16 社用スマホを渡された後

 我々は、強いて誰かが号令をかけたわけでもなく、足取り重く駐車場へと向かう。クラウンセダンに乗り込む。

 運転手は黒白。俺は助手席に座り、水戸角は後部座席左側。

 生首は背もたれの方を向かせた状態で、後部座席右側に横たえた。

 黒白はカーナビも設定しないまま、法定速度を大幅に超過しつつ突っ走る。辛うじて信号は守っていた。

 最初に俺が切り出す。

「何があったの?」

 水戸角はすぐには答えられない。呼吸が酷く乱れており、聞いているこちらまで苦しくなるほどだった。

 しかし、彼女はそれでも、……呼吸を乱す狼狽も激情も、固唾と共にゴクッと飲み下して、……震えた喉を無理やりに駆動させつつ、訥々と語り始めた。

「ウチは、……ただ歩いとっただけなんや。

「中平野アーケードに向かって、そこならなんか手がかりがあるかもって思て、……ほんなら、四角い真っ赤な軽自動車がウチを追い越したんや。

「……式長さんも似たような車に乗っとったなとか思とったら、その車はウチの十メートル先くらいで停まった。

「……運転席から降りてきたんは、ラーメン屋の店員みたいな腰エプロンとバンダナ巻いて、眼鏡かけた、牛護さんと同じくらいの年代の、パッとせん男やった。

「……男は、後部座席のドアを開けて、『あなたのご友人が中にいます』って言うた。

「……ウチは、式長さんが縛られたりしとーものか思て、駆け寄って中を覗き込んだら、…………後部座席に、生首が、こっちを向いて横たえられとった。

「……苦痛にいがみもって、誰かを強烈に睨みもって死んだような、その時の表情のまま固定されとって、……口には紙切れ三枚が差し込まれとった。

「……ウチは、これがほんまに彼女の生首なんかってどうにも信じ切れんと、座席に上がって手に取った。

「ドアが閉められ、車が発進しても、しばらくはそうしとった。……そやけど、相違なかった。生首は間違いなく式長さんのもんやった。

「……ウチは、運転席に喚いた。『われがやったんか』って、『なんでこんなんするんや』って。

「……ほんならそいつは、『僕に言われても』って返すだけやった。……もう、ウチはどないかこいつだけでも殺さなあかんって思て、クダルしたけど、それも効かんで、逆に銃で脅されて動くなって命令されて、

「……それから、しばらく移動して、……車が停まって、また銃を突きつけられて、出ろって命令された」

 事の顛末は以上や。……と、

 ガリガリガリガリガリ。

 車の左側が、ガードレールと接触して思い切り削れる音。

 時間にして数秒ほどの後、走行は停止した。信号は赤だった。

「あっちゃー。修理費数十万コース確定―。たまらんですなぁ」

 黒白は後頭部をガリガリと掻き毟りつつ、眉から鼻にかけてペシャンコに潰れつつ、大口をかっ開いて大笑いした。

「…………………………………………は?」

 水戸角は、彼女にしては控え目の声量で疑問符したが、それでも黒白の調子は変わらない。

「いや、相手さんもガチってことっすよ。……どこで勘繰られたんかなぁ。まあタコちゃんが今朝まで生きとったっちゅうことは、それ以降の我々の活動の何かがお相手のセンサーに引っ掛かったんやろなぁ」

 青信号になると急加速と追い越しを無考えに繰り出し、赤信号になるときっちり停まる微妙秩序運転しながら、黒白はヘラヘラした顔つきで考察する。

「となると、病院やろなぁ。……察するに、院内スタッフの誰かが壱陽の手先だったか、病院そのものが壱陽の所有物やったんや。……そんで、連中は俺らが、フクミさんとかタイラさんに接触しつつ、ツァンティについて嗅ぎ回っとるのを知り、『これはどないかせなあかん』ってなった。……そしたらまずは、我々の動向を遡るところからやろな。対処するにはまず相手を知らなあかんからな。……チッ、ガキの飛び出しですわ。(クラクション連打)…………そうっすね。まあ連中からしたら、昨晩に我々とタコちゃんが飲み会やっとったことくらいは簡単に調べがつくでしょ。あのたこ焼き屋は暴食のテリトリー内でしたからな。……で、タコちゃんの家も暴食区にあったから、あの子の所在を特定するのも連中にとってはお茶の子さいさいなわけで、……………………………………………………………………」

 黒白は左手を思い切り振りかぶり、拳を握ってカーナビを打つ。

 一度目の衝撃で液晶に線が入ったが、それだけでは済まず、何度も何度も繰り返し打ちつけ、……拳は血塗れに、液晶は完全に真っ暗になった。

「おっかしいなぁ。ちょっとどついただけでカーナビがお釈迦ですわ。車に搭載するためだけのメカがこない脆弱とはねぇ」

 またも後頭部を掻き、ヘッドレストも血塗れになっている。

 ……このままゲームオーバーになってもいいという、それは自棄だった。

「牛護さん」

 黒白の呼びかけに、俺は無言で振り向く。

 彼は首をぐにゃりと曲げ、虚ろな目をし、口元だけニヤケながら、

「なんでタコちゃんが殺されたんか分かります? そこの動機だけがどうしても考えられんのですわ」と。

「………………………………………………」

 俺はポケットからタバコを取り出し、火を点け、一服する。多幸感とかは特に感じず、胸のざわつきも止まない。灰はダッシュボードの上に落とす。

「……それは、見せしめのためでしょう。……ツァンティに深入りするとこうなるのだという」

「んー? ちょっと頷きかねるっすねぇ。要するに連中は我々のことを敵対分子として見とるってことでしょ? そんならなんで相手方はウチらを殺さんかったんすか? ミトちゃんをウチらのとこまで運んできた男は拳銃持っとったんでしょ?」

「数の問題かと。……いくら壱陽が大阪市警を牛耳っているといえど、あらゆる殺しを無限に隠蔽できるわけではなく、……例えば、一人だけ殺すなら許容範囲内で、二人以上だと後処理に難航し、三人以上だとリターンがリスクに見合わない。だから式長さんしか殺せなかった。そのあたりだと思います」

「そもそもさ、なんで深入りして欲しくないのにチケット渡すん? 矛盾しとると思わん? 夢でも見とるんちゃうかってなぁ」

「娑婆で殺すのは難しくても、海上で殺すのはいくらでも誤魔化しが効くからとか。……事故に見せかけて殺すとかして、……警察もすぐには現場に来られないでしょうし、……その間に隠蔽工作することも出来る。つまり一連の犯行は、まず式長さんを殺すことで我々から反感を買い、それと同時に『文句があるなら船に乗れ』と挑発するような具合にチケットを配布し、……今頃は、我々三人をどう船内で殺して処分するかを算段している。すなわち相手は至って現実志向の」

 とまで言いかけ、側頭部を正拳で目一杯殴りつけられた。

 俺は反対側の窓に頭を打ちつけ、脳みそが右から左から衝撃を受け、鈍痛はそこそこに名状しがたき吐き気に苛まれ、……こんな時にまで、いやむしろ極度に緊張したからだろう、指で挟んだままのタバコを口につけ、吐き気をニコチンで胃に押し戻した。

「え、」

 水戸角は絶叫する。

「ええ加減にしてや! なんでそんなこと出来るん!? 牛護さんはなんも悪ないのに!」

「いや悪いでしょ。こないな時に頓珍漢なこと言うもんとちゃうでしょ」

 車は路肩に寄せて停められている。遠くでサイレンの音が聞こえる。

「頓珍漢とは?」俺は頭を抑えつつ尋ねる。

「オッケーグーグル。頓珍漢って何?」

 黒白はスマホに話しかけ、間もなく機械音声が頓珍漢の意味について語り始めるが、

「ンなこと聞いとらんわ■■■■■■■■■■が」とフロントガラスに投げつけた。

 そして、後頭部をグチグチと削り、「ンンンンンンンンン」と唸り、「だからぁ!」と壊れんばかりハンドルを殴打しつつ、俺に怒鳴り散らした。

「俺は!『なんでタコちゃんが殺されたんか』って聞いたのに! なんで答えてくれんのですかって! 俺でも牛護さんでもミトちゃんでものうてなんでタコちゃんが殺されなあかんかったのかって聞いとるんですわ! 

「……………………………………………………」

 薄々、そうじゃないかなとは思っていた。

 だって、彼女は一度たりとも、極性者に敵対するポーズを見せなかったのだから。……あと、我々が極性同意について話している時なども、全く会話に参加して来なかったし、……黒白が連れ回しているだけの、ただの無関係者なのかもしれないとは思っていた。

「なぜ式長が殺されなくてはならなかったのか」。

 極性者を排除するべく積極的に活動していた我々三人ではなく、なぜ彼女が。……そういう意味で問うていたことくらい、俺にだって察しはつく。

 だから気を遣って、ズラした回答をしてやっていたのに、……こうもしつこく問い詰められては、……本当のことを言うしかないのか。

 乗り気ではないが仕方あるまい。もしかすると冷静になるかもしれないし。

 俺は、煙の吸い吐き、灰落としをして、……普通の頭をしていれば分かることを、わざわざ俺の口から言った。

「……向こうからすれば、ただの一般人と見えなかったからでしょう。……暴食の壱陽に牙を剥く一味に同行し、その内の一人とは密な関係にあり、もう一人について自宅に泊めるほどの間柄であり、……そんなの、排除すべき『敵』の一味として見なされても無理はありません」

「…………………………………………………………」

 黒白は、上下の歯をギリギリと磨り潰したまま、後頭部を抉り抉り、俺を睨む。

「……そら、そうかもしれんけど、……でも、結局、あんたらか俺が殺されんで、タコちゃんが殺された理由にはならんやろが。……ウチらが四人で一括りやと思われとったのは認めるにしても、なんでよりにもよってタコちゃんが」

「仮説としては彼女が最も殺しやすいと判断されたからではと思われます。……病院内で我々三人のうち一人を殺すのは、患者などに見つかるリスクがあり、仮にどうにか殺せたとしても残りの二人から反撃される危険性もあって、総じて大事になりやすく、事後処理が大変になることが目に見えていた。……一方、式長さんが殺害当時、どこでどう過ごしていたのかは不明ですが、……対象を殺害した上に首まで落として、かつ現場から持ち去ることが出来るような状況的猶予は少なからずあったわけで、……だから、我々三人より殺しやすかっただろうことは容易に推測がつき、……つまり彼女は、殺しやすかったから殺されたのだと思います」

「………………………………………………………………」

 その時の黒白の目つきは、直視できないほどだった。……瞳孔が開いていたのかもしれないが、何か普通人のしていい目つきをしていなかった。……鯨類のような、生きながらに死んだ目とでも言うべきか、……何を考えているのやら、さっぱり理解不能の顔つきをしていた。

 しかし、理解不能である。

 そこまで彼女が大切だったのに、なぜ遠ざけておかなかったのか。……こうなることくらい予め分かっていたはずでは? 壱陽を駆除するための活動に参加していれば、いつかその報復を受けることになるかもしれないと分かっていたはずなのに、その上で軽率にも彼女を公然と連れ回し、案の定目をつけられて殺されてしまい、「なんでこんなことになったんだ!」と発狂する。

 式長を軽んじているのか重んじているのか、どっちなのやら分からない。

 怪文書でも読まされているような気分だ。正常な人間の精神状態とは思えなかった。

「…………なあ、」

 黒白の発狂以来、しばらく黙ったままだった水戸角が、おずおずと控えめに。

「サイレンの音、なんか近付いてきとらん? ……ちゅうか、ハッピーデイらへんからここに移動するまでの間、ずっと聞こえるわいなあ? それっておかしない?」

「いや、おかしくはないよ。逃亡する我々を警察はサイレンを鳴らしつつ追ってきてるって、ただそれだけのことだからね」

 黒白は鯨類の眼差しで俺を睨み、「なんで俺らが警察に追われなあかんのですか」と、思考を全く挟まずに問いかける。

「取り敢えず車を出して高速道路に向かってください」

「なんで」

「走り出してから答えます」

「………………………………………………………………」

 黒白は初速から勢い激しく飛び出した。

 俺はタバコをダッシュボードの上に捨て、二本目を一服し、

「ずっと引っ掛かってたんです。……なぜ彼女は斬首されなくてはならなかったのか」

 よく喋る。

「我々の反感を買い、船に乗り込むよう誘導するためなら、首まで落とす必要はないはずです。……首周りの強靭な筋線維や頑強な骨、滑って切りにくい脂肪の層などをどうにか無理やりにでも断ち切り、あまつさえ現場から持ち去るという一連の行為、……犯行を目撃されるリスクを無駄に増やしているとしか思えない。非合理的だと思いました。

「……が、この迫り来るサイレンの音を聞いているうちに、……ああ、これが目的だったのか。……と思いました。

「つまり連中は、……ということです。

「順番としては、まず式長さんを殺してから、『生首を持って逃げる男女三人組を見た』と警察に通報し、……もし逮捕することが出来たら、壱陽の息がかかった警察官が都合のいいように裁量して、……まあ、その後は刑務所に突っ込んで我々を無力化するか、または事故を装って殺すかするつもりでいるとか、そのへんだと考えられます」

「タコちゃん殺されとんのに冷静すぎてワロタ」

 黒白は車体をグワングワンと左右に振りつつ猛スピードで追い越しをし、車内はしばらくのあいだ静寂になる。

「どっか行く当てはあるん?」と後方からの問いかけに、

「一旦は東京かな。俺の部屋もあるし」と返す。

「兵庫でもええよ」と返ってくる。

「そっちの方が近いし、空き部屋も、……片付けたらあるから」

「空き部屋って何? タコちゃんの首置いといてくれんの?」と黒白。

「え? いや、そうちゃうくて、あんたらが寝泊まりする部屋……………………」

 それから兵庫に入るまで、我々は無言のままだった。

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