クラウン・エッジ
加賀瀬 才
序章 新時代は冠と共に Clown with a "Qrown"
1 ーエピローグ(再始動)ー
二〇四五年九月九日。新年度が始まって最初の土曜日の昼下がり。
少年はスーツケースを引っ張りながら一つの扉の前に立っていた。
「まさか俺が、こんなことになるとはな」
ここは、ルームシェア型の学生寮。
その内の一部屋の前で、彼は少し感傷的な気分に浸りながら呼び鈴を鳴らす。
直後、バタバタと足音がしたかと思うと、思いっきり扉が開かれた。
「遅い! やっと来たのね、クライド。待ちくたびれたわ」
「悪い、ミーゼ。午前中は野暮用があったんだ」
涼風のように澄み切った声で出迎えてくれたのは、同級生の少女ミーゼだった。
その琥珀色の瞳が責めるようにこちらを見詰めるものだから、クライドは弁明しながら玄関をくぐる。
「あっ! クライド、ちょっとストップ! 靴はそこで脱いで」
「なっ! ここはそんなルールなのかよ。面倒だな」
思わずたたらを踏んで、何とかその場で停止したクライドは、渋々靴を脱ぐ。
「言っとくけど、私じゃないからね。ルイーズの拘りよ」
「そんなことだろうと思った。お姫様の仰せのままにってか。別に構わないが、それならスリッパくらい用意しといて欲しかったな」
「文句言わないの。仕方ないでしょ。昨日までは彼女一人で住んでたんだから」
靴下のまま歩きながらミーゼと一緒にリビングに向かうと、見知った顔がソファでくつろいでいた。
「ようこそクライド。遅かったね。君が最後だ」
オレンジに近い明るい茶髪のスティーヴが、その端正な顔立ちに笑みを浮かべて歓迎してくれる。その甘いマスクと、座っていても分かるほどの長身は素直に羨ましい。
「なんだ。スティーヴもいたのか。そう言えばルイーズはどこ行った? それにあいつの姿も見えないが」
「彼女なら出かけたよ。勿論、彼と一緒にね。便宜上はスリッパとかの備品を買いに行くってことだったけど」
「おいおいマジかよ……。それってつまり、デートじゃん!」
クライドの脳裏に、ここにはいない『お姫様』の様子が浮かぶ。
彼女のことだ。買い物中、きっとあいつにべったりくっついてるに決まっている。
果たしてスリッパはいつ手に入るのか。クライドはつい辟易してしまう。
「あら。僻んでるの? 素直に祝福してあげなさいよ。それに、あの二人が幸せに過ごせるのも、あなたが頑張ったからじゃない。ね、ヒーローさん?」
そう悪戯っぽく言って、ミーゼの琥珀色の瞳がこちらを見詰めてくる。
「からかうなって。頑張ったのはお互い様だろ。でもまあ、ヒーローねぇ……」
「あっ! もしかして照れてるの?」
「ちげーよ。そもそも、そんな華々しい称号は俺には相応しくない。あの二人の件に関して言えば、俺はただ勝手に首を突っ込んだだけだからな」
ここまでに色々あった。特にこの一週間は激動だったと言って良い。
その結果、以前とは何もかもが変わってしまった。それでも今、俺は確かにここにいる。
「けど……うん。そう言われるのは、悪くない気分だ」
天井を見上げて、胸の内から溢れ出る苦い記憶を噛み締める。
ここからだ。ここからまた始めるんだ。
そう心に誓って、もう一度目の前の二人を見る。
これは、ヒーローになり損ねた一人の少年の物語である。
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