第2話 顔無しセーラー服

 話は、五月まで遡る。


 旭(あさひ)葉月(はづき)の席は、常に窓際の後ろから二番目だった。

 これはまだ中等部だった二年前から、何度席替えをしてもずっと変わらない。なぜなら、その席に当たった者が、必ず旭に席を交換してくれと頼むからだった。そしてそれを旭は常に快諾していた。

 その旭の後ろの席はこのクラスの不登校の生徒一人のために振り当てられ、右隣は新聞部所属で噂好きの白夜(びゃくや)月乃(つきの)が毎回強引に陣取っていた。白夜の後ろは人数の関係で空席となっているが、本来置かれることのない机を白夜が教師を強引にねじ伏せて配置させ、自身の荷物置き場に使っている。


「なぁ、聞いてくれる?」


「嫌だ、話すな、鬱陶しい」


 旭に一番初めに厄介ごとの種を蒔くのは、いつだってこの隣人だった。

 白夜は、花咲学園中等部からの編入生であり、四国からバスケットボールのスポーツ推薦で入ってきた。197センチの恵まれた長身に少し垂れ目の整った顔立ちのこの男は、中学最後の全国大会を最後にまさかの電撃引退した。別に怪我をしただとか、自分の才能に限界を感じたとかそう言うわけではない。なんなら最後の全国大会は優秀しているし、プロの登竜門を担う大会では個人賞までもらっていたの。だが、理由もはっきりさせずにパタリとバスケを辞めてしまったのだ。

 そうして、高等部への進学はスポーツクラスではなく特進クラスを希望し見事受かり、いまだにバスケ部から勧誘があるにもかかわらずパッとした実績のない新聞部へ入部した。

 周りからしてみれば、大概変人である。

 その変人が異常に懐き、毎日かまい倒すのが、185センチにあまり感情の乗らない精悍な顔立ちの旭だった。

 旭の場合、付属幼稚園から在籍しており花咲学園内では通称“古参組”と呼ばれる。これだけの体躯を持ち合わせているが、中等部時代から進学クラスであり、根っからの文科系だった。父親が少し柔道をかじっていた為、嗜み程度に組手が出来るだけで、本人は心の底から自分は文科系だと思っている。

 顔の良い男子生徒二人組が並んで座っているだけで花があるが、机が小さく見え座っている人物達もかなり個性的な為どうあってもコミカルな雰囲気になってしまっていた。旭は知らないが、この一角をクラスメイト達は“バグの雀卓”と呼んでいる(名付け親は、もちろん麻雀部)


「あんな、昨日の美化委員会が少し可笑しかったんよ」


「どいつもこいつも好き勝手話し始めやがる……」


 今は昼休み。

 昼食を食べ終えていた二人は、顎に引っ掛けていたマスクをかけ直した。

 重たい溜息を吐いてふて寝を始めた旭とは対照的に、教室で昼食をとっていたクラスメイト達が各々喋っていた声を少し小さくし、白夜の話に素知らぬふりをして耳を傾けていた。


「昨日の話し合いは、クラス清掃についての報告と来週の美化強化週間のテーマやったんよ。そんで、清掃報告で裏庭担当した一年三組のスポーツクラスの奴らが変な報告を始めたんや。一年って二週間に一回、裏庭のクラス担当変えるやろ?今五月やから、三組まで回ってたみたいなんよ。俺らのクラスが担当やった時は、担当のやつらは誰も気付かんかったらしいわ。」


 白夜が言いずらそうに一旦黙り、裏庭を担当していたのであろう生徒達がお互いに気まずそうな顔で目配せしていた。


「毎日裏庭の掃除に行くとな、制服姿の知らん女が裏庭の花壇の前で佇んでるんやって。」


「からかってる?」


「大まじめやから!」


 古典的な怪談話のさわりに呆れて起き上がった旭に、白夜が真剣に話を続けた。

 何故、一年一組と二組が担当だった時は気付かなかったのか。

 理由は簡単だった。

 四月時点では、その女が花壇よりさらに奥の、目立たない焼却炉に居たようだったのだ。本当に偶然気がついていた二組の一人だけが目撃していたのだが、この最初の生徒はゴミを燃やしにきた生徒だと思っていたらしい。

 というのも、この二クラスの担当生徒達は、たまたま不真面目な面々が集まっていたため、五分と掛からず掃除を終わらせていた。ゆえに、裏庭をじっくり見回すこともなかったため、そんな些細な違和感に気づけるはずもなかった。


「今まで裏庭の掃除やどのクラスも真面目にせんきん、今日言われるまで気が付いてなかったんよ。だから、いつからおったんか?とか詳細も分からんのやけど、今週担当になった三組のクラスの担当者が美化委員で、みんなに声かけして真面目に掃除してたらしいわ。そんで……そいつが、その女が幽霊やなくて実体やったってことに気付いわけよ」


「……うん?……………普通に人間じゃん?」


 呆れ返った旭に、白夜は首を横に振って否定した。


「話は最後まで聞きなや。影もある、五体揃っとる、黒いロングヘアーも綺麗に手入れされとったんやて。ほんまに普通の生徒やったんや、後ろ姿は。園芸委員会かと思って話しかけようと近付いた時な……一緒掃除してた女子の一人が、あることに気付いてそいつを止めたんよ。」


 白夜の顔が少し強張った。


「花壇に放置されとった雨水の溜まったバケツに、たまたま映っとんの見てしもたんや……その女、顔が無かったんやって。」


 旭はどう反応していいのか解らなかったが、クラスメイトの数人が動揺して肩が跳ねていた。


「阿呆らしい怪談やろ?やきん、俺らも失笑しながら聞いてたんよ。やけどな、なんでか美化担当の小倉先生が怖い顔して話を打ち切って、さっさと委員会終わらしてしもたんよ。まだなんも議題終わってなかったのに。普通やったら、注意して終わるだけやのにそれもなかったし。」


 確かに不思議な話だった。

 普通だったら、そんな怪談、生徒が気味悪がって裏庭の掃除をやらなくなるかもしれないので、教師は立場上注意したはずだ。なぜ、教師である人間がそんな怪談を真に受けたのだろう。


「まぁ、俺は実際見てないきん、この話あんま信じてないんやけど……委員会の中で何人かは見た事あったみたいで、ちょっと騒いどったわ。」


「俺らのクラスは見たやついんの?」


「今は分っとらんけど、もう一人の美化委員が裏庭担当してたらしい。でも、気づかんかったって。俺が気になんのは、怪談話を真に受けた教師のほうなんやけどな。」


「そうだなぁ…でもさ、真面目な話、俺は次の数Ⅱの小テストのほうが気になるぜ?」


「……勉強しよか」


「ん」


 次の授業まで十分を切っていた。

 ある者は弁当を口に掻き込み、ある者は旭たちに倣うように数学の教科書を机に用意し復習を始めた。

 この時白夜が話した怪談は次の日には学園中に広まっていた。

 けれど、その日以降裏庭にその女が現れることはなかった。見た生徒達はむきになっていたが、大多数の生徒達には怪談の真偽なんかどうでもよかった。緩やかに流れる日常に、少しだけ刺激が走ればそれで良かったのだ。


 少しの刺激も必要としていなかった旭はというと、早速その噂話を忘れた。

 ただでさえ、彼の日常はもう一人のトラブルメーカーによって乱されているのだ。緩やかな日常に軌道修正するために、忘却は一番の手段だった。


(暑いな、まだ五月なのに)


 部活棟の階段を最上階まで上り終え、屋上への扉に手をかける前にマスクを口からずらして顎にかけた。荒くなった息を整え、またマスクを口元まで戻す。コロナ禍のピークは去ったとはいえ、一度身につけた習慣はなかなか抜けない。マスクの着用義務は無くなったが、花咲学園でもいまだ半分くらいの生徒はマスクを着用していた。熱中症予防にマスクの着用を避けるように指導は受けたが、顔を覆う安心感は安易に手放せるものではない。

 昔から怒っていないのに怒っていると誤解を受けやすかった旭としては、そういう人と話す時の些細な煩わしさがかなり減ったのだ。そのようなコンプレックスを抱えている生徒は多く、疫病予防のつもりでつけている方が少ないのだろう。学園の教師達もそれを理解しているため、生徒達に強く指導することはなかった。


「やっぱ、あっついな」


 そうして、やっと園芸部の部室がある屋上のドアを開けた。

 ここまでが旭の知りうる“のっぺらぼうの噂”に関する全てであった。


 ※※※


「俺が知ってんのはここまでだ」


「いつからのっぺらぼうさんは“青い向日葵”を持ってたんですかね?」


「知らんよ。白夜なら知ってるかもな」


「今すぐ、電話で聞いてください」


「やだよ、お前が聞けよ不登校児」


何を隠そう、旭の後ろの席の不登校児は、この園芸部部長であった。


「白夜君の番号知らないです。あと、不登校じゃないです!毎日学校にいるじゃないですか!夏休みでも!なんだったら、住んでます!!」


「それが意味分からん、家に帰れよ」


「家みたいなものです!」


「花咲財閥の職権濫用だ……」


 高等部だけで生徒数1200名を誇るマンモス校の花咲学園であるが、その九割の生徒が何かしらの部活動に参加している。同好会も含めると100近くの部活が存在するため、そのための専用の建物がある。

 部活棟と呼ばれる3階建てのそれは、百人を超える野球部の合宿にも対応できるほどしっかりとした設備を備えていた。しかし、屋上に関しては(普段授業を受けている学習棟もだが)、全面的に立ち入り禁止となっていた。

 園芸部という例外を除いて。


 花咲学園には園芸部が存在する。学園の部活動認定の条件が在籍者が二名以上であることなので、園芸部はギリギリその存在を保っていた。その園芸部の部室は部活棟の屋上にあり、空調管理のできる温室まで完備されていた。そのくせ学園からは部活動において予算が一切割り振られていないのである。

 この部活動の全ては、園芸部部長である花咲(はなさき)太陽(らら)の私費で賄われていた。とんでもない当て字の名前である彼女は、この学園を運営する花咲財閥の縁者であるらしかったが、園芸部副部長である旭も詳しくは知らない。ただ花咲もまた“古参組”であり、旭とは附属幼稚園の頃からの腐れ縁であった。


 二年前から旭が部活動のために屋上に来るようになり、来る直前に花咲が扉の鍵を開け、旭が入ってすぐ屋上の扉の鍵をかけるのが部活動の始まりの合図のようになった。そして、毎回あきもせずに同級生の男の子に抱き着く花咲を、旭がうんざりしながら受け止めては引っぺがすのである。


「そもそも、のっぺらぼうって実在するんですか?」


「だから、知らんて」


 そうして冒頭の噂話に戻るわけだが、好奇心旺盛な花咲の不安を煽るには微風程度の力にもなりはしなかった。

 部室の上等な椅子に座った旭は、バカ真面目に考え込む園芸部部長を見て、こんな話で騒いでいる学園が少し恥ずかしくなった。いるわけねーじゃん、顔無し女なんて!白夜の阿保!と。

 旭が羞恥心に苛まれていると、花咲がウムウム唸りながら少し考え込み出した。何事かと頭を上げて花咲のほうに視線を向けると、彼女の包帯に巻かれた右手にどうしても意識が向く。一人でまた気まずくなって、誤魔化すようにオレンジジュースを煽った。


「はっちん、のっぺらぼうのことなんですけど!」


「もういいって…」


 旭がまた羞恥心に項垂れていると、花咲の少し困ったような声が耳に届いた。


「次、のっぺらぼうが現れたら…もしかしたら、人が死んじゃうかもしれません。」


「はぁ?」


 突拍子もない台詞に、旭は呆れと驚きで花咲を見た。花咲は至極真面目な顔をしていた。


「多分…その人もうダメです。」


 人、と断言した花咲の言葉に鳥肌が立った。

 そんな旭に、花咲はとても綺麗に笑った。


「はっちん、やっぱり白夜君に電話してください。美化担当の教師に話を聞きに行きたいです、色々と手遅れになる前に」


 旭は知っていた。

 花咲がこんなふうに笑う時は、すでに人が死んでいる。

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花咲学園園芸部は不思議な花しか育てない くくり @sinkover88

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