第1話

「俺、明日東京に〇△エンターテイメントのオーディション受けに行くんだ」


放課後、寄せては返す波の音が響く、まだまだ蒸し暑い夕暮れの防波堤。


おんぼろの自転車を押しながら、隣を歩く凪に言う。


思ったとおり、凪はポカンとしていた。


「え、〇△エンターテイメントってなに? どういうこと?」


「音楽系の芸能事務所だってよ。半年くらい前、前田たちと歌の動画撮ったろ? あれをそのなんたらエンターテイメントっていう事務所の人が見たらしくて、オーディション受けないかって連絡がきたんだ」


「すごいじゃん、純平! それってめちゃくちゃすごいことだよ!」


凪が、波の音に負けないくらい声を張り上げる。


「すごくねえよ。絶対に落ちるに決まってるじゃん。でも、こんなチャンスもう二度とないって前田が言うから」


「絶対受かるって! 私、純平は歌の才能あるってずっと思ってたんだよね! 有名になったら、この島初の快挙だよ! 幼馴染として誇りに思うよ」


ちょっと盛り上げすぎだが、凪に褒められるのはいい気分だ。


目をキラキラさせている凪を盗み見る。


背中までのサラサラの黒髪に、真夏だというのに日焼け知らずの真っ白な肌。


顔は嘘みたいに小さくて、形のいい目と鼻と口がその中に嘘みたいに収まっている。


プリーツスカートから伸びた脚は細すぎなくてちょうどいい。


凪は高校一の美人だ。頭だっていい。


俺は凪が喜ぶ顔を見るたびに、無敵になれる気がしている。


要するに俺は、物心ついた頃から凪のことが好きだった。


だけどバカでポンコツでイケメンでもない俺が、凪とどうにかなるなんてことは絶対にないから、そんな素振りは一ミリも見せないようにしている。


気心知れた幼馴染。それが、俺たちの築けるベストな関係だ。


「めちゃくちゃ歌うまいやつらが全国から集まって、受かるのはほんの握りらしいぜ。普通に考えてムリだって」


「私がこんなに褒めてるんだから、少しは自信持ちなさいよ。なんとかならないの、そのネガティブ思考」


ボフッと、凪からのスクールバッグ攻撃をまともに脇にくらう。


思った以上の重みがあって「ぐはっ」と声が出た。


そんな俺を見て、凪がケラケラと壊れた玩具のように笑った。


「ひでーな、この暴力女。学校では猫被ってること、言いふらしてやるからな」


「そう言って、結局いつも黙っててくれてるじゃん。もしかして、本当は殴られて喜んでる?」


「アホか」


チヌの釣りスポットってだけが売りの小さなこの島は、シーズンの夏に釣り客でにぎわうくらいで、うんざりするほど田舎で、うんざりするほど毎日が同じことの繰り返しだ。


それでもこうして君の隣にいるだけで、俺が世界一幸せだってこと、君は知る由もないだろう。


少しでも、君と釣り合えるようないい男になれたら。


いつだって俺は、そんなどうにもならない葛藤を抱えている。


だから、受かりもしないオーディションを受けに行くんだ。


ほんの少しでも、何かが変わるんじゃないかと期待して。


「じゃあさ、明日うずしお屋さんで会えないね」


少しだけしんみりした調子で凪が言った。


うずしお屋とは、この島に昔からある駄菓子屋だ。


子供が楽しめるところなんて、この島にはそこくらいしかないから、休みの日はけっこう繁盛してる。


「あーそっか。じゃあ俺の代わりにかなうバー買っといて」


かなうバーというのは、食べると願いが叶うという、なんとも雑なコンセプトのチョコレートアイスバーだ。


一本五十円。安いようで、高いような気もする。


『かなうバーを毎週土曜日に買うと、本当に願いが叶うのじゃ』


小学生の頃、仙人みたいな駄菓子屋のじいさんに吹き込まれたのがきっかけだった。


大きくなるにつれ、じいさんの営業トークだったことに気づいた友達が次々と脱落していく中、俺と凪は高二になった今でも律儀に買い続けている。


「しょうがないなー。冷蔵庫入れとくから、帰ってきたら取りに来てよ。ていうか純平、かなうバーにいつも何お願いしてるの?」


唐突にそんなことを聞かれ、俺はむせそうになった。


――凪が俺を好きになりますように。


何百回も繰り返したそんな願い事、正直に言えるわけがないだろ。


「そんなの言わねーよ。お前はどうなんだよ?」


「私は……純平が音楽で成功しますようにって」


「えっ」


思わぬことを言われ、俺は心底驚いた。いつもみたいに冗談で返ってくると思ったのに。


「純平、昔から歌が上手だったでしょ。海辺でギター弾き語ってるの聞くの、けっこう好きなんだ。きっといいミュージシャンになるよ」


淡々としながらも、どこか緊張の感じられる声で凪が言う。


凪が、そんなことをかなうバーに願っていたなんて。


俺は赤らんだ顔を見られないよう、海の方に顔を向けた。


返す言葉が、なかなか思い浮かばない。こんなところが、とことんポンコツだと思う。


凪もなぜか黙っていた。


寄せては返す波の音だけが、ザバンザバンと響いている。


奇妙な居心地の悪さの中、気づけば互いの家の分岐点にたどり着いていた。


「明日、何時の船?」


「六時。朝一のやつ」


「そっか、気をつけて行ってきてね」


「おう。かなうバー、よろしくな」


「はいはい、じゃあね。あっ、起きれたら港まで見送りに行くよ」


「絶対起きねーだろ。凪、朝弱いから」


「うん、その可能性の方が高いと思う」


アハハ、と冗談交じりの笑顔を見せて、凪はスクールバッグをブラブラさせながら歩いて行った。


遠ざかる凪を、自転車を手にしたまま立ち尽くし、しばらく見送る。


見慣れた景色、見慣れた白い半袖シャツの後ろ姿――そのはずなのに、俺はどうしてか、たまらなく泣きたくなっていた。


夏の輝きが吸い込まれたみたいな夕暮れの海景色が、そんな気持ちにさせるのだろうか。


こういうのは苦手だ。


俺はセンチメンタルな気持ちを振り払い、自転車にまたがった。


オーディションに落ちてこっちに戻ってきたら、またもとの俺たちに戻っている。


そして今のセンチメンタルな気持ちが幻だったかのように、ふざけ合いながら一緒に登下校するんだ。


そうに決まっている。うんざりするほどの田舎の、うんざりするほど同じことの繰り返しの毎日が、こんな簡単に崩れるわけがない。


なのに、不安な気持ちはいつまでも消えてくれない。

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