第13話 親子でも、わからないものはわからない。

 週末になり、初田は予約時間通り中村家に向かった。

 県内でそこそこ大きな駅、そこから徒歩二十分の住宅街にある。

 秀樹が乗り込んできたことを伝えると、礼美は平身低頭、土下座せんばかりの勢いで謝った。


「ご迷惑をおかけしてすみません! まさか先生にそんな失礼なまねをするなんて……」

「いえ。気にしてませんよ。乗り込んできてくれたおかげで、中村さんが治療方針を一切理解していないのがわかりました。大変ですね、聞き分けのない子どもが家にいると」


 歌うような声音で言う初田に、礼美は肩を落としたまま「すみません」と繰り返す。


 気にしていないという言葉の通り、初田はさっさと話題を切り替えた。


「それでは日記を見せてもらおうかな。コウキくん、この一週間なにか特別なことはあったかな。気分が落ち込んで眠れないとか、食欲がなくなったとか、生活する中で気づいたことがあればなんでも教えてほしい」


 前回と同じように、まずは礼美に離席してもらい、コウキの話を聞く。


 コウキが綴る日記は、料理してみたことや散歩したこと、些細な発見一つ一つに心動かされている。


 いい傾向だ。サボり癖のある人や治療に乗り気でない人は、ノートが空白だらけになる。

 勉強以外のことに触れる時間はコウキにとってプラスに働いているようだ。

 診療をはじめてからこれまで対話した中で、今日のコウキは一番血色がいい顔をしている。

 膝の上で両手の指を組んで、視線を斜め下に落としながら口を開く。


 初田がウサギのマスクをしていて目が合わないというのを差し引いても、コウキは人の顔ーー目を見て話しをしない。どこか自信なさげで安定しない。


「俺、初めてオムレツを作ったんだ。母さんに教えてもらいながらだけど。焼きすぎて焦げてるとこが多いし、味があるとことないとこでまばらだし、おいしくなかった」

「そうか。料理してどう思った?」

「もっとうまく作りたい。母さんはおいしいって言ったけど、なんであれを美味いなんて言えるんだろ」

「コウキくんが作ってくれたからさ」


 まだ十六の少年に、親心の機微というのはわからないだろう。

 初田の答えを聞いて、理解不能という顔をする。


「きみはお母さんが作ってくれるもの、まずいときはまずいって言うかい?」

「いや、感想を言ったことがない。ごはんのとき何か言うと父さんが怒るから」


 ささいな会話を楽しむ余裕もないなんて、実に無味乾燥な食卓だ。


「お母さんがおいしいっていってくれて、どうだった?」

「わかんない。けど、ここが熱くなる。嫌な気はしない」


 言いながら、コウキは自分の左胸に手を置く。


「それは嬉しいっていうんだよ」

「秋を見つけたときも、同じだった」


 身振り手振りで、日記に書ききれなかったことを話す。味覚で秋を感じるってどんなことなのか、そんな些細な話だ。


「新米を食べてみて、秋はわかったかな」

「わからない。新米じゃない米とどう違うかなんて、考えて食べたことがなかった。知らなくても生きてこれたし」

「それはそうだろうね」


 保育園児が口にするような疑問を次々に口にする。本来ならこの年になる前に、親と交わすであろう会話だ。


「あと、母さんが父さんと電話して泣いてた」

「そうか……」

「俺が先生の治療を受けるのは恥ずかしいことなんだって。なにがいけないのか、俺にはわからない」


 そのことも日記に書かれている。このページだけ、コウキの筆跡は荒々しく、書き殴るようなものになっている。


「コウキくんは何も悪いことはしていないよ。どうしてもわかりあえない人種というのはいるからね。たまたま中村さんが波長の合わない人種だったと言うだけのこと」

「小学校では教師が、みんな仲良くしましょうって言ってるのに?」

「それができる人ばかりじゃないから、口論で傷害事件に発展したり、いじめが起きたりするんだよ」


 話せばわかるなんてのは理想論だ。

 現に、秀樹は何をどう説明されてもコウキの治療に否定的。自分の意見以外認めない人間は一定数いるものだ。これは人間のさが。片方だけの努力で話し合いは成立しない。

 初田はマスクをした己の顔に触れる。

 マスク生活をするようになったのも、話してもわかりあえないが故の結果だ。


「……なんて、医者が言っていいことじゃないとは思うけどね。コウキくんは、お母さんが泣いて喜ぶようなオムレツを作れるすごい子なんだから。自分にできることをすればいいんだ。中村さんにどう言われてもわたしが味方をする。胸を張って生きなさい」

「わかった」


 ありのまま受け入れて後押しする。初田がコウキにしてやれるのはそれだけだ。

 秀樹に罵られようと、コウキが助けを必要とする限り、医者として手を差し伸べる。

 

 



 続く礼美との対話では、コウキがホットミルクを作ってくれたことなどが話題に上がった。

 母の分もホットミルクを作ろう、そう自発的に行動できるくらいには優しい子だ。

 治療を続けていけば、社会生活を送るのに問題ないくらいにはなれるはず。


 己の心をコントロールして、破壊衝動を押さえ込むことができたなら。

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