14 タイラ氏と面会した後

「ちょっと、どこ行くんすかー?」

 病室を出て、あてもなく廊下を進む俺を、黒白が後方から呼び止めてくる。競歩で追いかけつつ。

「分かりきったことでしょー? 極性者に求められている資質なんて極性同意に決まっとるやないすかー。何をそんなに嫌がっとるんすかー?」

「やっぱりそうなんじゃないですか。俺の極性同意でタイラさんを怠惰にさせて、……抵抗力を削いで、『聞き忘れていたこと』とやらを引き出すつもりなんでしょう。……申し訳ないですが、それには加担できません。そんなの自白剤を打たせて尋問するのと変わらない」

「だから?」

 俺は思わず立ち止まる。振り返る。

 黒白は両手をスラックスのポケットに突っ込み、厚ぼったい瞼をニンマリと湾曲している。

「……いや、だから、そんな自白剤みたいな役割を期待されても困ると」

「ならマジもんの自白剤でも調達しますか? 俺は構わないすけど、アレは吐くだけ吐かせてその後は廃人まっしぐらって代物らしいすけどね。牛護さんはそっちの方がお望みっすか? 確かに態度悪かったっすもんね、タイラさん。躾を所望ですか」

「……極性同意も自白剤も使わずに事情聴取するという選択肢は?」

「ただ普通にお喋りして聞き出せって? そんな甘っちょろい方法は無理でしょ。だって彼は例の中華飯店を守りたいって思ってはるんすよ? あの絶品をまた食べられる日を楽しみにしとるのがタイラさんで、ウチらはその中華飯店こそが諸悪の根源であると見積もっとるわけです。あちらさんからしたら我々は明確に『敵』であって、何の細工もなしに尋ねたりしても口閉ざすに決まっとるんすわ」

「………………ですが、」

「というかね、他人の精神を害する極性同意を、無闇に使いたくないっていう牛護さんの志は素晴らしいと思いますけどね、……毒だって、打つ相手によれば薬になるかもしれんでしょ」

 黒白は窓にもたれかかり、「違いますか?」とにやける。

「……根拠は?」

 黒白はハッと空笑いし、

「お堅いっすねえ」と歯を見せる。もたれていた姿勢を戻し、俺に背を向け、

「歩きながら話しましょ。他の人らに邪魔やろうしね」

 元来た道を辿り始めた。

「…………………………………………」

 俺は溜め息し、早歩きで追いつく。歩幅を合わせる。 

「午護さんは、呑み過ぎた日の翌朝とか残業明けの時とか、腹は減っとるけど飯食うのが面倒でそのまま寝転んだりすることないっすか? 俺は割とあるんすよね。食欲よりも怠けるのを優先したいっていうか」

「……まあ、ありますけど。家に食料がないけど面倒だから買いに行かずに絶食とか」

「そう。つまり食欲ってのは、怠惰によって減衰される欲求なんすよね。……飢えている状態でも、それを上回るだけの面倒臭さを感じれば、『別に食べなくていいか』となる」

「……タイラさんの怠惰を極性化すれば、相対的に彼の異常食欲が減衰するかもしれない?」

 黒白は大欠伸を挟んだ後、

「あのままほっといたら彼は、いずれ本格的に発狂することになるでしょ」

 下瞼を涙で濡らしつつ語る。

「病院から飛び出て、街の汚い方へ汚い方へ転がっていって、しこたまゲテモノ食いしてから、今度は食あたりじゃ済まんかもしれん。空きっ腹にゲテモノぶち込もうもんなら、毒の回り方も格段に速くなるやろしね。……だったら、そうさせへんためにもここらで一発、鎮静剤でも打っといた方がええんちゃいますか? っていう提案ですわ。ドクター」

 ……どうだろうか。

 理屈としては的外れではないと思う。ある異常欲求を鎮めるためには、それとは別の種類の欲求を掻き立てることが有効ではないかという案。

 ただ、即座に首肯できるわけでもない。……彼にかけられた極性同意の影響力について考えを巡らせると、不安は募る。

 まず殺傷力である。……俺は極性同意で八人殺しており、大阪に来る道中のコンビニで極性同意した店員とか客についての安否は分かっていない。要は「極性同意しても死ななかった」というケースを一度として確認しておらず、安全性が定かでない。

 また、持続性についても不明だ。どれだけ怠惰が尾を引くのか、そもそも時間経過で自然に回復するのか、一生そのままなのか、……分からないことだらけのこの異能を、何の抵抗感もなく行使するほど無神経ではない。

 黒白に尋ねる。

「俺が極性同意で彼にトドメを刺してしまう可能性は考慮しましたか?」

「あのね、確かに極性同意ってのは恐ろしい性質すけど、牛護さんはビビりすぎっすわ」

「……ビビりすぎ?」

「だってそうでしょ。昨晩のこと覚えてないんすか? ミトちゃんはタコちゃんに極性同意を仕掛けて、そっから数時間はエキサイトしとったすけど、でも飲み会が終わる頃にはシラフに戻っとったでしょ? つまり牛護さんも手加減するように気を付けとったら、極性同意をごく短時間だけ効かせて、精神的な後遺症なくキレイさっぱり元通りにすることだって出来るはずなんすよ。……ていうか、それが出来るようになってもらわな、ぶっちゃけ困るんすわ。俺は牛護さんの性質ありきで色々考えとるんで」

「………………………………………………」

 俺は、意識的に極性同意をしたことがない。一度も。

 だから、どうやって工夫すれば影響を必要最小限に抑えられるのかとか、何も分からない。……言葉遣いに留意すればいいのか、声色遣いなのか、視線の送り方なのか。

 でも、もうやるしかないのか。

 だって、俺は黒白の提案よりも画期的なアイデアを、病室の扉の前に戻るまでの道中で思い付くことが出来なかったのだから。……代替案を出せない人間に拒否権はない。それくらいは弁えている。

 ただ、せめて水戸角に聞こう。

 専門家はどのように加減しているのか、そのノウハウを聞き出すくらいのことは………………………………。

「水戸角さんは?」

 ドアノブに手をかける前に、隣の黒白に問いかける。

 黒白はウルフカットの後頭部を掻き混ぜつつ、

「……そういやおらんすね」と。

 俺は病室の扉をノックし、「失礼します」と扉を開ける。

 水戸角はパイプ椅子に腰かけ、……両肘を両膝の上に乗せ、両手の平に顎を乗せて、

「好きな食べ物は?」とタイラ氏に呼び掛けている。

 タイラ氏はガスガスの声で、呪詛のように答えた。

「熟れた果実がええ。年取って皮と贅肉とかダルダルになった、どこまでも沈み込んで滑っていくような肌触りの乳房に我が身を埋めて、己自身もその半液体と同化していくような夢心地に身を投じることこそ最上の喜びや」

「うん分かる分かる。熟女もええわいなあ。ゴキブリより熟女の方がずっとええに決まっとるやんなあ」

「水戸角さん」

 俺が呼び掛けると、彼女は「んー?」と振り向いた。

「……やったの?」

「うん、やった。食欲の同意されとー人に性欲の同意したらどないなるかなって思て」

 どのようにすれば相手をより興奮させられるのかを人体実験してみたり、単独で呪文を発明してみたりする彼女は、すなわち研究者的な性分である。

 常に好奇心を持ち、実践せずにはいられない。水戸角美兎が水戸角美兎している最中だった。

「一応聞きますけど、船とか中料理屋のことについて聞いたら答えてくれますか?」

 後ろから黒白が問いかける。タイラ氏が返すには、

「あの店が潰れたら内巻きカールの姉ちゃんの仕事がなくなってしまう。貴様らに話すことはない」と。

「牛護クン」

「……………………………………………………」

 まあ、いい。

 とりあえず先人のやり方を真似れば間違いないだろう。俺は極性同意に関して、水戸角には一定の信頼を寄せている。

 俺はタイラ氏を指差し、その指先を地面に向けつつ、

 Who are you?  のイントネーションで、

「クダル」

 と唱えた。



       *



「何でも話したるから終わったらさっさと出ていってくれ。抵抗するのもめんどいわ」

 タイラ氏はぐったりと窓の方を眺めている。黒白が「好きな食べ物は?」と尋ねるが、「関係ない質問には答えん」と突っぱねた。

「ふむ。上々ですな」

 黒白は腕組み、こちらを振り向く。

「ではさっそく、質問タイムといきたいところですが、その前に。……『クダル』というのは、水戸角さんから教わったのかな?」

「教わったというか、まあ、……見て学んだというか」

「なるほど。で、水戸角さんはどうやって知ったのかな?」

「知ったも何も、ウチが独力で考案した呪文がクダルや。……です。極性同意をより手っ取り早く、かつ確実に効かせられる方法はあらへんかって、色々試しとーうちに自ずと導き出せたって感じやな、ですね。はい」

「……へー。自ずとね」

 黒白はタイラ氏の枕元まで歩み寄り、腕組みしたまま音頭を取り始める。

「そしたら質問させてもらいましょか。取りこぼしの無いように人生順で」

「……四十年分遡るつもりか? 病人に無理させおってから…………」

「あくまで必要なことだけお伺いしますから。……出身は平野区ですか?」

「ああ」

「それから今日に至るまで平野で過ごされていた?」

「ああ」

 黒白は一旦区切り、我々に向かって問いかける。

「このようにタイラさんは、大阪市東南部で生まれ育ったわけやけど、……では、彼が四十代になっても大食いチャレンジに挑むような大食漢なんは、暴食の壱陽の仕業やと思う?」

「はい」と水戸角が挙手する。

「暴食の壱陽がどんな人でどんな風に生活しとんのかも知らんから、答えようがありません」

「鋭い指摘やな。そしたら折角やし、暴食の壱陽と呼ばれる人間の素性について解説しとこか」

 なんだか、病室でありながら教室のように思えてきた。……俺と水戸角は学生服を着て席についており、黒白はジャージ姿で教壇に立っているような。そしてタイラ氏は眼中になく。

 黒白はチョークで黒板に記入しつつ、授業を始めた。

「平野区を含む大阪市の東南部は現在、『壱陽りく』という男によって暴食の街に造り変えられとる。これは超越会の調査で明らかになっとる事実や。

「この男は東南部の某所で高級料理店を営んでおり、すなわちそこへ訪れるようなお金持ちのお客様以外には極性同意する意味ないはずやけど、中平野アーケードを見てもらったら分かる通り、富裕層でもなんでもない平民を相手にした飲食産業が栄えに栄えていて、暴食を極めている。……これはなぜか。

「ご存知の通り、極性者は意図せずに極性同意をしてしまうことがある。本能とでも言うべきか、極性同意が体に染みついているが、これは制御しようとちゃんと意識していれば暴発する心配はない。……昨日と今日で観察していた限りではあるけど、キミたちは無自覚に極性同意することはなかった。ちゃんと制御できとる証拠やな。

「さて、では壱陽の方はどうやろか。

「推察するに壱陽陸は、そういう制御みたいなことしとらんのやと思う。……何の注意もなく他人と会話したり関わったりして、そんで屁でもこくみたいに極性同意かまして、相手を食欲旺盛にさせて、……そうさせられた被害者の友人とか家族なんかも、つられて過食気味になり、更にその知人がって具合に食欲が連鎖していって、その結果、異常食欲の街が成立したのではないか。……と考えられるわけやな」

 では改めて質問。と、黒白は問いかける。

「タイラさんがかつて大食漢やったのは、壱陽の仕業やと思う?」

「直接的か間接的かはさて置き、壱陽陸の極性同意の影響ではあるんちゃう? 知らんけど」

「模範解答やな。花丸つけたるわ」

「おい貴様ら」

 ガスガスに掠れた呪詛のごとく呼びかけがどこからか聞こえてくると、教室はたちまち病室に戻り、我々も探偵に戻った。

「与太すんならさっさ帰れ。こっちは早う済ませてダラけたいんじゃ」

「クダル」

 水戸角が唱える。

「そしたら俺は貴様からもらった名刺をしがみつつ、男前の指から滲み出た皮脂の味を口全体で感じながら射精するもんで」

「クダル」

 俺が唱える。

「やっぱええわ。射精なぞ時間の無駄や。俺はこないして寝転んだままが一番気持ちええんや」

 黒白はベッドを回り込んでこちらに来て、水戸角の脳天にチョップする。

「でっ、何すんの?」

「花丸取り消しや。『怠惰の同意されとる時に色欲の同意かけたらどうなるんかな』とちゃうねん。勉強熱心なのはええけど何でもかんでも試そうとすな」

「別にかちまあさんでもええやん。ウチの黄金の脳細胞になんてこと——————」

「与太は後にしましょう」

 俺は二人に呼び掛ける。おずおずと挙手しつつ。

「いつ病院関係者が来るかも分からない。必要な話だけ聞いたら即退散するべきでは?」

 これを受けて黒白は、「せや、ええこと言うた」と俺を指差し、タイラに向き直る。

「無駄な話しとる場合やないのはこっちもなんですからね? 同じ志を持つ者同士がいがみ合ってなんかええことありますか?」

 訳の分からない因縁をつけ、……ポケットから携帯手帳とボールペンを取り出し、パラパラ捲りつつ、

「ほんまにもう、仲良くやりましょね? そないブスッとしとったら幸せが逃げていきますよ? 引き寄せの法則とかもあるんですからね。……ここでええか」

 リング式の手帳を三百六十度開きにし、メモを取る体勢になり、

「では聞き取り調査の方を再開させていただきます。準備はよろしいですか?」

 タイラ氏は無関心そうに「ああ」とだけ返す。黒白は手帳に何やら書きこんでから、相手の顔を見つつ質問に入る。回答されるごとに書き込みながら。

「大食いチャレンジには以前から参加されていましたか?」

「ああ。高校ン時より前からとちゃうか」

「それは何のために?」

「その時のモチベーションによるとしか言えん」

「件の船に乗るためのチケットは大食いチャレンジの景品として入手したと聞いておりますが、間違いありませんか?」

「ああ。そうや」

「店名は?」

「【ハッピーデイ】っちゅう、……まあ、ラーメン屋にしては軟派な名前の店やな」

「その店で大食いチャレンジをクリアしたら、誰でも沖縄行きの乗船チケットを貰える?」

「誰でも、……誰でもではあるが、凡人には無理やろうな。俺くらい胃下垂でないとまず話にならん。……まあ、胃袋が小さくてもクリアできる方法は、なくもないがな」

「その方法は?」

「自分で考えろ。本来ならチケットの配布店舗すら教えたくなかったんや」

「なぜ?」

「俺が【ツァンティ】に行ける確率が減るからや。……チケットの数は、当たり前やけど有限やからな。ライバルが増えるだけチケットの争奪戦が激化するのは必至や」

「ツァンティとは?」

「それも知らいでか。……お前、ババアからチケット見せられへんかったか? なんや『船底』とかどっか書いてあったやろ。それの読み方がツァンティや。船上中華レストランの名前やな」

「なるほど、記録しておきます。………………ハッピーデイには何度訪れましたか?」

「さあな。十回や二十回で済まんのとちゃうか。……大食いチャレンジ目当てで行ってみたら思いのほかハマってしもうて、船に乗る前の日まで通っとったわ」

「なぜそんなにリピートを? よほど別格に美味しかったとか?」

「いや、しょうみ一口目の感想としては、『こんなもんか』って感じやったな。格段に不味いってわけではなく、かと言ってリピートするほどでもなくって塩梅の、何のことないボチボチのラーメンや思とったんやが、……一杯目を食い終わる頃には、なんでか『もう一杯いきたいな』と思った。で、替え玉注文してからそいつも完食すると、また『もう一杯いきたいな』と思う。なんやシャブでも入っとんのか思いつつ、替え玉に替え玉を重ねて、……そうこうしとる間に、すっかり虜になってもうた。何に惹かれたんかは俺自身も知らんが、とにかく中毒性があったんや」

「他の客は大体どのくらい替え玉していましたか?」

「……俺もな、他の連中がどのくらい中毒ンなっとるか気になってな、こっそり見とった限りでは、……平均で七か八は替え玉しよるな。多くて十何杯とかで、少なくても二杯はしよる。……替え玉しやんかった客は、俺の見た限りでは一人もおらんかったな」

「ふむ、異常ですな。これは極性同意による食欲の強制引き上げか、あるいは本当にシャブが入っとるかのどっちかですわ。……なるほどなるほど」

 黒白は小気味よく手帳に書き記し、水戸角はスマホをいじっている。

 手さばき的に、タイピング。彼女は彼女でメモしているのだろうかとか、云々。

 ……俺は挙手し、ふと気になったことを尋ねてみた。

「あの、……船内にツァンティが入っている沖縄行きフェリーのチケットって、どのくらいのお値段で購入できるんですか?」

 というのも、想定しうる次の展開は、我々三人でハッピーデイに突入し、チャレンジを申し出てチケットをもぎ取るというものだったからだ。……彼岸が言っていたことだ。『あなたに矢鱈滅法食わせたのは、大食いプレイヤーとして一皮剥けて頂くためです』と。……東京から大阪市に向かう道中で、彼女が俺に大食いを要求したのは、このチャレンジに挑戦させて沖縄行きのチケットを獲得させるためだったのだと。……そこまで察しつつ、俺がチケットの値段を尋ねる理由はすなわち、水戸角を思ってのことだった。

 昨日の飲み会の感じを鑑みるに、小食というわけではないだろうが、大食いでは断じてない。……無駄に無理を強要させて、『案の定無理でした』とでもなれば、誰も得しない。だから彼女の分は普通に金銭取引で調達しようと思ったのだが、

「あのチケットは金で買えん」

 というのが、タイラ氏の簡素かつ驚愕の回答だった。

「……は? 大食いチャレンジでしかチケットが入手できないということですか?」

「だけではない。もう一つだけ方法はあるが、……そっちの方は、いわゆる株主優待券ちゅうやつやな。ツァンティに出資しとるスポンサーのうち、期間内の出資額が最も高かった上位の二十三名に乗船チケットが振り出されることになっとる。……が、そっちは数百万とか数千万の世界で、貴様のごとく平民が想像するような『金』では到底足りん。し、もう次の便の出航は間近やから、スポンサーチケットの方は締めきっとるやろうな」

 いずれにせよ、何らかの特典という形でしか入手できないチケットということらしかった。

 いよいよキナ臭いというか、浮世離れしてきた感じがある。……そして、じゃあ水戸角は、今回の計画には不参加になるのだろうか。それか俺と黒白のどちらかが二回クリアするとか?

 いや、それは無理か。それが罷り通るなら誰かとてつもない大食漢がチケットを独占して、それを高額転売するとか出来てしまうものな。……あくまでチャレンジ達成者しか乗船できぬよう、何らかの仕組みがつくられていることだろう。

「なるほど。貴重な情報ありがとうこざいます」と黒白。そして、

「お尋ねしますが、なぜあなたは株主優待チケットの獲得方法を詳細にご存知なのですか?」と。

「……知っとったら何か問題でもあるんか」

「だって不思議やないですか。……タイラさんは美食家でありながら大食漢でもいらっしゃるんやから、大金なぞ払わんと大食いでチケット得ればいいでしょ? 出資者限定チケットだの、その相場だの知ったって意味ないはずやのに」

 一旦区切り、ずいっとタイラ氏の方に上体を傾ける。

「スポンサーチケットが二十三枚だけなんて、そない正確に数字まで覚える必要ありますか?」

「……………………………………」

 タイラ氏は黒白を睨んで、乾いた唇を締めていたが、……しばらくしてから「黙っとるのも面倒やな」と吐き捨て、ガスガスの喉で唱えた。

「今の俺は、見ての通り絶不調やろ。……胃袋だけは伸びたまんまやが、全身の筋肉は衰え、これでは大食いなぞ不可能や。咀嚼にも嚥下にも筋肉は絶対要るからな。……せやから、俺はとにかく病床からスマホで連絡しまくって、今の俺でも乗船チケットを手に入れる術はないかって相談しとったんやが、そん中で知ったのがスポンサーチケットなる存在やった。……まあ、俺がそれを知った時には既に、二十三枚とも割り振り済みやったから、意味はなかったけどな」

「なるほど、それは災難で。……ちなみに、その情報を落とした方とは今もコンタクトを取れますか?」

「ああ、それなら、…………………………………………」

 タイラ氏は、ここでまたも沈黙に移った。

 しかし、今回はさっきよりも短く、それでいて目つきも険しくなりつつ、

「なんで俺がそこまで教えなあかんねん」

 と。

「さっきから妙な気分じゃ。気怠くなったりムラムラしたり、……貴様らが暗示みたいなのをかけるんやろ。ええ? 探偵やのうて催眠術師か? つまりは詐欺師か?」

 と。

 さっきまでの脱力した姿から、徐々に意気を増す。ちょうどそれは、催眠が解けたように。

 水戸角が右手を前に張りだそうとするが、その前腕を黒白が掴む。

「このくらいにしとこか。そろそろタイムリミットや」

 そして立ち上がり、「忘れ物はあらかた回収し終わりましたので、ここいらで失礼します」と一方的に切り上げ、「ほら二人も立って挨拶して」と促される。

 俺と水戸角は形だけの挨拶をしてその場を去る。その間際、

「おい逃げるんか」

 とか、

「逃げられると思うなよ、取れる手段は全部講じる言うたやろが」

 とか怒鳴られたので、嫌な予感はしていたのだが、……病室を出て、「さて非常階段でも探しますかね。どこにあるかな」とか意気込んでいる矢先に、アナウンスが鳴り響いた。

「444号室にお越しの、黒白様、午護様、水戸角様。受付の方までお越しください」

 4が三つ並ぶ部屋など病院にあるはずがない。すなわち「444号室」というキーワードが何らかの暗号であると推測される。例えば、「不審者出現」とか、「対処せよ」とか。

 黒白は舌打ちし、

「面倒事になる前に自分から出頭しますかね。なんて言い訳しよかな」

 後頭部を掻きまわしつつ廊下を早歩きする。

 水戸角は後ろで手を組み、何か思案しつつ黒白について行く。

 俺は安心していた。

 怠惰の状態から元の具合に戻った例を、ようやく目の当たりにすることが出来たから。

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