ロマンチックには程遠い

 ――――がしゃんっ!


「――――いったぁ!?」


 気づいた時、わたしは固い地面に尻餅をついていた。

 尾てい骨を襲う痛みに、思わず大きな声を上げる。我ながらなかなかの音量が出た。自転車が倒れる音もあいまって、これはもう周囲の注目を集めたという確信があった。地面に向いていた顔を上げれば、案の定周りの人がこっちを見て――――


(……ん?)


 目の前の光景を見て、思わず首を傾げた。

 わたしの大声にびっくりした人たちは、案の定こっちを見ている。見ているんだけど……なんかこう、違和感が……。和服を着ている人がやたら多いし、洋服も見慣れてないような、見慣れたような、変な感じがする。

 クエスチョンマークを浮かべているわたしを、周囲の人たちはじろじろと見てくる。さすがにいたたまれなくなってきたし、心なしか薄ら寒くなってきた。へらへら笑いながらカバンを背負い直すと、自転車を押してその場から立ち去った。


 しかし、歩けども歩けども、すれ違うのは通学路にいないような恰好の人たち。ハロウィンの時期でもないのにケモミミコスプレをしている人もちらほらいる。

 というか、周りの景色もなんだかおかしい。

 見慣れないけどなぜか見覚えはある、レトロな雰囲気漂うレンガ造りの家々が、お行儀よく通りに並んでいる。なんというか、観光名所になりそうな場所だ。そして、わたしの行動範囲にそんな場所はなかったはずである。

 さすがに足が止まった。

 正確には、止めようとしたところで、前から歩いてきていた二人組の片割れとぶつかった。


「あ、すみ――」

「いってえな。どこ見て歩いてんだよ、ガキ」

「うわぁ……」


 とっさに謝ろうとしたわたしの口から、そんな声が零れた。

 シチュエーションを考えれば、我ながらだいぶまずいリアクションだ。やっちゃいけないことのワースト3には入ると思う。でもちょっとこれは声に出すなって方が無理な話だ。


「き、着流しケモミミチンピラ……?」


 片や赤い着物に狐の耳、片や緑の着物に狸の耳と、有名カップ麺を連想させるいでたちのチンピラ二人組がわたしの前に立っていた。これを前にしてノーリアクションでいられるほど、わたしの心臓は毛深くない。

 撮影かと思って周囲をきょろきょろしてみるけど、それらしい人影はいかなかった。


「シカトするとはいい度胸じゃねえか」

「ひえっ」


 そして当然、そんなリアクションがお気に召すわけがない。赤いチンピラと緑のチンピラは露骨に不機嫌そうな顔をしたかと思うと、緑の方がわたしの肩に手を伸ばしてきた。

 慌てて一歩下がろうとするけど、さすがに(?)に向こうの方が手慣れていらっしゃる。退路を塞ぐように赤い方がすかさずわたしの後ろに回りこみ、緑の手に肩を掴まれた。

 ナギはにげだした! しかし、まわりこまれてしまった!


「ごめんなさいちゃんと前を見ていませんでした許してください!」


 ひとまず謝罪の気持ちがあることを伝えるべく、早口でお詫びを口にし、90度の角度で頭を下げる。さすがにこれで全部ちゃらにはならないだろうけど、少しでもお怒りを鎮めてくれないだろうかと期待しつつ、恐る恐る顔を上げた。

 おっ、笑ってる!?

 まさかコミュニケーション成功!?


「許してほしいなら、言葉以外にも誠意を見せてもらわねえとなあ?」


 あっ違う、これ無理難題吹っかけてやるぜって笑顔だ。

 ある意味お怒りは鎮まっているけど、そういうベクトルは期待してないです。


「乳臭いツラのくせにいっちょ前に足なんか出しやがって。どこぞの新しい娼婦か?」

「せっかくだし、商売道具でお詫びしてもらうのも悪くねえな」

「はー? こんな人間のガキ相手に勃たねえって。それより服ひん剥こうぜ。見た感じ良い生地してるしよ。こんなの娼婦に着せるにゃもったいないぜ。銀輪も上物そうだし、あわせて売ればいい金になるだろ」


 冷や汗をだらだらと流すわたしを挟んで、治安が世紀末な会話が交わされている。こんな会話が現代日本でまかり通っていいのかと思いかけ、しかしその思考は、赤いチンピラと緑のチンピラのやりとりから感じた違和感に上書きされた。

 娼婦? 良い生地? 上物?

 どこからどう見ても一般女子高生のブレザーとお下がりのママチャリですが?

 怪訝な顔をしていると、それに気づいた緑のチンピラが顔を顰めた。


「おいこら、無視するとはいい度胸じゃねえか」

「えっ、今わたしに向けて話してませんでしたよね!?」

「あ?」

「あっ」


 理不尽なお言葉に思わず抗議すると、案の定緑のチンピラがピキった。肩を掴む手にもいっそう力が込められる。普通に痛い。反射的に顔を顰めてしまったのがまたダメな琴線に触れてしまったようで、緑のチンピラはますます怒った顔になった。


 これはまずい、とてもまずい。

 頭の中でアラートがガンガン鳴っているけど、寝不足&空腹に奇妙な状況への疑問もあいまって、ちっとも頭が働かない。護身術の心得でもあればなんとかなったかもしれないけど、体育の成績が人より良いだけの女子高生にそんなものが備わっているはずもなく。


「だ、誰か助けてぇ……」


 できることと言えば、脳死で助けを求めることくらいだった。

 しかし、救援も絶望的である。助けてくれるような誰かがいたなら、状況が悪化する前に手を差し伸べてくれるはずで――――



「お前たち。娘ひとりをよってたかって囲むのは感心せんな」


 そんなわたしの予想を裏切って、静かな声が聞こえてきた。



「…………え?」


 呆けた呟きとともに、恐る恐る、声がした方を見る。

 頭の中を占めるのは「は?」「まさか」という言葉たち。でもそれは、期待していなかった助けの手が差し伸べられたからじゃない。鼓膜を震わせたのが、聞き間違えようがないほど何百回何千回と聞いたバリトンボイスだったからだ。


「あ、あんたは……」

「こんな往来で人の子を嬲るなど。おとこの風上にも置けん」


 そう言って肩をすくめるのは、朽葉色の着物の上に灰色の羽織りを着た男の人だった。

 肩につくくらいの長さで切り揃えられつつも、鳥の羽根みたいに毛先がちょっとだけ跳ねている明るい色の赤毛。宝石のように綺麗で、芯を感じさせながらもどこか陰りみたいなものがある紫の目。色男という単語を辞書で引いた時、例として名前が挙げられてもおかしくない。そんなレベルで整った顔立ちが、わたしたちの方に向けられている。


 ……いやいや、そんな馬鹿な、嘘でしょ。

 目の前の光景を否定するような言葉が、頭の中で列挙される。しかし、その姿を今まで脳裏に焼きつかせんばかりに見てきたのだから見間違えようがない。

 そこにいたのは、どこからどう見てもわたしの最推しだった。


「シャオ――」


 反射的に名前を呼びそうになった口を、わたしは慌てて押さえつけた。

 幸いにも、わたしの迂闊は誰の耳にも届かなかったらしい。いきなり自分の口を塞いだわたしを不思議そうに見こそすれ、違う名前を言いそうになったことはばれていなさそうだった。


 あ、危な……!

 さっき小龍エンディングを見たばかりだからつい……!

 小龍=鳳希介は、当然ながら一部の人しか知らない。こんな衆人環視の中でそんなトップシークレットを口になんかしたら、周りの人たちが口封じで殺されかねない。というか真っ先にわたしが殺される。わたしの推しはそういうことをやる。

 安堵するわたしをよそに、推しもとい希介がゆっくりと歩み寄ってきた。


「お、鳳のご当主じゃないですか……。お一人で巡回ですかい」

「私の名を知っているか。それなら話も早い」


 推しが! 推しが目の前で! 柔らかくも圧のある顔で笑っている!

 希介の時でしか摂取できない栄養を直に浴びせられて、顔が今にもにやけそうだった。というかにやけかけていた。嫌だ、推しの前でいきなり笑いだす不審者になりたくない。緩みそうになる筋肉を押さえるべく、わたしは頬の内側を噛み締めた。


「これ以上その娘と話がしたいというなら、私が相手になるが?」

「い、いやあ、鳳様の手を煩わせるわけには……な?」

「え、ええ」


 そうしてにやけそうになるのを必死に堪えている間に、話は穏便な解決へと向かっていく。わたしの肩から手を離すと、赤いチンピラと緑のチンピラはそそくさと立ち去った。

 遠巻きに見ていた通行人の方々も、丸く収まったのを見て、よかったよかったとばかりに歩き始める。うーん、Not助け合いの精神……。世知辛い。とはいえ、わたしがあの人たちの立場だったとして、割って入れる気はしないから仕方ないと言えば仕方ないんだけど。


 その点、推しはすごい。さすが推し。

 IQが3くらいしかない感想を抱くのと同時に、既視感を覚える。

 なんていうか、つい最近見たことがあるような……あ。

 これあれだ、小龍ルートの中盤に起きるイベントだ。回礼のアジトに軟禁されていたまひろが許しをもらって久々に外出した時、運悪くチンピラに絡まれちゃうやつ。

 近くをパトロールしていた希介に助けられるんだけど、その時にまひろは希介が小龍だって気づくんだよね。このイベントは希介単体のスチルがあるからレアで……。


「娘、怪我は?」

「はひ!」


 思考を明後日の方向に飛ばすわたしに、希介が声をかけてくる。生で聞く推しのバリトンボイスが劇薬すぎて、我ながら気持ち悪い声が出てしまった。


「だ、大丈夫です……」

「そうか」

「あ、ありがとうございましゅ……」

「責務を果たしたまでのこと。改まって礼を言われることでもない」


 穴を掘って入りたい気持ちを堪えながら、なんとか推しと会話する。

 このありがとうには、助けてくれてありがとうも当然含まれているけれど、それ以上にファンサをしてくれてありがとうという気持ちが込められていた。こんな挙動不審な女にも優しく微笑んでくれる推し、ひょっとして聖人かもしれない。いや人外なんだけど。


「……また絡まれても大変だろう。家まで送ろう」

「はひっ!?」


 追い打ちのファンサに、またしても気持ち悪い声が出た。

 いやでも、これは許してほしい。繰り返すけど、わたしは今寝不足と空腹で正常な状態じゃないのだ。いきなり推しの供給過多に晒されたら変な声の一つや二つは出る。

 っていうか推し、なんて言った?

 送る? 家まで?


「そ、そんな悪いですよ!」

「警邏の一環だ。手間ではない」

「でもでも、あまりにも恐れ多い……」

「迷惑ということであれば、無理強いはしないが」

「そんなことはこれっぽっちもありませんが!?」


 ありえない質問をされて、思わず100デシベルくらいの声で反論してしまった。通行人がまた何事かとこっちを見たけど、気にしてなんかいられない。

 鳳希介に送ってもらうのを迷惑がる人類、この世に存在する!?


「ならば送って行こう」

「はひ……」


 そして自分で退路を塞いだわたしは、推しの言葉に頷くしかできなかった。

 ようやく折れたわたしを見て、希介は柔和な表情を浮かべたまま、歩きだすよう仕草で促してくる。それに従うまま自転車と一緒に動き出せば、希介もまたわたしの隣を歩き始めた。


 推しにエスコートされてる……。

 前世でどんな徳を積んだらこんなことに……。

 寝不足と空腹に興奮が加わって、頭がくらくらしてきた。足も心なしかふらついている気がする。家についたらとにかくベッドに直行しよう。ひとまず寝ないとダメだこれは。


 ……………………ん? 家?

 そこではたと、ポンコツの頭が疑問を抱いた。

 家に送るって言われたけど、この人がわたしの家、知っているわけなくない? いや、知ってなくてもわたしが案内すれば家に辿り着きはするけど、今先導しているのは希介なわけで。

 推しの登場で止まっていたアラートが、再び頭の中で鳴り始める。

 思わず足を止めて周囲を見渡せば、そこは人気のない路地裏だった。


「おい、娘」


 背後から、余所行き用の柔和さを取り払った、無感情なバリトンボイスが囁かれた。

 ついさっきチンピラに掴まれていた肩に、再び手が置かれる。それと同時に、爪と思われる感触が喉を撫でた。この爪が本人の意思次第で刃物に負けない凶器に変わることを、わたしはよく知っている。

 チンピラに絡まれるのと比較にならない命の危機が迫っていることは、本能で理解できた。

 頭が真っ白になる。

 漂白された頭の中に、希介声を流し込んできた。


「先ほど、小龍おれの名前を言いかけたな?」

「……」

「返答は慎重に。何をどう答えるかで、お前の寿命が決まると思え」

「…………………………………………あ」

「あ?」



「ありがとうございます……っ!!」



 言い訳を、させてほしい。

 寝不足かつ空腹でただでさえ思考能力が落ちている中、まともな状態でもきちんと処理できるかわからない情報をどかどかと投入されているのだ。そんな中で治安が悪い推しを直に浴びせられたら、まず感謝の言葉が出てしまうのはオタクとしてまっとうなリアクションじゃないだろうか?

 ごめんなさい嘘です、そんなわけないです。


「…………は?」


 案の定、背後からわりとガチめに困惑した声が聞こえてきた。


「……お前、状況を理解しているのか?」

「はい……。ごく一部しか知らないはずの貴方の秘密を口にしてしまったので、いつでも拷問に移行しかねない尋問をされているところです……」

「……そこまで正確に状況を理解できていて、出てきた言葉が感謝?」


 あああああ、推しに頭がおかしい奴扱いされている!

 恥ずかしい。穴に入りたい。むしろ今すぐ推しの前から消え去りたい。っていうかよく考えたら、制服は適当に着た状態だしスッピンじゃん。推しにずっと痴態を見せていた上にさらに醜態まで晒したってマジで言っている?

 うわああああああああああ!

 死ぬ! 慙死する! いっそ殺して!


「――――ぁ」


 情緒がぐちゃぐちゃになる中、不意に世界がぐるりと回った。


 あ、これ、熱中症の時と同じ感じ。

 遠のく意識の中、中学生の夏を思い出す。しかし、きちんとした回想にはならない。自転車が倒れる音を遠くに聞きながら、わたしの視界はブラックアウトした。

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ナギの大団円 毒原春生 @dokuhara_haruo

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