20.目覚めてもその星は空に瞬く

 小鳥のさえずりが聞こえた。その姿を見つけてみようと耳を澄ませてみるが、直ぐ近くの木の上のようでもあり、高い空の上から鳴いているようでもあった。

 空が白みを帯び始め、世界は新しい朝を迎えようとしている。

 リーセは鳥の姿を探すことを諦め、川からは朝靄が立ちのぼるのを眺めていると、ラメールが毛布を持ち上げてむくりと起き上がった。そして目をこすりつつ、大きなあくびをした。


「おはよう。筋肉痛は治ったか?」

「さっき、ふくらはぎを吊りそうになって手を伸ばそうとしたら、腹筋が吊って悶えていた。体中が痛い。今日は歩ける気がしない」

「そうか、今日もがんばれ。俺も久々に長い距離を歩いて外で寝たせいか体が痛い。まあ、少し歩けば身体はほぐれてくるさ」


 ラメールは焚火に薪をくべて火力を上げると鍋をのせた。中身は昨夜の残り物だ。そして立ち上がって川岸へと歩いて行く。その足取りはしっかりとしていて、とても筋肉痛があるようには見えなかった。

 会話の声を聞きつけたのか、ノノも起き上がる。


「リーセ様、おはようございます」


 そう言ったあと、お祈りを始めた。

 彼女が向いている東の空にはまだ太陽の光はないが、一際強い光を放つ星の姿があった。


「……?」


 リーセはその星を呆然とした眼差しで眺める。お祈りが終ったノノは顔を上げてリーセを見つめる。


「リーセ様、どうかしましたか?」

「明日の朝になれば星は東の空にあると言っていたけれど……、何かの例えだと思っていた。あの星はずっとあの位置にあるの?」

「はい、夜は西に、朝は東にあります」

「昼が長い時も、夜が長い時も、一年中ずっとあの場所に?」

「それは……、多分同じ場所に」

「ずっと? どちらも見えなくなることはないの?」

「それは……、雪の日や曇った日には見えなくなりますが……」


 自信なさそうにノノが頷いた。

 そういう事なら天体には違いないのだろう。ただ、あの星がリーセの知る金星ルセロなら、宵の明星から明けの明星に変わるまで一年以上の周期があるはずだ。


「もしかして、宵の明星と明けの明星は別の星なのかな?」

「いいえ、そんなことはありません。同じ星です」

「ん-っ、と……、どうしてそんなことがわかるの?」

「気品です! ほかの星とは違って、どこか、こう、キラーンとしています」

「確かに大きくて一番明るいようには見えるけど……」

「リーセ様と同じです! リーセ様はどんな時でもキラーンとしていて、どこにいてもリーセ様なんです!」

「そっ、……そう? 今は体中が痛くってよろよろだけど……」


 やや引き気味になって答えるリーセに、ノノが前のめりになって、「キラーン」という事を手の動きと目の輝きで表現する。そのとき、地平の彼方から太陽の光が差し込んで、二人の顔を明るく照らした。

 その眩いばかりの光を受け、元の世界でとある僧が洞窟で修行をしていると、口の中に金星が飛び込んできたというエピソードを思い出す。元の世界ではその僧が金星を食べてしまった為に一つになってしまったのかもしれない。そう考えたあと、慌てて首を振る。この世界は全くの別世界なのだ。元の世界と異なる節理があるのだ。

 しかし、ノノは星は一つというが、どう考えても二つだろうと思ってしまう。ルセロ教の神を象徴する星だ。気にとどめておくべきだと考える。

 目を細めて見つめていると、いつのまにかラメールが戻って来ていた。


「お前ら……、朝からなにアホな話をしているんだ? さっさと飯食って出立するぞ」

「ラメールもあの星は昨日の夕方に見た星と同じだと思っているの?」


 リーセは東の空に浮かぶ星を指で差した。


「ん? 一緒だろ? みんなそういっている。おかしなことを言ってないで朝飯を食え」


 差し出されたお椀を受け取る。

 星のことを考えていたリーセの思考は、食事の匂いに引き戻された。昨晩より空腹を感じているが、同じ味は飽きると思いながらスプーンですくって口へ運ぶ。

 そして、リーセの目が見開かれた。


「どうだ? 干し肉を足してやったんだ。昨日よりコクが出ていだろう?」

「んー、毒蛇なのにっ、変な葉っぱなのにっ、美味しい!」


 リーセはパクパクと麦がゆを平らげた。



 二日目の移動が始まった。

 筋肉痛で一歩も進めないと思っていた。そして背嚢を持ち上げることができず、「もうこんな荷物は嫌だ」と背嚢を握りしめ、川に投げ捨ててやろうかと思うほどだったが、太陽の熱と食事のエネルギーは偉大である。リーセの身体に重い荷物を背負って歩くための活力を与えてくれた。

 そして彼女自身も一歩進むごとに、筋肉はほぐれて行き、筋肉痛はおさまっていった。


「これが、支配されることへの慣れなのね……」

「朝から何をいってるのかわからないが、昨日よりもいい感じに歩けている」


 ラメールがリーセの歩く様子を眺めながら、満足そうにうなずく。


「でも、河原の砂利の上を歩くのは大変なのだけど。石を踏むとぐらつくし、砂地のようなところを踏むと足は沈んでいくし……」

「まあ、そのうち慣れるさ。基本は変わらない」


 道が川の中へと進み、途切れている箇所があった。向こう岸に視線を送ると、川の中から這い上がるように道は続いている。


「私たちの旅もこれで終わりか……」

「終わってねぇよ。橋はないが水面から出ている石を踏んで渡るんだ」


 ラメールが指を差す箇所には大きな石が飛び石のようになって向こう岸まで続いていた。


「石の間隔は狭い。お前の歩幅でも飛ばなくても大丈夫なはずだ。いいか、くれぐれも腰の位置を下げるな。腰が落ちると歩幅が狭まり石に届かなくなる。身体は常に垂直かそれより気持ち少し前に傾けろ。決してのけぞるな。石を足裏で踏みつけることを忘れるな。かかとから行くと滑って落ちるぞ。足裏全体が乗らないような石は、少し尖っている所を見つけるんだ。そこを足の母趾ぼし第二趾だいにし、それと母趾球ばしきゅうでつかむように踏みしめる」

「だから、どうして早口で一気に話すの? もっとゆっくり、分かるように説明して!」


 リーセがラメールに苦情を言っていると、ノノが二人の前に立った。


「リーセ様、ここはノノが見本をお見せします」

「大丈夫なの? 教会にはこんなところないでしょ」

「お任せください。モザイクのタイルの場所で、ある色以外のタイルを踏むと、おやつ抜きというゲームをリーセ様に命じられておりましたから」

「ちょ、私とノノにはそんなエピソードしかないの!」


 ノノはひょいひょいと飛び石を踏み、川を渡っていった。向こう岸につくと振り返って、にっこりと微笑んだ。その澄み切った笑顔をみていると、ラメールに背中の背嚢を叩かれた。


「次はお前だ。俺はお前のあとをついて行く」


 リーセは川岸に立ち飛び石を眺めた。コケがついている様子はない。しかし、彼女が踏みしめるところは光沢があり、つるっとしているように見えた。きっと多くの者がここを渡り、その場所を踏みしめたことだろう。その中の何人が足を滑らせて川の中へ落ちていったのか。


「川は深くない。落ちても直ぐに引き上げてやる。今日もこの太陽だ。濡れてもすぐに乾く」


 川に落ちてびしょ濡れになった方が、汗も汚れも落として気持ちよくなれるかもしれない。でも、一生の笑いごととしてラメールに覚えられるのは嫌だった。

 リーセは意を決して飛び石の上を歩いて行った。



 川を渡ると道は次第に細くなっていき丘へと伸びていた。川はその丘を真っ二つに裂くように抉って進んでおり、川沿いに沿って歩くのは無理だった。


「情報ではこの丘を越えた先に集落があるという話だ」

「こんなところで? 一体どんな生活をしているんだろ……」

「さあな。俺の子供の頃に砂金が取れると噂になって、人が押し寄せてきたことがあった。しかしすぐにデマだとわかり誰もいなくなった」


 毒蛇とサボテンの葉肉を食べて生活をしているのだろうか。リーセは顔をしかめる。きっと、他の野生動物や魚を食べているに違いない。人里から離れてこんな所で暮らす人々に思いをはせた。


「今日はそこまで進むのでしょうか?」

「そうだな。集落の人たちが友好であることを願おう」


 ノノの言葉にラメールが答えた。

 そして視線を眼前にせまる丘へと向ける。


「これから登りだが、基本は変わらない。背筋を伸ばし腰の位置は高く。足裏全体で踏みしめるのが望ましいが、傾斜によっては難しい場所もあるし、アキレス腱を伸ばし続けるとふくらはぎの筋肉が疲労する。踵を浮かせ、足の前側だけで着地をするのと組み合わせて疲労を分散させながら歩くんだ。ハイステップは避けろ。回り道をしてでも傾斜の緩い所を見つけて歩け」

「だーかーらー……」

「降りは脱力が基本だ。上半身はリラックスした状態を保て。体の余計な力を入れずに足の進みに逆らうな。ブレーキをかけようとすると疲労する。腰の位置は高くは基本だ。それで、斜面に対してではなく、物の落ちる方向に合わせて垂直かやや前傾になって立て。足先からの着地を意識しろ。後傾になったり、かかとから行くと滑って転ぶぞ。あと、ステップの高さに気をつけろ。小刻みに高低差の少ない所を見つけろ。登りと降りは使う筋肉が違う。うまく使い分けて疲労を分散させるんだ」

「へいへい。わかりました。ちゃんと見ていて、おかしな歩きかたをしてたら、ちゃんと言ってよ!」


 リーセはため息をついた。

 丘へと視線を送る。そして、歩き始めた。

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