二人で
足音がすぐそこまで近づいてきたのだろう。耳がおかしくなりそうだ。微かに揺れるだけだった地面は、今や大きく揺れるようにもなった。
焦燥から、たらりと汗が首筋を伝っていく。治癒と防御の魔法しか扱えないのなら、僧侶のようにそれに特化していればよかったのに。そうすれば、治癒も手間取らず、今頃は距離を取れていたかもしれないのに。
そんな歯がゆい思いを抱いたとき、両肩を掴まれた。驚いて目を開けると、目の前には男性の顔があり、切れ長の綺麗な赤い瞳と視線が交じる。不手際があったかと不安になっていると、男性はホッとしたような表情を浮かべ、アリーシャの両肩から手を離した。
「すごい集中だな。何度も声をかけていたんだが」
まともに動けず、話すこともままならなかった男性。傷を治癒することはできたのだろうか。もう、大丈夫なのだろうか。両手を下ろすと、男性を包んでいた光が静かに消えていく。
「知らない力だ。これは一体……」
その様子が興味深いのか、男性は目を丸くしながら自身を包んでいた光を見ている。光が消えると、赤い瞳は今一度アリーシャに向けられた。
これまでの経験から、つい身体を強張らせてしまう。それに男性が気付いたのか、咄嗟に視線を逸らし、小さな声で「すまない」と頭を下げた。
「あ、ち、違うんです。ごめんなさい、その、癖になってしまっていて」
「癖……? とにかく、まずは礼を。ありがとう。君のおかげで、怪我が綺麗に治った」
柔らかな微笑みがアリーシャに向けられる。
やはり、この男性の反応はおかしい。大したことはしていないのだ。ここにいたのがアリーシャではなく僧侶であれば、もっと早くに治癒できていたのだから。
初めて言われた感謝の言葉は嬉しいが、戸惑いが勝る。言葉に迷っていると、男性は立ち上がり、前へ歩き出した。
「いろいろと君には訊きたいことはあるが、その前にあれを倒す」
少し離れたところで立ち止まり、刃毀れした剣を構えたとき、ドスン、とこれまでにない程の大きな音が響き、身体が揺れた。
その正体が目に入った瞬間、ひゅ、と喉が鳴る。
見えたのは、足のようなもの。それだけしか視界に入らない。ぎこちない動きで首を上げていく。その全容を、確かめるために。
「あ……」
そこにいたのは、黒く澱んだ頭のない巨人。身体の中心には金色の大きな目と、大きく裂けた口が一つずつ。頭はこの辺りに生えている木々とそう変わらない高さにあり、手足は異様に長い。これまで見たことがないスケールかつ不気味な存在だ。
巨人がここへ辿り着いてから、金色の目は男性を捉えている。口からは収まりきれない牙がはみ出しており、ぼたぼたと涎を垂らしている。
男性は倒すと言っていたが、人間が立ち向かえる相手なのか。あの巨人を目にしてから、腰が抜けて動けない。初めてモンスターを見たときは、ここまで恐怖を感じなかったというのに。
すると、金色の目がアリーシャへと視線を移した。長い腕が振り上げられ、拳を握ったかと思うと、そこから複数の棘が出てくる。さながら、モーニングスターのように。
「やめろ!」
男性が巨人とアリーシャの間に入ろうとするも、相手の動きの方が素早かった。ぐねぐねと急速に腕を伸ばすと、座り込んでいるアリーシャに向けて振り下ろされる。
目前に迫る巨人の拳。死に直面するような危機が訪れると、周囲がスローモーションのように見えると聞いたことがあるが、今がそうだった。
ここで、死ぬのか。家族から見捨てられ、見知らぬ場所へ転送され。それでも、何とか一人で生きていかなければと、決意したところだというのに。
ふと、男性の姿が目に入った。必死の形相でこちらへ向かって走っている。──そうだ、とアリーシャは我に返った。
まだ、使える魔法がある。これもまた、必要とされなかった魔法。けれど今は、アリーシャ自身が必要としている魔法。
両手を前に出し、すう、と小さく息を吸って、口を開く。
「仇なす者の攻撃を防ぐ、
寸でのところでアリーシャの周りが淡い光の
浅い呼吸を繰り返しながら、震える両手を胸元まで持っていき、強く握りしめた。
判断があと少し遅ければ、どうなっていたことか。相手の力で防御魔法が破壊されなかったことも奇跡だ。きっと、侮られていたのだろう。今となってはありがたいが。恐怖と安堵が混ざり合い、心臓は痛いくらい激しく鼓動を打っている。
そこへ男性がやってきて、アリーシャの傍に片膝をついて座り込んだ。
「大丈夫か!? 今、何をしたんだ?」
透明の壁のようなものが、と言いながら手を伸ばすも、防御魔法は既に消えているため、空気に触れるのみ。
だが、すぐに男性の両手はアリーシャの背と両膝の裏を持ち上げ、こちらが声を上げる間もなくそこを離れた。その直後、爆音が耳を
地面が抉れ、砂埃が舞う。男性が気付いて離れなければ、今頃あの地面のようになっていたのは。そう考えるだけで、ぞっとする。
男性にゆっくりと下ろされ、震える足で何とか地に立った。
「あ、ありがとう、ございます」
「礼には及ばない。それよりも、俺の後ろに」
言われたとおり男性の後ろに立つと、彼は剣を構える。巨人はというと、両腕を枝分かれさせ、何本もの鋭い鞭に変えていた。近づけるものなら近づいてみろと言いたげに動かし、こちらを挑発してくる。
さすがに、これは厳しいのではないか。そう思い男性を見るも、彼は構えを崩さずに巨人と対峙している。
背が語っているのだ、必ず倒すと。どうして、あれを見せられてなお、諦めることなく立ち向かえるのか。戦力的には、圧倒的にこちらが不利だというのに。そんなことを考えていると、前を見据えながら男性が話しかけてきた。
「先程のような力は、まだ使えるだろうか」
「え? あ、防御の……? 使えますが、どうするおつもりですか?」
「俺はこのまま突っ込んでいく。ある程度は躱せるだろうが、もし躱せなければ君の力を借りたい」
何を言っているのか。あまりにも無謀すぎる。アリーシャは慌てて首を横に振った。
「危ないです! わたしの魔法は」
そこで、ぐっと言葉に詰まる。使える魔法は下位魔法のみ。一度は通用したものの、あのときよりも殺意と威力が増している攻撃を防げるとは思えない。何より、魔法使いや魔女が使う防御魔法は、そんな便利なものでもないのだ。
頼ってくれようとしたのはありがたいが、この提案には賛同できない。唇を噛み締めていると、男性は振り向き、目を細めて口角を上げた。
「そうか、あの不思議な力は魔法と言うのか。助けてもらってばかりで悪いが、頼んだ」
「ど、どうして、そんな……わたしなんかに、頼めるのですか。できないかもしれないのに」
「できる。俺を救ってくれた君なら、絶対に。二人で倒そう」
そう言って、男性は巨人に向かっていった。
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