第2話 俺のお嬢様は二年前の秋の学園祭で王子に婚約破棄された
それは忘れもしない二年前の秋の学園祭。
シスターエミリアこと俺のお嬢様(当時はミリアリア・ライドナウ)はカール王子に婚約破棄された。
しかもそれだけではない。
「いくら王族でもあれは酷いのではないですか? よりにもよって衆目に晒すような形で婚約破棄を宣言するなんて」
そう、ただ婚約を破棄しただけではない。
秋の学園祭の終わりに行われた舞踏会。
あろうことか王子はそこでお嬢様との婚約を破棄する宣言をしたのだ。
周囲には学園の生徒やその親族、来賓の貴族、さらには他国の招待客……多くの人の目の前でお嬢様は恥をかかされた。
そして。
「カール王子はあなたを断罪しましたよね?」
平民出身でありながら王侯貴族の通う学園に入学してきたメラニア・アーデスという娘に対してお嬢様が数々の嫌がらせをしたと言ってきたのだ。
もちろんそんな事実はない。
だが……。
「ありもしない証拠やいもしない証人をでっち上げてカール王子とその仲間たちはあなたを追い詰めた。いくらあなたが否定しようとも彼らは耳を貸さず……」
「もういいです」
お嬢様がとても冷たい声で遮る。
彼女ははあっと深いため息をついて首を振った。被っていた頭巾がずれて僅かにブロンドの前髪が覗ける。
「済んだことです。それに私はこのノーぜあに身を埋める覚悟で来ました。過去は捨てています」
「……」
そうは見えなかった。
俺にはまだお嬢様があの秋の学園祭での出来事に苦しめられているように見えた。
この騒動には続きがある。
婚約破棄をし、お嬢様を断罪したカール王子はその場でメラニアとの婚約を発表したのだ。
あまりのショックでお嬢様は崩れるように倒れた。
公爵様の付き添いで筆頭執事である親父と学園祭に来ていた俺は危うくカール王子とその仲間を皆殺しにするところだった。親父が俺を止めていなければ間違いなくやっていただろう。
当然、メラニアも手にかけていたはずだ。
あのときのことを思い出すと今でもどす黒い感情が沸々と沸いてくる。まるで怒りの精霊に囁かれたときのように衝動が抑え難くなってくるのだ。
「……ジェイ?」
お嬢様の声に俺ははっとした。
彼女が不安そうな目で俺を見ている。
「恐い顔。私はあなたも傷つけているのですね。私がしっかりしていなかったばかりに私だけでなくあなたまで不幸にしてしまった」
「それは違います」
俺は慌てて否定した。
「シスターエミリア、悪いのはあなたではありません。ご自分を責めるのはおやめください」
「……」
「あなたが責められることなど何一つない。それは保証します。もし誰かがあなたを責めるのなら私が駆逐します。私はあなたを傷つける者を許さない。誰であろうと、王族や貴族であろうと私は許さない」
そう、俺は許さない。
そして絶対に彼女を守る。
だから学園と王都から追放されたお嬢様を追ってノーゼアに来たのだ。
修道女となってしまったお嬢様を傍で守りたいと教会に直談判したが駄目だった。下男としてすら受け容れてもらえなかった。
俺は冒険者になることにした。
冒険者ならかなりの自由が利くし、武術や魔法の技能も活かせる。活動をノーゼアとその周辺に限定すればお嬢様を見守ることもできるだろう。
そして至る現在。
俺は冒険者見習いを意味するGランクから一般冒険者であるDランクに昇格していた。討伐も採取もそつなくこなせるようになったし冒険者としての知識や技術も深めた。
四六時中お嬢様に張り付いている訳にはいかないが、彼女の危機の際には駆けつけて対処できる程度の実力は身に付いただろう。
まあ、ライドナウ家の筆頭執事である親父に仕込まれた段階ですでに相応の力を得ているのだが。
*
お嬢様を宥めてから礼拝を済ませると俺は聖堂を後にした。
高台から長い坂を下って街へと出る。いつものように数回路地を曲がって行きつけの酒場に行った。
くすんだ灰色の土壁に囲まれた店内は朝食と昼食の合間の時間だからか客の数はまばらだ。カウンター席の向かいは厨房で店主のデイブと料理人たちがのんびりと働いていた。
ホールに配置された数脚のテーブルの一つを接客係のメイがやたら念入りに拭いている。首の後ろで一束にしただけの長い栗色の髪がせかせかと揺れていた。
俺はあのテーブルで何かあったのだろうかと訝しみつつカウンター席についた。
「いつものを頼む」
日替わりの定食を注文した。今日は確か鶏肉と根菜のスープとオーク肉の炒め物それに黒パンが二個付いてくるはずだ。
「おや旦那、今日は塩漬けの紅魚が入ってるよ。それはいいのかい?」
陽気な口調で店主のデイブが訊いてきた。
恰幅の良い身体を左右に揺らしながら食前酒のエールを木製のカップに注いでくれる。
俺はコップを受け取って答えた。
「それは別の機会に。ところで、どうしてメイはあのテーブルだけ親の仇か何かのように掃除しているんだ?」
「ああ、あれ。いやぁ、旦那が来るちょっと前まで程度の悪い双子の客がいてねぇ。そいつらがあのテーブルを使っていたのさ。主だか上司だか知らないけどやたらオロシーって男の悪口を並べていたよ」
へぇ、と応えて俺はエールを片手に件のテーブルに目をやった。
よほど腹に据えかねていたのかメイがぶつぶつと何かをつぶやいている。何だか呪詛めいていてちょっと怖い。
今日はそっとしておくことにしよう。
デイブが声をひそめた。
「その双子、どうやら王都から来たらしいよ。しかもお忍び」
「そいつは珍しいな」
北川にペドン山脈があるノーゼアはいわば辺境の地だ。そんなところにわざわざ訪れる者は少ない。まして王都からなんて相当の事情でもなければあり得ない話だ。。
お忍びらしい、という点も怪しい。
「ちょっと聞いた話だと珍しい石が見つかったようだね。それもペドン山脈に近い位置らしい」
「珍しい石? あのあたりはミスリルの鉱脈があってほとんど掘り尽くされたと思うが。ん? 俺の記憶違いか?」
「いや旦那の言う通りだよ。あっちこっちの坑道は概ね掘られていて、ほとんど蟻の巣状態さ」
俺は疑問に思い口にした。
「それが今になって新しい石の発掘か。随分ラッキーだな」
「確かにね。とはいえそれでどれだけの旨味がこっちに回ってくることやら。少しは街に活気が戻ってくれるといいんだけどねぇ」
デイブの期待の薄そうなため息に俺は肩をすくめて応じた。
ここの領主のことは知っているが別段悪い印象はない。むしろ貴族としては善良な方だろう。
ただ、領主が良い人間であってもそのまわりが私欲に走るといったパターンはさして珍しくない。俺もそういう話を何度か耳にしていた。
店の扉が開いて二人の客が入ってくる。どちらも川鎧を着ておりその風格から一目で冒険者だとわかった。
背の高い中肉の男と小柄だが筋肉質の男だ。
二人はテーブル席に腰を下ろすとすぐに大声でエールと料理を注文した。
デイブがカウンターの奥へと引っ込んでいく。
俺はエールを飲みながら自分の料理を待った。
やたらでかい声でテーブル席の二人が話しだす。
「それにしても吃驚したなぁ」
と、背の高い男。
「だな。俺っちもあんなの見たの初めてだ」
小柄な男が相槌を打つ。
「あれ、雷光石だよな。ビリビリってスパークしまくってたし」
「そんな物に囲まれた窪みに卵があるなんて……あれ、何の卵だ?」
「うーん、大きさからしてワイヴァーンかなぁ」
「ワイヴァーンって普通巣に卵を産むんじゃないのか?」
ワイヴァーンの中には巣ではなく岩山の窪みで産卵するものもいる。一般的ではないがいるにはいるのだ。たとえば雷属性に高い抵抗力を有するサンダーワイヴァーンとかがそうだ。
たぶんその卵もそんな親から生まれたのだろう。
それと新しく掘り出された珍しい石とはきっと雷光石のことだな。
あれは時折雷を放つ希少な石だ。そんな石が地表でも見つかるだなんて何か良くない兆しだろうか。
そんなことを思っていると俺の前に料理が並べられた。
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