第25話 全員が理解してくれるわけじゃない
三年生になり、クラス替えが行われた。
進学組と就職組でクラスが再編成されたためだ。
ネルは進学クラスなので、初めて同じクラスになる顔ぶれが多かった。
つまり、ネルの睡眠障害を知らないクラスメートばかりになっていた。
「根津美さんっていっつも昼休みに保健室で寝ているでしょう。それってなんかズルくない?」
放課後。同じクラスの女生徒が四人集まって話しているのが聞こえてきた。
他にも数人生徒が残っているけれど、ちらりと四人を見ただけですぐ自分たちの話に戻った。
(みんなが私を悪く言う。これも幻聴なのかな)
いまヒソヒソ話をしている子たちに診断書を見せて、昼に寝るのは必要なことだからだと逐一説明した方がいいのか、悩む。
数日前にも同じことを言われたので説明したら、「自分病気だから甘くしてアピール乙」と言われてしまったので、また同じことを説明するのはためらわれた。
嫌な視線を感じながらも、ネルは黙って教科書を鞄につめて教室を後にした。
ナルコレプシーの薬を飲んだのが朝七時半。
いつも通りの効き目なら、もうそろそろ薬が切れてくる。
できる限り学校に迷惑をかけないと決めているので、ネルは急いで靴を履き替えて駅に向かう。
ネルがマンションに帰る頃に初田も帰ってくる。
とくに理由がなければ夕飯を分担して作るから、遅くなっては悪い。
改札をくぐったとき、いつも乗っている電車がホームに入るアナウンスが聞こえて、ネルは焦ってしまった。
エレベーターはサラリーマンや学生がたくさん並んでいて、順番が回ってきそうもない。
できるだけ階段は避けるように言われていたけれど、考えた末に階段を駆け上がる。
まずい、と思ったときにはもう遅かった。
地面がぐらりと揺れるような感覚を覚えて、手すりを掴む。いや、掴もうとした手は、地面に落ちた。
情動脱力発作だ。
座り込んでしまったネルのそばを何人もの人が通り過ぎていく。ちらりとネルを見る人もいたけれど、一瞬見ただけで立ち去る。
力が入らないから電話を手に取ることもできない。
(どうしよう、どうしよう……)
同じ学校の制服を着た男子が駆け寄ってきて、ネルに話しかける。
大丈夫? と言っているのがかすかに聞こえるけれど、うまく言葉を返せない。
ヘルプマークに気づいて、裏面を見てくれた。
そこで意識を手放して、気づくとベンチに寝かされていた。
五十代くらいの男性駅員がネルに呼びかける。眼鏡をかけた、穏やかそうな人だ。
「ああ、目が覚めたかね。大丈夫? これに書かれている番号に連絡したから、すぐに親御さんが来ますよ」
「ありがとう、ございます」
まわりに結構な人数が集まっていた。ネルが起きたのを見て、散っていく。
時間は駅に入ってから二十分くらいしか経っていない。
脱力発作と睡眠発作どちらも起こしてしまっていたらしい。怪我がなかったのが幸い。
鞄に下げた携帯が、初田からの着信専用に設定したメロディを奏でる。
『ネルさん! よかった、出た。今そっちに向かっているので、あと五分くらい待ってください』
「にいさん。ありがと」
通話が切れて、誰かがネルのそばにきた。
同じ学校の制服を着た男子だ。
背丈はネルより少し高い程度で、男子にしては低め。茶に染めた髪を短く刈っている。
健康的な筋肉がついた体は、見るからに体育会系の人のものだった。
「あなたが、駅員さんを呼んでくれたの?」
「まあね。案内所までひとっ走り。陸上部だから走るのは得意なんだ」
通り過ぎる人が何人もいる中、助けてくれる人がいたことに感謝する。
お礼になりそうなものを探して、ポケットにイチゴ飴が入っていたことを思い出した。
「おれい。こころばかりですが」
「え? ああ、これはどうも。じゃあもらうばかりじゃ悪いから俺もこれをあげよう」
飴と交換するような形で個包装のクッキーをもらった。
「きみ、同じクラスの根津美だろ」
「東堂さんは、同じクラスなの?」
「根津美は有名人だから」
まだクラスメートの名前を一人も覚えていないから、ネルは自分を覚えている人がいたことに驚いた。
そして自分が有名人だと言われても訳がわからなかった。
「私はなぜ有名」
「いつも寝ているから、あだ名が眠り姫」
昼休みに保健室で寝ていることを揶揄するかのようなあだ名で、細かいことを気にしないネルでも嫌な気持ちになった。
「ネルさん」
初田が息を切らせて走ってきた。仕事が終わってそのまま来たのか、首に病院の名札を提げたままだ。
ベンチに座るネルのそばに膝をついて、いつものように手首で脈を取る。
「脈は正常……熱もないですね。顔色も悪くない。階段で具合が悪くなったと聞いたのですが、怪我は」
「どこも痛くない」
「それはなによりです」
一通りネルの状態を診てから、東堂に気づいた。
ネルが「駅員を呼んでくれた」と説明すると、丁寧にお辞儀をして礼を言う。
「うちの子がお世話になりました」
「え、ええと、あの、はい。あなたは」
困惑する東堂の反応で、ようやく初田は自分が素顔をさらして駅の中に来てしまったことに気づいた。ポケットに入れていた布マスクで口元を覆う。
病院名と科名が入った名札を見せて、慌てて自己紹介する。
「初田と申します。ネルさんの保護者です」
「……初田さんの顔、前にテレビで見たことある」
「世界には同じ顔の人が三人いるって言いますからね。似ている人がいるのは当然です」
おそらく東堂が言おうとしたのは嘉神平也のこと。初田と嘉神平也は一卵性の双子だから、どうしてもこういう反応をされる。
学校で「ネルの保護者は嘉神平也だ」と間違ったことを言われたら一巻の終わりだ。
早く話を切り上げたくて、ネルは初田の袖を引いて歩き出す。
「仕事忙しいのに、ありがとう、にいさん。帰ろう」
「それでは、これで失礼します」
東堂に軽く挨拶して、足早に場を離れた。
人通りの少ないところに来てから、初田は小さくこぼす。
「すみませんネルさん。うかつでした」
「だいじょうぶ」
クラスメートとはいえ、今日初めて会話した人だ。
明日学校で顔を合わせても、そうそうネルと初田のプライベートについて突っ込んだことを聞いてくることはないはず。
だからネルは大丈夫だと繰り返した。
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