣に視線を送った。

 「そうであったな。内務大臣」

 「さようです、陛下」

 内務大臣アブドゥル・アルバルは深々と臣下の礼をとりながら、主君に答えた。

 「わたしは、妻というものは常に奥ゆかしく、決して出しゃばることなく、夫を支えるべきものと思っております。そう。このズフラ殿下のように」

 アブドゥル・アルバルはそう言って自らによりそう第二王女ズフラの腰に腕をまわし、力強く抱きよせた。

 ズフラは『かつての姉の婚約者』であり、いまでは『自分自身の未来の夫』であるアブドゥル・アルバルに抱きよせられ、嬉しそうにその身によりそった。その美しい顔にはまぎれもなく、敗者を嘲笑あざわらう勝者の笑みが浮いている。

 二三歳のノウラと一九歳のズフラ。

 『光』を意味するノウラと、『美女神』を意味するズフラ。ふたりとも、その名にふさわしい美貌びぼうの持ち主であり、『砂漠世界に花咲いた神秘の美女姉妹』として、世界的にも有名である。

 しかし、それでも確かに、より美しいのはズフラの方。そのことは万民が認めていたし、ズフラ自身『よおく』知っていた。だからこそ、ノウラは『世界で二番目の美貌びぼう』と言われ、ズフラは『世界一の美女』と称されるのだ。

 そのズフラの婚約者である内務大臣のアブドゥル・アルバルは四三歳。息子が生まれなかったアブドゥル・ラティフが娘と結婚させて国王の座を継がせるための政略結婚であり、歳の差も多い。

 しかし、そんなことはこの世界ではよくあることだ。誰も気にしていない。少なくとも、ズフラ本人は姉を差し置いて自らが王妃となれる喜びに酔いしれている。

 もともと、ノウラが第三婦人の子どもであるのに対し、ズフラは第一婦人の子ども。それも、ノウラの母はすでに死去している。その点ではもともと勝負にならないほどノウラに不利な状況ではあった。

 「わしも内務大臣の意見に賛成じゃ」

 アブドゥル・ラティフは股肱ここうしんの言葉にうなずきながら言った。

 「妻というものは陰から夫を支えるべき存在であり、決して夫よりも前に出てはならん。それなのに、お前ときては立場もわきまえずに出しゃばり放題。その点、第一王女のズフラは……」

 第一王女ズフラ。

 アブドゥル・ラティフは、あえてそう呼んだ。ノウラに向かって『お前はもう王族ではないのだぞ。第一王女の立場はズフラに移ったのだぞ』と、思い知らせるために。

 「よく身の程をわきまえておる。決して、出しゃばらず、前に出ず、夫を立てることを知っておる。男であれば誰であれ、お前よりもズフラを選んで当然じゃ。そこで、本人たちの意向もあり、お前と内務大臣の婚約を解消し、改めて第一王女ズフラと婚約させた」

 「お聞きの通りですわ、お姉さま」

 ズフラがまだあどけなさの残る『世界一の美貌びぼう』に、狡知こうちにたけた邪悪な女の笑みを浮かべながら『つい先ほどまでの』姉、『世界で二番目の美貌びぼう』の持ち主であるノウラを見下した。

 「あとのことはご心配なく。わたしがアブドゥル・アルバルさまの妻として、王妃として、立派にこの国を支えてみせますわ」

 あなたのように出しゃばることなく、あくまでも陰から。

 と、そう嫌味を付け加えることも忘れない。

 妹の嫌味をこうべを垂れたまま受けとめているノウラに対し、父であるアブドゥル・ラティフはさらに言った。

 「ズフラが次期王妃と決まった以上、本来であればノウラ、お前はズフラの臣下として仕えることになる身。だが、仮にもズフラの姉。妹の臣下となるのはつらかろう。そこで、ノウラよ。お前にはいい話を用意してやった。我が国の王族からはなれるかわりに、氷の王への輿入こしいれを決めてやったぞ」

 アブドゥル・ラティフは勝ち誇った品性のない笑みを浮かべて、娘にそう言い放った。

 娘に対する親の愛。

 そんなものは欠片も見当たらない笑みだった。

 「この父の温情に感謝するがよい。お前のような出しゃばり女にも立派に王妃となれる道をつけてやったのだからな」

 「その通りですわ、お姉さま」

 ズフラも薄笑いを浮かべながら父の言葉にうなずいた。

 「お父さまの温情に感謝して、輿入こしいれなさいませ。お姉さまは以前から氷の王にご執心しゅうしんでしたものね。知っておりますわよ。氷の王が我が国を訪れるつど、熱い視線で見つめていたことを。すでに七〇過ぎのご老人に恋い焦がれるなど物好きの極み……とは思いますが、それがお姉さまのご趣味だというならわたしが口出しすることではございませんわね。愛さえあれば介護の日々もきっと苦にはならないことでしょう。せいぜい、お幸せにお暮らしください」

 そう言って、姉に見せつけるために嘲笑あざわらう。

 アブドゥル・ラティフは、ジッとひざまずいたまま動かないノウラに対し、剣呑けんのんそうに目を細めた。

 「なにをしておる。すべてはすでに決まったことじゃ。変更の余地はない。すぐに支度を調え、出立するがよいぞ」

 「……はい」

 と、ジッとひざまずいて黙りこんでいたノウラが、はじめて口を開いた。立ちあがった。長い髪をなびかせて父王の顔を見上げた。そして、

 「せいせいしたわ!」

 まるで、王宮全体を振るわせるかのような大声でそう叫んだ。

 「なっ……!」

 さすがに、アブドゥル・ラティフも絶句した。ズフラとアブドゥル・アルバルのふたりも唖然あぜんとして、捨てられた(もと)第一王女を見つめている。

 口をあんぐりと開けたその間抜け面はなかなかに見物だった。ノウラの左右に並ぶ彫像のような衛兵たちでさえ、思わず驚きに表情をくずしている。

 そのなかでノウラはひとり、力強い笑みを浮かべている。『砂漠の夜の光』と称されるその繊細せんさい美貌びぼうにしかし、まるで男子小学生のように生きいきとした表情を浮かべ、ふてぶてしいまでに力強い笑みを向けている。

 ノウラはその笑みのままにつづけた。

 「これまで、王族の役目と思って数々の忠言をしてきたけれどこれでもう、その必要もないということね。本当、せいせいしたわ! 国王アブドゥル・ラティフ!」

 「なっ……⁉」

 いきなり、名前を呼び捨てにされ、アブドゥル・ラティフは再び言葉を失った。言葉を失うだけではない。手はワナワナと震え、顔は青くなったり、白くなったり。思わぬ攻撃にすっかり我を失っている。

 「き、きさま……! 父の名を呼び捨てにするか⁉ 不敬にもほどがあるぞ!」

 アブドゥル・ラティフのその叫びに対してノウラはしかし、『ふん!』とばかりに鼻を鳴らすと、威勢よく床を踏みならして見せた。

 ドレスの裾がめくれあがり『世界で二番目の美女』にふさわしい脚線美があらわになる。その刺激的な光景にさしもの謹厳きんげんな衛兵たちも視線を奪われた。

 もっとも、その光景に一番、目を奪われたのは他でもない。『かつての』婚約者アブドゥル・アルバルだった。目をやるどころか反射的に身を乗り出し、食い入るように見つめてしまう。そこを、腹を立てたズフラに思いきり爪先を踏みつけられて飛びあがる。

 コントのような一幕に、さしもの謹厳きんげんな衛兵たちも吹きだすのをこらえるのに一苦労だった。

 果たして、ノウラはそれを狙ってわざとやったのか。

 それは、人類史の永遠の謎である。

 ノウラは脚線美をあらわにしたまま背筋をピンと伸ばし、アブドゥル・ラティフの一〇倍も華やかに、華麗に、相手を嘲笑あざわらって見せた。

 「なにが父よ。わたしはもうナフードの王族ではないのでしょう? あなたが自分でそう言ったことなのに、もう忘れたの? 王族でないならもう親でもなければ、子でもない。礼儀を払う必要もないわ」

 ピシャリとそう言いきって父親を絶句させておいて、ノウラは言いたいことを言いたいように言ってのけた。

 「アブドゥル・ラティフ! 国王の身でありながら産油国という立場にあぐらをかき、国家の近代化も、産業の振興も、教育の拡充もなにひとつしようとせず、ただただ古臭い制度を守り、国民の暮らしには目もくれず、自らの一族の繁栄だけを考えるうつけ者! 新しい時代に押しながされ、悔いるがいいわ!」

 雷光のような弾劾だんがいを『昨日までの』父に叩きつけ、ノウラはさらに、アブドゥル・アルバルと妹のズフラに目をやった。その美貌びぼうに浮かぶ笑顔は力強く、華やかで、ズフラたちの浮かべる笑みよりも万倍も爽快なものだった。

 「アブドゥル・アルバル! 内務大臣という要職にありながらろくに政務に励むこともせず、やることと言ったら各国に出向いては愛人を作ることばかり。そして、ズフラ。このせまい世界に自分から閉じこもり、わたしのものを奪うことだけに情熱を傾けてきた哀れなおばかさん。あなたたちと縁が切れて本当にせいせいしたわ」

 ノウラは国王、内務大臣、次期王妃の三人をまとめて絶句させると、クルリと身をひるがえした。その仕種が『砂漠の夜の光』と呼ばれるにふさわしい優美さに満ちている。

 「ズフラ。あなたの言うとおりよ。わたしは幼い頃からずっと、氷の王に恋してきた。あなたたちのように自分だけの狭い世界に閉じこもった小物たちとはわけのちがう、世界すべてのために行動するその熱い魂、

 『人と人が争うことなく、その潜在能力を存分に発揮できる世界を作る』

 そんな途方もない目的に向かって、本気で挑戦するその姿にね。

 わたしもあんなふうになりたい。

 幼い頃からずっとそう思ってきたわ。因習にまみれたこの国ではとてもできないことだったけど、氷の王のもとにとつぐとなれば話は別。これでわたしも、氷の王と共に『人と人が争うことなく、その潜在能力を存分に発揮できる世界』を実現させるための挑戦ができる。こんな古臭い、因習まみれの国にいてはとてもできないことがね!

 本当に、いい話を成立させてくれたわ。その点だけは心から感謝するわ、アブドゥル・ラティフ。では、皆さま、ごきげんよう。二度とお会いすることはないでしょうが、お元気で。わたしは氷の王のもとで幸せになります」

 言いたいことを、言いたいように、言いたいだけ言ってのけると、ノウラはそのまま謁見えっけんの間を出て行った。晴れやかな美貌びぼうにふてぶてしいほど力強い笑顔を浮かべ、背筋をピンと伸ばして、ゆっくりと。あわてず、急がず、堂々たる歩調で。

 その姿はまさに『女王』。

 『追放された元王女』などというみじめな肩書きとは相容れない姿だった。

 あとには絶句したままのアブドゥル・ラティフ、ズフラ、アブドゥル・アルバル。それに、唖然あぜんとした表情の衛兵たちだけが残された。

 そのまま、どれだけの時間が立ったことだろう。アブドゥル・ラティフがようやく口にした。忌々いまいましい思いを何重にも口のなかで噛みしめながら。

 「……ふ、ふん! まあよいわ。アレの口の悪さはいまさらのことではない。肝心なのは、これで氷の王を亡きものとする算段がついたということ。そうだな、内務大臣?」

 「さようです、陛下」

 こちらもようやく立ち直った内務大臣が、主君にうなずいてみせた。その表情にはいまだにショックの跡が残ってはいたが。

 「ノウラが輿入こしいれしたとなれば、我が国のものが氷の王に近づくのは自然なこと。暗殺の機会は格段に増えるというものです」

 「その通りだ。そして、すべての責任はノウラに負わせる。これで、我が国の立場を危うくする地球回遊国家も終わりだ」

 ナフード王国の謁見えっけんの間に――。

 国王アブドゥル・ラティフたちの不気味な笑いが響いた。

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