十話  母と子

 日が沈み夜も更けてきた頃。

 依然としてチノレの機嫌が治らない。


 皿に盛って置いた混ぜご飯も丸めて少しかじったような妙な食べ方をしている。

 余程お留守番が不服だったのか……

 俺が米と間違えて栽培した猫ジャラシーも効き目がない。

 より怒らせるだけだった。

 どうやっても寝床から出て来ないのだ。

 ただ俺の切ない嘆きが響き渡る。



「チノレ~。ごめんよ~」


「しゃーーー!!」



 へたり込んで謝罪を続ける俺に全身の毛を逆立てて牙を剥くチノレ。

 ものすっごく恐い。まるで子を守る母のようにお怒りである。



「もしかして……、本当にお子さんですの?」



 口元に指を当て、そうシトリーが呟いた。

 驚いた俺とザガンはその言葉でお互いを見合わせる。



「許さん!」


「どこのオスネコだ!」



 ザガンと俺は交互にキレた。当然だ。

 もし……、もしそうならば……

 相手のオスネコにはご挨拶に来てもらう義務がある。

 キチンと考えた上なのか……。将来はどうするのか……

 未来設計のないやつにチノレはやれない!



「チノレの寝所に生命反応があるぞ」



 俺の腰の鞘で居眠りをしていたアガレスが起き掛けに爆弾発言を投下した。

 なん……だと……。シャレのつもりだったのに……

 不機嫌な理由がそういう事なら話しは早い。

 俺達はチノレの寝所からそれを取り出そうと画策する事にした。



「よし、チノレ。安心しろ。その子は俺が丁重に……」



 堂々と近付く俺を凄まじい早さのチノレパンチが襲う。

 頭から床を滑る俺。一切の容赦がない。



「チノレ……、俺達はその子が心配でね?」


「そうですわ。小さなお子さんならご飯は別に作りませんと……」


「離乳食というものがあってだな……」


「ゴゴゴゴゴ……」



 鼻を押さえて涙目の俺が訴え掛ける。

 続けざまにシトリー、ザガンがこれ見よがしに心配する素振りを見せた。

 おいアガレス寝るな、空気読め。



「にゃ~ん……」



 寝所の中の子を心配するような素振りを続けたお陰か、チノレの怒りが和らいで来たようだ。

 髭が下り、少し悲しそうに寝所の中に顔を突っこむ。

 そして咥えて連れて来てくれたのは……



「人間の……、女の子ですわね」



 シトリーの言葉通り、床に転がされたのは大体十歳前後の女の子。

 無造作に伸びた白髪で肌は青白く、かなり痩せ細っている。

 所々怪我もしているようで痣や傷が目立つ。



「ん……、おか…………さ…………」



 どうやら少女が目を覚ましたようだ。

 周囲を警戒するようにゆっくり見回し、俺達の気配に気付いた少女は怯えたように震え出した。



「落ち着いて、大丈夫だ。俺達は怪しい人でも恐い人でもないぞ?」



 俺は落ち着くように言ってみたのだが……

 まあ無理だろうな。逆の立場なら怪しくて恐い奴にしか見えない。

 主にザガンが。



「ひ……、ひっ…………」



 声にならない悲鳴を発した少女はチノレの小さな鳴き声に気付き、チノレの元に駆け寄ってお腹にしがみ付き離れない。

 うーん、やはり警戒心が半端じゃないぞ。

 傷のせいか体調もすこぶる悪そうだ。



「お嬢ちゃんどこから来たのかな~? お名前言えるかな~?」


「ひ……、う……」



 俺は更に低姿勢で接してみたのだが……

 更に怯えられてしまった……。シトリーのジト目が痛い。

 というか口半開きで俺を睨むチノレが恐い。



「大丈夫だ。恐いことは何もないぞ? これを食らうが良い。暖まるぞ」



 作り置きしておいたシチューを暖めて持って来たザガン。

 しかし、尊大でくぐもった声に少女は小さく泣き出してしまった。

 俺はこれでもかと言うほど冷たい視線をザガンに向けてやった。



「にゃ~~」



 チノレがシチューを受け取って少女の頬に押し付ける。

 皿ごとだ。少女はそれを奇妙な素振りで受けとった。

 視線は別の方向を向き、手探りで皿の端を探しているようだった。



「良い匂い……。これ、食べ物? 食べて……良いの?」


「もちろん。キミの為に用意したんだから」



 少女の問いに俺がそう答えると、少女は消え入りそうな声でありがとうと呟いた。

 ゆっくりと辿々しい仕草で少女はシチューを口に含む。



「美味しい……。暖かい……」


「好きなだけ食べて良いんですのよ~」



 嬉しそうな少女に笑顔のシトリーが優しい口調で語り掛ける。

 すると少女は驚いたようにポカンとしていた。



「怒ら……ない?」



 怯えたように聞いてくる少女。

 どうやら沢山食べようとすると怒られるご家庭だったようだ。



「怒るわけがない。汝の為に用意したのだ」



 ザガンの言葉を聞いて改めて驚いたように、そして笑顔で食事を再開する少女。

 しかし途中でスプーンからシチューが床に溢れ、少女は急に顔色を変えた。



「ごめんなさい! ごめんなさい……。ごめんなさい……」



 真っ青になってふるふると震え出し、泣きながら謝る少女。

 この子の家にカチコミを入れたいな。

 親御さんお説教だなこれは。



「謝ることはない。散らかるのはいつもの事だ」



 いつの間にか起きてたアガレスが慰めようとするが……

 作業途中で寝たり地震起こしたりと、チノレ以上に散らかすヤツが言うんじゃない。

 誰が片付けると思っているんだ?

 主にザガンだぞ?



「…………ぶたない?」



 更にガタガタと震えだす少女。

 うつむき、恐怖に怯えた表情を浮かべている。

 もうこの子家に帰すのやめようぜ?



「ここは安全だ。キミを怖がらせるような事は何もしないし、痛い思いをさせるヤツも居ない。俺達はそこに居る猫、チノレの家族なんだから」


「ほ……ほんと? 猫さんの?」



 本当の事だと繰り返し返答する俺の言葉に安心してくれたのか、少しだけ笑顔を作って返してくれた。

 良かった……。しかしやっぱり見ている場所には違和感がある。 

 これはひょっとして……



「もしや目が見えぬのか?」



 ザガンの言う通り、目の焦点が合っていないのだ。

 キョロキョロと視線が定まっていない。

 そういえばシチューを溢してから青ざめた時も若干の間があったな。

 スプーンを咥えて気付いたか、跳ねたシチューで分かったのだろう。

 少女の境遇はこのせいもあるのだろうか?

 よく見ると服装も特徴的な民族衣装のようだが、相当なボロを着させられている。



「ふむ、この服装は森を抜けた山向こうで見掛ける民族衣装に似ているな」



 さすが詳しいザガンさん。

 うん? そうするとやはりおかしい……

 ここには相当強力な結界が張られていたはず。

 こんな状態の少女が入り込めるはずがない。

 少女はおろかチノレだって…………



「「あ」」



 俺達の脳裏に生物では出し得ない羽音が響く。

 飛行形態フライングロングチノレだ。



(上空に張り忘れておったな……)


(空に張るのを忘れてましたわ……)


(上に張ってなかったな……)



 ザガン、シトリー、アガレスは何やらやらかした事に気付いたようだ。

 察しは付く。作業は俺も見ていたから文句は言えないがこいつら……

 ようするに上空から脱出したのか。

 まさか拐って来たのかチノレ……



「まあ、気になることは多々ありますが……。お食事を済ませたら治療ですわね。見たところ新しい傷もあるようですし……」



 気まずい沈黙を破り、シトリーが怪我の治療を提案した。

 そうだ。まさかチノレが乱暴に扱った結果とは思わないが、結構深刻な状態なのである。


 食事が片付き、少女を客間のベッドに寝かせる事にした。

 シトリーが瘴気を操りベッドに横たわる少女を包んでいく。

 見た目的には怪しいが……。大丈夫なのかなそれ?



「心配ありませんの。心身を楽にさせる軽い麻酔のようなものですわ。身体の奥まで調べさせてもらいますわね」



 俺の不安を察して説明してくれるシトリー。

 なんて便利な能力だ。マルチスキルだな。

 少女は麻酔と疲れもあるだろうが、チノレのお腹を掴みながら少し苦しそうではあったがそのまま寝てしまった。

 その寝顔を見ていたシトリーの表情に影が落ちる。



「まず……、痣や擦り傷は日常的なもののようですわね。真新しい打撲、骨の損傷等は数人で同時に行われておりますの。内臓器官は病巣が多く、欠損も見られますわ。やはり目も見えておりません……。これは先天性ですわね。歩くことすら困難かと……」



 シトリーの語る少女の置かれた境遇に耳を覆いたくなった。

 虐待、暴行、病魔。生まれた時から目も見えない……

 もし俺が同じ立場ならどうしていただろう。


 ……考えても答えなんか見つかる訳はない。

 少女にとってはこれが普通だったのだ。

 自分だったら……、などと言うのは懸命に今を生きるこの子にとって侮辱でしかない。

 だがしかし、それを運命と見過ごせるほど俺の心は強くなかった。



「なんとかして治してあげられない……かな?」



 俺の勝手な想いなのは分かっている。

 たまたま自分の立場から見て悲惨な境遇だから……

 偶然目に入ったから……

 それでも、治せるなら治してあげたい。

 今この瞬間の気持ちを最優先にし、俺はザガン達に頼み込んだ。



「無理だな……。損傷だけならばなんとかなるが……。盲目や欠損箇所はどうにもならん。先天性ならばこの状態がこの少女にとっての通常状態。治す物がないのだ。代替の器官を用意してやるか、作り変えるしかない」


「それもこの子の体力では堪えられない可能性の方が高いですわ。応急的な傷の修復は行いましたが……。これ以上の治療も体力が戻りませんと、衰弱の原因にもなりますし……」



 ザガンとシトリーの答えを聞き、俺は項垂れる。

 現状ではこれ以上の対処方がないと言うのだ。



「せめて体調が少しでも良くなるような薬でも用意出来ないかな? その……、慈愛に溢れた錬金術師のお力で……」


「任せよ。やれることは全てやっておこうではないか」



 俺は媚びるようにザガンに懇願する。

 ザガンは当たり前だと言わんばかりに力強く承諾してくれた。


 俺達は屋敷から栄養のありそうなものを片っ端から集め、食堂のテーブルの上に並べていく。

 色々な香草や花の蜜などが並ぶが、中には用途不明の物質も紛れ込んでいる。


 ふと、俺はその中にあった玉っころを手にした。

 中心には光量過多時の猫目のような細長い楕円形がある。

 この目玉のような丸い物体はなんだろうな?

 綺麗な石にも見えたがゴムボールみたいにブニブニしてる。

 正直金色の目玉にしか見えない。というより目玉だろこれ。



「ああ、それはな。二百年位前に散歩していて拾ったのだ。綺麗だろう?」


「ああ綺麗だな。二百年も経過していて鮮度保ってるって……、完全に怪しい物質だろうが! 却下だ!」



 自慢するようなザガンにゴムボールを引っ込めさせ、俺は次に移った。

 お次は大きめのニンジンのような大きさ、金色のドリルのような三角錐。

 とても綺麗で強そうだ。



「これはチノレが拾って来たものだな。粉にすれば生命活性の効果があるが、強過ぎて身体が裂ける可能性がある」


「ああ良いじゃ……裂けるの!? 却下だな。危ないから預かっておく」



 ザガンの手からカッコ良いドリルをひったくった俺は残りの材料に目を通す。

 ハチミツ……生姜……生野菜……麦飯……等々。

 普通だ……。混ぜりゃ良いってもんでもないよ?

 俺達はああでもないこうでもないとやってる中で……


 ついに完成した。

 味にもこだわった結果、見た目は薬草を使った混ぜご飯だが栄養は満点だ。

 内部構造を把握出来るシトリーさんのお墨付き。

 負担なく、それでいて栄養のある、なんてことない普通の食事。



「とりあえずはこれで様子見だな……」



 ご飯皿を持つ俺にチノレが近付いて来る。

 俺の背中を押し、強くヨコセヨコセとせがんで来るので一任した。

 器用に大きなゴム手袋に前足を通し、食事をありったけ丸めて顔くらいの大きさになったおにぎりを持って部屋から出ていった。

 少し心配になったので客間まで後をつけたが……

 大丈夫そうだな。寝ぼけておにぎりの端っこをかじりかじりと食べてる少女が愛らしい。


 俺はザガン達に声を掛け、円卓の間に集まってもらった。

 この後少女をどうするのか決めなくてはならないのだ。



「さて、提案だが。恐らく家元に返したところであの子にとって良いものではないだろう。というか帰したくない。おまえらの意見も聞かせてくれ」



 同じ人間として間違っているのは分かっている。

 これでは誘拐と何も変わらない。

 それでも、俺はあの子を帰したくなかった。



「我も同意見だ」


「意義無し。ですわ~」


「ここに居てもらおう」



 一切の間を置かず、ザガン、シトリー、アガレスは快く承諾してくれた。

 ありがとう。本当に気の良いやつらだ。

 魔物、悪魔、魔神は絶対悪。人類の天敵。今までそう教えられてきた。

 心の底から笑えるな。こいつらが人類の敵なら……

 俺は喜んで人類に敵対してやる。



「にゃ~~」



 部屋の入り口で遠巻きにこちらを見て悲しげに鳴くチノレ。

 俺達は少女の様子を窺いに客間まで移動する。

 少女は食事療法が効いたのか、チノレが側に居るからか……

 とても安心したように眠っている。

 俺はザガン達と顔を見合わせ、同時に頷いた。



「大丈夫だ! 俺達はこの子を見捨てない!」



 少女を心配しているであろうチノレに俺達の思いを伝える。

 絶対治してやるんだ……。この小さな命を散らせていいはずがない。

 たとえ誰が取り返しに来たって、絶対渡すもんかよ……

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