十八話 アーセルムの魔神
セリオスとの決着が付き、大広間に戻って来た俺達。
分散していた戦場も粗方勝敗は決していたようだ。
セリオスの剣は折れ、青髪の少年は気絶して神剣はラグナートに押さえられている。
儚げな少女は樹の根で拘束。おっさんマッチョは膝を付いていた。
心配する事はなかったな。俺以外は全員無傷。さすがだ。
ザガンは何かを抱えるような姿勢を取ったり、拳を天に掲げたりしている。
コロコロとポーズを変えてはしばし固まるのが大変気になる。
正直気味が悪いが多分アレだな。よく筋骨粒々の男性がやるポーズだ。
それは筋肉のあるヤツが己が筋肉を強調する行為である。
肉すら無い骨がやっちゃいかん。
俺は愉快なザガンを見なかった事にし、ロングソードをラグナートに投げ返した。
それから床に刺さっているアガレスを引き抜き、その場で威嚇するように一振り。
「まだやるのか? 決着は付いたと思うが?」
俺はセリオスに向けてもう一度言い切った。
勇者御一行は全員戦闘不能と言って良いが、こちらは全員ほぼ無傷なのだ。
「そうだな……、我等の負けだ……」
セリオスも改めて敗北を認めた。
聖女エトワールの能力を封じられたとは思わないが、戦意は挫けたようだな。
何せ回復したってあちらはもうまともに戦えないのだ。
拘束、気絶、武器もない。辛うじて残ってるおっさんマッチョだけではどうする事も出来ないだろう。
ようやく場の緊張感が和らいだその時、広間の階段からチノレが駆け出して来た。
おっさんマッチョの前までやって来たチノレは可愛らしく立ち上り、前足を上下に動かしている。
あれは……、ちょうだいちょうだいのポーズ!
一体あのマッチョから何を貰おうというのだろう?
「なりませぬセリオス殿下! 我等が……、敗北などと……。かくなる上は! たとえ一体でも!! うおぉぉぉぉぉ!!!」
俯きながら雄叫びを上げるおっさんマッチョ。
その全身から闘気が溢れ出し、大きく拳を引いた。
瞬間、紅色の淡い光に包まれたチノレに向かい、容赦なくその拳が繰り出される。
ドムン! という豪快な衝撃音が響き……
小刻みに跳ねながら転がり壁際で倒れるチノレ。
俺は何が起こったのか、数秒理解が遅れてしまった。
「て……めぇぇぇぇぇぇ!!!」
俺の怒号に合わせ、三体の魔神から怒れる瘴気が渦を巻く。
まさか決着が付いたというのに、戦意のないチノレに牙を剥くとは思わなかった。
その瘴気に巻かれ膝を付くセリオス。
チノレを殴りやがった肉ダルマは震える体を抑え、天を仰いでいる。
潔く最後の時を待っているのだろう。
上等だ……。楽に終わると思うなよ……
怒りの瘴気が空間を埋め尽くしてから程なく。
俺達の背後、階段の方から異様な気配が放たれて周囲の瘴気を払っていく。
そこには静かに、だが明らかな怒気を孕むリノレが立っていた。
その身には薄紅色の炎が猛々しく逆巻き、この空間全てを威圧しているかのよう。
「なん……で……? おかあ……さん……ぶった……の……?」
目を大きく開き、細長い瞳孔は更に細い。
表情は悲しげであるが、リノレの声は震えながらも怒りに満ちている。
リノレが一歩足を踏み出した瞬間、足元の階段が弾け飛ぶ。
消えたかと思う程の速さで、リノレは肉ダルマのすぐ目の前に移動していた。
涙目のリノレはその小さな拳を精一杯振りかぶる。
驚いたような表情を作った肉ダルマは直ぐ様目を閉じ、リノレの前で膝を付いた。
全てを諦めたような肉ダルマの顔面目掛け、リノレの拳が解き放たれる。
これはマズイ……。あれは人を殺せる一撃だ!
俺はアガレスの切っ先を、リノレと肉ダルマの間に向けて叫んだ。
「頼むアガレス!!」
リノレの前に、目には見えないガラスのような障壁が現れる。
アガレスの障壁はリノレの拳を受け止めたが、すぐに亀裂が入り崩壊した。
重く響く衝撃。障壁を越えた拳は肉ダルマの顔面にめり込み、肉ダルマは壁まで吹き飛んだ。
壁の一部を破壊するほどの衝撃を受け、力なく倒れ込む肉ダルマ。
「魔力自体は殆ど無効果出来た……。力の軌道も少しずらせたから死んではいないだろう」
焦りを覚えていた俺はアガレスの言葉でようやく安堵した。
あの肉がどうなっても知らんが、リノレの手を汚させたくはない。
生きてるならそれで良い。とりあえず放置だ。
「チノレ!!」
俺達はすぐにチノレの側に駆け寄った。
不安が募る。確かあの肉ダルマ神官も大物と聞いた……
仮にも大神官なんて大層な肩書きを持つ奴の攻撃を受けたのだから……
「おかあさん! おかあさん! 大丈夫? 痛い? おかあさん!」
「大丈夫そうですわ……。先程のリノレちゃんと同じ魔力が、チノレの身体を覆うのが見えましたの。おそらく無意識にリノレちゃんが結界を張ったようですわ」
泣きじゃくって居るリノレを安心させるように説明するシトリー。
先程リノレが使っていた不可思議な力。
それが攻撃を受ける直前のチノレにも施されていたらしい。
そのお陰でどうやらほぼ無傷のようだ。
「にゃーん……」
「うぇ~ん、おかあさ~ん……」
びっくりしたと言わんばかりに小さく鳴くチノレ。
リノレはチノレに抱き付いて啜り泣いている。
良かった……。本当に大事には至ってなさそうだ。
さて……、肉ダルマの方は……
顎が大変な方向に曲がっていらっしゃる。
よく生きていたものだ……
「ひ……ひんひゅーしゃま……。ひんひゅーしゃま……。ほひゅるしを……」
ビクンビクンと身体を痙攣させ、必死に語り出す肉ダルマ神官。
貧乳様……だと!? コイツ……貧乳派か!
俺はどちらかと言えば巨乳派だ!
チノレの無事を確認した俺は、冷静な思考を取り戻しているようだ。
「レイクザード殿を助けて頂いた事……、礼を言っておこう」
セリオスがなんか勘違いしたことを言いながら歩み寄って来る。
今更礼などと……、非常に怪しい。
俺はセリオスを睨み付けて言ってやった。
「リノレに殺生なんてさせたくないからな。それに……、チノレに何かあったら……。こんな簡単に楽にさせる気はないからだ!」
俺の言葉にセリオスはピクリと眉を潜めた。
我ながら危うい発言だっただろう。
だがもう警戒は解かない。いざとなったら俺がこの手で……
一触即発の沈黙が続き、肉ダルマの体に変化が起こる。
シトリーの拘束から解放されたエトワールが肉ダルマを修復したようだ。
それを確認したセリオスは肉ダルマの方に向かった。
セリオスは怪我の治ったはずの肉ダルマが小さく震えている事に疑問を持ったようだ。
打ち付けられた壁から動かず、祈るように頭を下げたままの肉ダルマ。
「レイクザード殿……。様子がおかしいようだが?」
「セリオス殿下……。あれは……いや、あの方からは神竜様の気配が……。我々の教団に伝わる神竜様の神器と同じ気配が致します……。私は……なんて事を……」
セリオスの問い掛けに震えながら答える肉ダルマ。
致命傷を負わされた事で怯んだ可能性も考えたが、どうやら違うらしい。
リノレの気配が信仰対象に似ているようで、その怒りを買った可能性を危惧している模様。
「神竜? 教団が崇拝するレイルハーティアか? ふむ……、そなたらは下がっていろ。私が話しを付ける」
セリオスは肉ダルマ達を下がらせ、一人で俺達の前まで赴き片膝を付く。
そして頭を下げ、この一件の解決策を提案してきた。
「此度の責……、全て私にある。ここは私の首一つで納めてはくれぬか……」
極めて危うい空気から一変し……
セリオスが突然俺達に謝罪を始めた。
全くもって殊勝な事だ。
先程までの態度が嘘のよう……だが。
「下手な芝居だな。お前を殺せば今度こそ後戻りは出来ない。俺はもう町に帰れないしアーセルムとは全面戦争だ。だが残念……。その脅しは通用しない。俺はそれでも良いと思ってるからな」
そうなのだ。こいつを始末してちょっぴり困るのは俺くらいなのである。
俺達を殺そうと攻めて来ておいて虫が良すぎる話しだ。
「ふっ……そうか。では……取り引きというのはどうだ?」
悪びれた表情が消え、立ち上りながら取り引きを求めてくるセリオス。
やっぱりイケすかないヤツである。
取り引きの内容はこうだ。
アーセルムは今後この魔神舘に手を出さない……
どころか、時間は掛かるがこの結界区域を正式にこちらの領土として認めると言う。
巷で広まっている噂も上手いこと処理してくれるらしい。
「大盤振る舞いだな。いきなり手の平を返されても胡散臭過ぎるね」
「それもそうか……。ところで……、そろそろ出てきたらどうかな? 居るのだろう? イリス・メインシュガー」
俺の悪態を軽くかわすセリオス。
セリオスに促され、イリスが粛々と姿を現して階段を降りてくる。
どうやらイリスは俺の近しい友人ということで、比較的早い段階で監視されていたようだ。
ほぼ毎日来ているイリスの状況や態度から、ここの魔神の危険性も低いと判断したらしい。
当然突入時刻も嘘の情報。
イリスが俺達に報告に向かうのを待って奇襲に来たとのこと。
ちなみに本当に俺を助ける気持ちはちょっとだけあったようだ。
「驚異の芽を摘めないならば融和を図るのは当然だろう? 無論この件に関しては謝罪しよう。穀物、酒、趣向品などそちらの望む形で出来うる限りの礼を尽くす」
セリオスの提案に押し黙る俺達。
……なんで皆無言で良いんじゃないか? って目で俺を見るんだ!
そもそもこれは謝罪なのか? そんな心根は一切見えないのだが?
「ここの領地についてはいずれフレム・アソルテに爵位を授け、ここの統治を認めさせようと思う」
おのれセリオス……、そういう事か。
ようするに俺を使って魔神の力を借りようって事だな。
ふざけるのも大概にしろよ。
爵位なんかいらないし! マジで!
「やります! フレムはやります!」
俺が文句を言うより早く、横からイリスが勝手にしゃしゃり出てきた。
何故おまえが嬉しそうに返事をするのだ……
「爵位なんかいらないが……、ようは飼い殺しにしようって事だろう? そんな条件は飲めないな」
「そんなに警戒するな。こちらはお前達に負けたのだ。それでいてまだ我々は生きている。この意味が分からないほど私は愚かではない。敗戦の責任を果たそうというだけだ。お前達が我が国の民に危害を加えたのなら……。今度こそ、この身が滅びても抗おう。この国を担うものとして、今争うべきではないと判断した」
俺の否定的な意見に長々と注釈を入れるセリオス。
なるほど……。一応は王子として良く出来てる者のようだ。
これ以上つっこんでも仕方ないし、皆納得してるようだから今は引き下がろう。
全く信用出来ないけどね!
「聴け! 彼の方々は悪しき魔神などではなかった! 神竜レイルハーティア様の使いの方々。このフレム・アソルテ殿はその名代として選ばれていたのだ! 方々は我等の暴挙を許してくだされた! アーセルム王国第一王子セリオス・フォン・アーセルムの名において、ここに神竜の御使いの方々に感謝と謝罪の意を示す!」
意識を取り戻した少年を含め、セリオス以下三名が俺達の前に集まって跪き、頭を垂れる。
セリオスの演説を持ってこの件は幕を降ろしたのだ。
正直かなりな茶番である。
ーーーーーーーーーー
客間にて勇者御一行に料理や飲み物を振る舞った。
とりあえずは仲良くしておこうという体裁を繕うのだ。
お互いにな!
「神竜の巫女様! 神獣様! 先程の無礼。まことに申し訳なく……」
マッチョが低姿勢で改めてチノレとリノレに謝罪をしている。
チノレにしがみ付き、まだ少し警戒している様子のリノレ。
「おかあさんがね、前におじさんと似た人にオモチャ貰ったから……。また何かくれると思って近づいたんだって」
未だ怯えたようなリノレが代弁するのはチノレの言い分。
似た人からオモチャだと? 最初に攻めて来た神官の爺さんかな?
そういや落としていったな……。鉄球を。
「なんと! これは申し訳ない! これはつまらないものですが……。どうかお納めください!」
マッチョは焦って腰に下げていた鎖付きの綺麗な玉を献上し出した。
教団員が使う魔除けの宝玉か何かだろうか?
良いのかな? クビじゃないかなこの人。
「にゃーん」
「おかあさんがありがとうだって」
「ははっ! 勿体なき御言葉!」
チノレも気にしてないようだし、リノレの警戒心も薄れたようだ。
献上品を渡せた事で少し安心したようにマッチョは再び頭を下げている。
あっちはもう大丈夫そうだな……
「しかし、何故隠れてたのにいきなり出て来たのだろうか?」
「状況によっては逃げなければならなかったので、全戦場の音声を円卓の間に送っていたのですわ。それで戦いは終わったと思ったのでしょうね」
俺はタイミングが良過ぎるチノレの登場を不思議に思ったが……
なるほど。さすがシトリー。気の利くお姉さんだ。
アガレスとも連携を取り、円卓の間を戦場と化した一階から一時的に避難させていたらしい。
だから皆二階から降りて来たのか。
で、何故それを聞いてイリスは俯きながらこっちを見てモジモジしてるんだろう。
顔も赤いが熱でもあるのだろうか?
青髪の子はラグナートに伸されたのが余程ショックなようで……
仏頂面で料理を食べていた。一応挨拶しておくかな。
「まあ、奇妙な縁だが一応は親睦会みたいなもんだ。気にせず飲み食いして行ってくれ!」
「ん? あ、ああ……。いや、今回はすまなかった。俺は調査と聞いたから引き受けたのに……。いつの間にか討伐に変わっててな……。皆やる気で引くに引けなくて……。知ってたのに。セリオスの奴があんな奴だって知ってたのに……」
青髪の少年シリルは教団に調査依頼を受けただけで俺達に執着はないそう。
ぶつぶつとセリオスの文句を言い出している。
この子もセリオスの被害者なのだな。可哀想に……
でも詫びを入れられたのは疑問が残る。キミは勇者なんだよね?
ちなみに神竜うんぬんは信じていなさそうだ。
押しの弱い勇者様の今後が気になるが一先ずこちらも問題ない。
俺は一番の問題であるセリオスに目を向けた。
「エトワールよ。せっかくの気遣いだ、遠慮なく頂かせて貰え」
「はい。セリオス様」
セリオスは憎たらしい作り笑顔でエトワールと語らっている。
お前は料理どころかお茶すら口付けないけどな。
魔神の屋敷で油断はしないって心根が駄々漏れだ。
俺の視線に気付いたのか、セリオスが俺に近付いて質問を投げ掛けてきた。
「時に、あの剣士殿は何者だ? シリルを素手で征するとは……」
「あん? ラグナートか? アーセルムの騎士団長だった事もあるらしいけど?」
「なに? 確かにその名に聞き覚えはあるな……。それだけの腕前で何故騎士を辞めたのか……」
「辞めさせられたんじゃないかな……。チャランポランだから……」
セリオスの問いに俺は抑揚なく答えていく。
仲良さげに会食をしようと、依然俺達は敵同士なのだ。
そちらが心を開かないなら俺も油断はしない。
というよりもう、警戒してるのはセリオスと俺だけなのが辛いところだが。
「気になる点は多々あるが……。一つだけ忠告しておこう。魔神とは人に害を成さずには生存出来ない存在だ。安易に気を許すのは危険だと知れ」
セリオスの忠告。一応は俺を心配しているのだろうが……
こいつの言いたい事も分かる。
人間は自分より強い者とは共存出来ない。
多くの者をまとめる者であるのならば、なおのことその存在を認める訳にはいかないのだろう。
だが……、それを理解しつつも言わなきゃ収まらない感情もある。
「その理屈だと……。あいつら魔神じゃないって事になるな。俺にとっちゃお前の方がよっぽど魔神だよ」
俺はにこやかにそう言い放ち、握手を求めた。
セリオスも軽く笑い、手を出して応じてくれる。
きつく固く、痛いほどの握手を交わしながら……
不自然な笑顔で睨み合う俺とセリオス。
これは力を緩めた方がより痛い思いをする。
負けられない戦いが静かに始まった。
なにはともあれ、この一件は一応の決着を迎えた訳だ。
これで堂々と食料買い出しにも行けるというものである。
俺の頭には、元の暮らしに戻るという選択肢は微塵も残っていなかった。
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