元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい

@dfox9tail

第1話 俺の名はジェイ・ハミルトン、元公爵家執事

 ノーゼアの冬は厳しい。


 アルガーダ王国北部にあるこの街は北川にペドン山脈を背負っておりそこから吹きつける北風が濃密な冷気を伴ってこの土地を冷やす。あと一ヶ月もしないうちに雪の時期となりこの街を白銀に染めるだろう。


 俺は早朝に街外れで狩ったビッグワイルドボアを肩に担ぎ冒険者ギルドへと向かっていた。


 ビッグワイルドボアは野生のイノシシが魔物化したものだ。その巨大な体躯と鋭い牙は凶暴な気性と突進力と相まってとても危険なものとなる。


 このビッグワイルドボアが街の外で度々目撃されるようになり、不安になった人々から討伐依頼が出ていた。街の外に畑を持つ農夫や護衛もなしに街道を行き来する行商人にとってビッグワイルドボアのようなモンスターは十分に脅威となる。


 まあ、俺には全く脅威じゃないけどな。


 冒険者ギルドの建物は石造りだった。中は広く、大半の冒険者が依頼をこなすために外に出ているのか人数は少ない。天井にある照明の魔導具がフロアを照らしているからか中は明るかった。二カ所に暖房系の魔導具が配置されているおかげで非常に暖かい。外とは別世界だ。


 仕事を求める冒険者たちが壁に貼られたクエストの依頼書を物色しているのを横目に俺は窓口の一つへと向かった。


 カウンターの反対側には茶髪をゆるふわにした美しい顔立ちの受付嬢がいる。彼女は俺を見上げた。


 俺は首からぶら下げていた冒険者カードを空いた手で持つと彼女に見せる。


 魔法で特殊加工されたこのカードの表面には俺の名前(ジェイ・ハミルトン)と冒険者のランク(D)が記してある。見る者が見れば冒険者としての活動内容や経歴もわかる仕組みだ。故にこのカードは身分証明にも使える。


「討伐クエスト達成の確認を頼む」


 どさりと足元の床にビッグワイルドボアを置いた。


 巨大な体躯の猪の死体に受付嬢が一瞬笑顔を引きつらせる。彼女はすぐに奥の職員を呼んでビッグワイルドボアの死体を片づけさせた。体格の良い職員四人がかりでギルド奥の解体室へと運んでいく。


「ハミルトンさん、やっぱりそろそろ誰かとパーティーを組んでみませんかぁ?」


 ゆるふわの茶髪を揺らしながら受付嬢が提案してくる。


 俺は首を横に振った。


「いや、まだソロでいい。今のところやっていけてるしな」

「でもぉ、ソロだといろいろ不便でしょう? 野営のときにも誰かいれば交替で見張りもできますよぉ」

「街の外で寝るときは結界を張るから大丈夫だ」

「ええっ」


 受付嬢が目を丸くした。


「結界なんて張れるんですかぁ?」

「それくらいできて普通だろ」

「普通じゃないですぅ」


 受付嬢の声のトーンが一段上がった。


 はあっと深くため息をつき、彼女は俺を睨んだ。おいおい、ギルド職員が冒険者にそんな態度をとるもんじゃないぞ。


「そもそもぉ、ハミルトンさんっておかしいですよぉ。さっきのビッグワイルドボアだって普通は一人で運べないんですよぉ。あれ、どれだけ重いと思ってるんですかぁ」

「二頭立ての馬車よりは軽かったぞ」

「比較がおかしいですぅ」

「あのな、馬車が壊れたときに道の端に移動させないと他の人に迷惑だろ。だからそういうときは持ち上げて動かすんだ。少なくとも俺はそう教わった」


 公爵家の筆頭執事だった親父はいろんなことを俺に仕込んだ。その中には武術や魔法もある。いざとなったら俺が主を守らないといけないからってな。


 魔法については習熟したものがあった。身体強化魔法と結界魔法だ。だが、遠距離系の攻撃魔法は俺とは会わなかったようで身につかなかった。原因に心当たりがない訳でもない。それに得手不得手は誰にでもあるものだ。


 俺は高位貴族の一つであるライドナウ公爵家の執事をやっていた。


 とはいえ、それは二年前までの話。


 事情があって今は冒険者をやっている。


 *


 ビッグワイルドボアの査定が終わり報酬を受け取ると俺はギルドを後にした。


 ノーゼアの街並みを長めながら街の北西の高台にあるウィル教の教会を目指す。


 真っ白で巨大な教会はいかにもといった風の荘厳さがある。ウィル教はアルガーダ王国で最も信徒の多い宗教だ。人々の信仰を集める教会はある意味王家と並ぶ権力者とも言える。


 ほぼ日課となる礼拝をしに俺は聖堂へと入った。


 中央を開けるように左右に配置された長椅子が列を成して並んでいる。右側最前列に一人のシスターが座っていた。


 白地に水色のラインのある修道服はややくたびれているがそれを着ている当人はさして気にしていない様子だ。頭巾で隠れてしまっている髪がかつて腰のあたりまで伸びた綺麗なブロンドであったことを俺は知っている。


 俺より五つ年下の十七歳。幼さの残る顔はそれよりもさらに三つ下を思わせる。


「ジェイ」


 彼女の可愛らしい唇が動いた。


「今朝はこれまでにないほど寒かったですね」

「はい」


 俺は彼女の傍に跪いた。


「シスターエミリアがお風邪を召されておられないかと案じておりました」

「私は平気です」


 切れ長の目が優しく緩んだ。


 彼女はミリアリア・ライドナウという名を捨ててシスターエミリアと名乗っていた。俺にもそちらで呼ぶようにと言っている。様付けも拒否しているので俺は若干の戸惑いを覚えつつも彼女の希望に沿うようにしていた。


「でも、街の方ではそうでもないようですね。冷気や氷、雪といった精霊たちが悪戯をしているのでしょう? 掃除のときにブラザーラモスが他のシスターと話していましたよ」

「そうなんですか」


 俺は昨夜から街外れでビッグワイルドボアを待ち伏せしていたので街の中のことなど気にもしていなかった。


 というか正直どうでもいい。


 お嬢様が健やかでさえいてくれればそれで良いのだ。


「こんなに寒いとそのうちペドン山脈のスノウドラゴンやホワイトワイヴァーンが現れるかもしれませんね。彼らは寒冷地を好むのでしょう?」

「はい」

「ブラザーラモスが魔除けの刻印を教会の鐘に施したそうなのですがどこまで効果があるか彼自身よくわかってないみたいなんですよね。私もあれこれ考えてはいるのですがまだいいアイデアが浮かばなくて」

「ははは、万が一のときは私が必ずシスターエミリアをお守りしますのでご安心ください」


 俺が応えるとお嬢様は小さく笑った。まるで花が咲いたかのようだ。可愛い。こんなところに閉じ込めておかなければならないのが酷く残念だ。


 いや、むしろ不必要にこの街の男どもにお嬢様の存在を知らせずにいるのだからこのままの方がいいのか?


 そんなことを考えていると、お嬢様がその青い目を伏せた。


「みんなはどうしているのでしょうね」

「きっと元気にしていますよ」


 何の確証もないが俺はそう答えた。


 俺とお嬢様は十二年の付き合いだ。


 そして俺は彼女の執事として恥ずかしくないよう父にみっちり鍛えられた。若い頃高ランクの冒険者だった父は武術だけでなく魔法にも精通していて、そのため俺にも同等の能力を身に付けさせようとしたらしい。


 その思惑はある程度叶っていた。


 俺は執事としての所作も武術も全てこなせる。魔法については習得できなかったものもあるがあのまま公爵家にいたとしても問題なく執事を続けられただろう。


 けれどそうはならなかった。


「シスターエミリア」


 俺は彼女の反応をうかがいながら尋ねる。


「カール王子のことはもうよろしいのですか?」

「……」


 彼女の眉がピクリとする。表情にそれ以外の変化はないが動揺を顔に出さぬよう努めているのはわかった。


 カール王子はお嬢様の婚約者だった。王位継承権は第一位。すなわち次期国王だ。


 本来は今ごろお嬢様は王太子殿下の妃としての地位を得ているはずだった。


 俺は悔しさのあまり拳を握る。


「あんなことがなければ……」

「そのことはもう忘れなさい」


 低い声でお嬢様は命じた。その声から彼女の無念さが伝わってくるような気がして俺は拳に力を込めた。

 

 

 

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