10 ピロートークの後
道中の会話の流れ。
なぜ黒白に同意は無効だったのか? から始まる。……が、この話題は開始して数分足らずで終わった。
後で本人に聞けばいい話では? となったからだ。
また、それ以外の込み入った話についても、黒白が合流してからにしようとなった。
どの店に入るのかを調べるのが何より先決だったからだ。……何分、俺は東京から来ているし、水戸角もこの付近の土地勘はないとのことだったので(応援で二回だけ訪れた程度)、中々スムーズに決まらなかった。
結局、我々はエキドナから歩いて十分ほど歩いたところにある、古びた商業ビルに挟まれた居酒屋をこそ選ぶことにした。
一階建てのこぢんまりとした、和風の店構え。……中へ入ると奥の座敷に通されたのだが、客は手前のカウンターに二人居るだけで、縦長の座敷の方には俺と水戸角だけだった。
テーブルは左右に三つずつ。左奥の席に案内され、向かい合って座る。
流行りの邦楽なんかがノイズ混じりに流れている。遠くではうっすら人の話し声と、小気味いい調理器具の音、畳の香り。
メニューはとにかくたこ焼き。スタンダードなものから変わり種までなんでもござれだが、それ以外には何もない。枝豆すら。
しかし、いざ熱々のたこ焼きとキンキンに冷えたビールを交互に呷ってみると、火傷寸前に熱される口内が急速に冷やされていく安心感だとか、喉にまとわりつく粉物の塊を炭酸で飲み下していく嚥下の心地よさとか、……実に未体験の楽しみ方だった。
これを体験しに俺は大阪に来たのだなと錯覚しそうになる程である。
これがノンアルコールでなければもっと良かったのだが、まあ仕方ない。……店から出た後の段取りを何も知らない以上、勝手に飲酒するわけにはいかないからだ。
真正面であぐらスタイルの水戸角の、大ジョッキを天地ひっくり返しつつ豪快に飲み下しているのが喉から手だ。……彼女はダンと大ジョッキをテーブルに叩きつけると、愉快そうに瞼で弧を描きつつ、他愛もない話の続きを仕掛ける。
「『洗脳』って字面がそもそも洗脳的やからね。……偏った思想だの信条だのに無理やり漬け込む過程のこと、『洗う』だってさ。世間一般からしたらそんなん、『汚す』でしかあらへんのにな」
俺は返事しない。別の人間に横入りされたからだ。
黒白である。
「おもろそうな話してますな、生来性犯罪者諸君」
水戸角の斜め後ろで式長と並び立ち、ポケットに手を突っ込んで見下す。
わざとらしく抑揚強めの毒舌に、苛立ちに歪んだ笑み。……その理由は隣である。
式長だ。ほのかに顔面を紅潮しつつ、腕を抱えて俯いているのだ。
まだ同意の効能が引いていないのだろう。心なし息も荒い。
すなわち、俺の女に手ェ出しやがってこのアバズレ共が、という苛立ちなのだ。……生来性犯罪者呼ばわりをするのだ。
だが、水戸角も言われたままではない。
「同意の使い手と出くわすかもわからん場所に女連れてくる方が悪いやん。ワレの甲斐性なしをウチのせいにせんで」
「いや、キミのせいでしかないやろ。そっちは生まれながらの犯罪者やねんから」
案の定というか、最悪の雰囲気だ。……いきなりから先が思いやられる。
黒白は歪んだ笑みのまま俺に視線を移す。
「それノンアル?」
「あ、……はい。一応アルコールは入れないようにしてました」
「敬語使うんすね。水戸角にはタメ口利くのに」
水戸角が「早う座ったら? 立ったまま話すつもり?」と急かす。
「タコちゃんをあんたらの隣に座らせたないからって分からんかな? こっちはあんたらが横並びに座り直すの待ってるんやけど」
またひと悶着ありそうな感じだったが、タイミングよく女将さんがヨボヨボと黒白らの注文を伺いに来たので、その間に俺は水戸角の隣に座り直す。
「唯々諾々従うなよ、意気地なしが」
と横合いから肘で軽く突かれる。俺は愛想笑いで場を繋ぐ。
やがて黒白と式長とが対面に座る。右に水戸角、正面に黒白、正面斜め右に式長である。
一番手は黒白だった。片膝を立てて座り、水戸角を睨みつつ笑んで言う。
「アンタらみたく超常的な同意力を持つ人間がのうのうと生きとると、周りの人間が危ない目に遭ってしまうわけやな。……今回の場合は、性欲を同意されて増強させられたタコちゃんの近くに居たのがたまたま俺やったから、そこまで大問題には発展しやんかったわけやど、……これが俺やなしに、見ず知らずのオッサンだったらと思うと、そないケッタクソ悪いことないよな。……訳も分からんまま性欲が異常に昂って、誰でもええから発散させてくれって道行く人に手当たり次第に縋って、ふと我に帰ると誰とも知らん輩の子種が注ぎ込まれていることに気付く。……絶望して死にたくなること請け合いやんな? それがアンタらの性質が為せる業であり、アンタらが駆除されて然るべき理由ってことや。ここまでは分かるかな?」
しかし水戸角にはまるで響かず、ノンビリと応対する。
「ウチらが駆除されるべき対象であることは認めるにしたかて、アンタに駆除される筋合いはあらへん。……おたくらの組織は別に公的機関とかでもあろまいし、死刑以外での殺人はただの犯罪や」
「ん? なんや話が早すぎんかな。俺まだ自己紹介とかも何もしてへんのに、なんである程度こっちの素性とか知った風なんかな。……ねえ、おにーさん?」
黒白はニヤケ面のまま無言で俺を見る。「何か言うことはないのか」と言わんばかりに。
「……俺の方から説明しました。特に口外するなとも命じられていなかったので………………」
「意外と口緩いんすね。……ま、ええわ。想定してたことやし、元から話すつもりでもあったし。手間が省けたってことで」
「予め言うとくけどな、」
水戸角はたこ焼きを挟んだ箸で黒白を指す。
「ウチは午護さんみたいにチョロないわい。……組織の名称から信条から、構成員の人数から活動内容から、納得いくまで説明してくれな協力しちゃらへんからな」
「自信過剰な娘っ子やな。キミを手駒にするも駆除するも俺の一存なわけやけど、もちょっと身の程弁えてくれんかな?」
またまたひと悶着ありそうな感じだったが、例の如くタイミングよく女将さんがヨボヨボと黒白らの注文を盆に乗せて運んで来たので、一旦は途切れる。頭が上がらないばかりである。
黒白はウーロン茶で、式長は瓶のサイダーだった。……水戸角は大ジョッキを飲み干して、ついでにお代わりを要求した。元から酒好きなのか、飲まないとやってられないからなのか。
黒白はジッポでタバコに点火して一服し、「望み通り話したるわ」と。
「ミトちゃんはともかく、おにーさんにはどっかで説明するつもりやったし。……タコちゃんにはちょっと退屈させてまうけど、まあ好きなもん頼んで食べとってや」
「ん、分かった」と、しおらしくお品書きを捲る式長。
「誰がミトちゃんや」とたこ焼きを口に放り込み、むくれ顔になる水戸角。
「まず、ウチらの組織の名義からかな。……『超越会』って名乗ってますわ。何を超越やって感じすけど、それは俺にも分からんので、気になるならボスにでも聞いてください」
黒白による説明が始まる。
「で、これはそのボスの受け売りすけど、……ウチらは組織である以前に同志である。同じ志を持った者らで寄り集まって、それを果たそうとしとるわけっす」
「……同意力の高い人間は、片端から駆除するべきという信条ですか?」
「そうっすね。……相手の感情とか思考に同意するだけで、相手のそういった精神活動を極端に過激化してしまう性質のことを、ウチらは『極性同意』とか呼んでますけど、……その極性同意を持つ『極性者』は一人残らず駆除するべきってのが、超越会の信条ってわけっす」
「極性者…………」
「当事者として、極性者が駆除されるべき理由は分かるっすよね? 迷惑だからですわ。他人様の意思決定に介入して過激にして、奇行に走らせたり死に追い込んだりするような極性者の性質は、本人に悪気があろうとなかろうと、洗脳の自覚があろうとそうでなかろうと、周囲に損害をもたらし続ける。……だから駆除すべき、廃絶するべき。そんだけの単純なポリシーでやらせてもろてるだけですわ」
「駆除ってのはだから、殺すって意味やんな?」
水戸角は頬杖を突いて尋ねる。
「せやけど、それが?」と黒白。ニヤケ面で飄々と返す。
「それがとちゃうわい。なんでそんな横暴が許されるのかって聞いとんねや。国からお墨付き貰うとーわけでもあらへんやろうに、何をそんな堂々と殺害予告だの殺人だの出来んのかって聞いとんねや」
ごもっともな意見ではある。彼ら、……超越会の人間は、どれだけ大層な思想を掲げてみたところで、活動内容は暴力団のそれと遜色ないのである。
だが、その割には堂々としているのだ。……他人の顔にでかでかと傷跡を残しておきながら、それを隠そうという努力の一つもしないのだ。
……そうなると、やはり超越会は、超法規的な組織だったりするのだろうか。
政府から承認を得た、合法的な暴力組織ということなのだろうか。
黒白は煙を吐き、灰を落としてから返事する。
「国からお墨付きを貰ってるわけではない、っていうのは正解。ウチらはあくまで私的に編成された組織や。公的な後ろ盾みたいなもんはない」
「あっそ。ならウチが通報したら超越会は消し飛ぶってことかいや?」
水戸角はスマホを取り出す。緊急通報ボタンを押し、ダイヤル画面が表示される。
「午護さん連れてったら傷害罪としても立件でけるわいなあ。犯罪の証拠が数多や。……ウチら極性者が憎うて堪らんのは分かったけど、怒りに任せて好き放題しすぎとちゃう?」
「…………………………………………」
意外にも、ここで黒白は止まった。
んー。……といった具合に、への字の口になって後頭部を掻き、二本目のタバコに点火する、煙を吐く。
「あんま理解しとらんな、俺の話」
「は? どういう意味?」
「だからさ」と黒白は後頭部を掻き、呆れ混じりに答える。
「もっかい言うけど、超越会の理念は『極性者の完全駆除』なの。……極性者を一人でも多く殺すっていうのが理念であって、その過程で組織が解体しようと構成員が処されようと構わんのや。……解体させられた組織はまた再編すればいいだけやし、減った分の構成員は増やせばいいだけの話やしな。……せやから別に、通報したかったらすればええねん。まあその素振り見せた瞬間に俺はキミの首の骨折って殺すけどな。ご協力頂けへんってことならや」
「上から目線やなぁ。『お願いですから協力してください』やろ? 人にもの頼む態度知らんかいや」
水戸角は、別に虚勢を張っているとかいう風でもなく、ごく自然体でケロッとしている。
黒白は一服の後、真顔で尋ねる。
「キミと俺とでは体格的にも身体能力的にも圧倒的な差があるし、俺相手にはキミの極性同意は通じへんのに、なんでそんな余裕でいられんの?」
「そんなん決まっとるわい。アンタにはウチを殺せん理由があるからや」
水戸角はスマホをテーブルに置き、黒白に一本指を差す。
「一人や」と。
「よくよく考えたら、彼岸が実験体兼鉄砲玉として欲しとった極性者は一人だけなんや。……『我々の手駒の中に、一人くらいは極性者がおってもいい』っていうのが彼岸の意向なんや。せやからその役回りとして囲った牛護さん以外の極性者に関しては、別に問答無用で殺したらええはずやのに、アンタはそれをせん。……ウチという駆除対象に向かって、『殺されるか協力するか』で二択を迫ってきとー。……つまり、アンタにはボスの意向を無視してまで極性者の手駒を増やしたがるような、何らかの個人的な拘りがあることになるはずなんや」
水戸角はたこ焼きを口に放り込み、飲み下し、……唇をペロリと舌で拭って続きに入る。
「で、あくまでウチの経験上やけど、極性者なんて相当レアな存在のはずやから、ここでウチを殺して別の極性者をまた探し出すのも非合理的なわけで、……だからこそアンタは、『死にとうなかったら協力せんかい』ってウチに凄むわけや。極性者を狩る側の人間として、俺様の方が偉いんやぞっていう上から目線は保ちつつ、内心ではウチを迎え入れたくて仕方ないはずなんや。……つまり、ウチに死なれて困るのはアンタの方っちゅうことになるんや」
まあ長々と話したけど、要するにウチが言いたいのは…………、と水戸角。
「ウチを手駒に加える気が少しでもあるなら、」親指で自分を差し、
「その偉そうな態度は今すぐやめて。OK?」人差し指で黒白を差す。
黒白は、
タバコを指で挟んだまま、片膝を立てて座ったまま、……ひたすら無言で水戸角を睨んだ。
流し目で、上下の歯を嚙み合わせて、……テーブル上に犇めくたこ焼きの群れの可愛さと、全くのミスマッチを来していた。
そして、ガパッと両唇を開き、今にも怒声せんばかりの大口になるのだが、……黒白はそのまま、口に手を当ててゴホゴホと咳し始めた。
ただ隣で黙々とたこ焼きを頬張っていた式長が(顔の火照りは収まっている)、箸を置いてその背中を擦りだした。
「絶対むせる思てたわ。かっこつけてタバコなんか吸うから…………」
黒白はなおも咳が続く。水戸角が「かっこつけやったん?」と式長に尋ねる。
「そー。この人童顔やしニヤケがちやから、先輩風吹かせたい時はこうやってタバコ吸うんよ。タバコ吸ってたら威厳が出るからって。……サイダー飲む? まだ半分残ってるけど」
黒白は出涸らしのような咳を最後にしてから、「いや、もっとええのが来たから大丈夫」と。
「お待たせしましたぁ。大ジョッキですぅ」
女将が運んできたのを「はいどうもどうも」と受け取り、そのまま豪快に傾けて飲み始めた。
「ちょっと、それウチの!」
当然、水戸角が机に身を乗り出して猛抗議するが、それでも黒白は止まらない。喉仏を上下して飲み下していく。
そして、景気よく机上にジョッキを打ちつける頃には、実に半分ほどが減ってしまっており、……黒白はそのまま、緩慢な動作で土下座の体勢になると、
「悪かった!」と大声した。
「…………は?」
一堂困惑の中、水戸角が声を漏らす。
俺としても呆気に取られている。……先ほどからしばらく、二人の会話を傍聴するだけの俺だったが、今のやり取りのどこに土下座する要素があったやら不明である。大ジョッキを奪取したことについての謝罪にしては大仰なのだ。
黒白は土下座の姿勢のまま、滔々と語りだした。
「極性者には誰彼構わず横柄に接しろっていうのが超越会の方針なんや。……せやから俺は、タバコとかやって偉そうに振舞ってみたり、キミらに皮肉使ったりして高圧的にしとったけど、……やっぱり俺には耐えられん! 俺は超越会に協力してくれる極性者に対しては、しっかり対等に接したい! ……これから会に迎え入れようと思とる極性者に対しても、横柄な態度でスカウトしたない! いくら相手が極性者やからって、礼節を欠くのは俺の流儀に反する!」
そして一区切りし、
「大ジョッキをかっぱらったことについては謝らん! あれはタコちゃんに同意食らわしたことの意趣返しや! ……ただ、さっきまでの無礼は詫びさせてほしい、この通りや!」
謝罪の全容を吐き終えた。
……なるほど。組織全体の意向と黒白の価値観とで、齟齬があったのだ。
水戸角から言われるまでもなく、彼自身はずっと、俺らと対等に接したかったのだ。
だが、そうすることは会の方針に背くことになるからと、心を鬼にして俺らを邪険に扱ってきたのだ。……仲間と、仲間として迎え入れようとしている者を、ぞんざいに扱ってきたのだ。
そうしていく中で蓄積されてきた申し訳なさが、いよいよ限界に達し。こうして溢れ出したのだ。……まあ、いささか大袈裟な気もするが、俺はそもそも黒白のことを大して知らないのだから、これくらいオーバーなのが彼の平常運転なのかもしれないし、アルコールのせいかもしれないし、……ともかく、彼の謝罪は嘘ではないと思う。式長が極性同意を吹っかけられた件については許していないらしいし、つまり彼なりの拘りに基づいて謝意を表しているのだと考えてよさそうだった………………………………………………。
いつの間にか水戸角が、
席を立って、テーブルを回り、黒白の横にしゃがみ込んでいる。
「顔上げや」と促す右手に、飲みかけの大ジョッキが握られている。
黒白が顔を上げると同時に、水戸角は相手の鼻を摘まんで口を開かせ、洗剤の詰め替えでもするみたく黒白の口内にビールを流し込み始めた。
「ちょっと、私の海老ちゃんに何してんの?」
式長はパートナーが好き放題されているのだから居ても立っても居られず、止めに入ろうとするが、黒白自身がそれを片手で制する。ゴクゴクと嚥下は続けたまま。
「ウチはこれ一杯枯らしとるんや。黒白にもおんなじだけ飲ませんと対等とは言えんやろ」
水戸角は振り向かずに答える。
……まあ、水戸角が黒白に苛立つ理由は枚挙に暇がない。職場を特定されたり、偵察に入られたり、そのことを一切悪びれないどころか横柄な態度で接してきて、挙句の果てに殺害予告までされたのだ。……この程度の仕打ちで済ませているあたり、まだ温厚だろうと思う。
とはいえ、やれ○○ハラスメント問題で日夜物議を醸している昨今とは思えぬ、誰が見ても明白なアルハラの現場だった。……周囲が無人であることをいいことに、やりたい放題だった。
果たして、黒白は完遂した。
最期の一滴まで飲み下してから、咳しつつ四つん這いで、ゼイゼイと呼吸し始めた。
……というか、黒白はドライバーとしての役割を果たすべく、ウーロン茶を注文したのだと思っていたのだが、……自分がアルコールを入れた後の段取りとかを、ちゃんと組んだ上での飲酒なのだろうな? 最初の一口は自分の意思で飲んでいたわけだが。
水戸角はジョッキを机上に置いて立ち上がる。
「とりあえずこれで溜飲下げといちゃるわい。彼女さんの前やし、痴態晒したないやろからね」
黒白は頭を掻き掻き、土下座から正座に居直る。ハの字眉になって、両目を線にする。
「いやあ、すいませんな。気ィ遣わせてもうて。……タコちゃんのおかげやって。よう居ってくれたわ」
「彼女とちゃうけどな。私この人の、」
「あー! よかよか! ……ンなことより、ミトちゃんはどないする? 次も大ジョッキ? でもせっかくたこ焼きなら日本酒とかでも良さそうやけどなぁ」
とか、黒白はあぐらに崩して品書きを捲り始めた。
……彼女じゃなくて嫁、みたいな話なのだろうか。
いや、だったら別に取り乱さないだろうしな。……よく分からない。ここでは回収されない伏線なんだろう。
水戸角も特に言及しない。「日本酒か」と、「日本酒、……日本酒なぁ」とだけ言い残して、足取り歪まず座敷から去っていった。
「……あんまま逃げるとかって魂胆とちゃうよな? まあ別に今日逃げられても、明日明後日に出直しでもええけど」
黒白はニヤケ面で玄関の方を眺める。品書きは閉じて、片膝を立てる。
「そう簡単に追跡できるものですか? ……俺でもない限り、普通の人は自分が命を狙われているって知ったら、県外でも国外でも逃亡しそうなものですけど」
「ああ、その心配はないっすよ」
「……というと?」
「おにーさんとかミトちゃんがどこに行こうと、ウチらが見失うことはないってことっす」
答えになっていない。
なっていないが、……何気に、俺に対しても「逃げても無駄だぞ」と釘を刺している。
……超越会が俺を見失うことはない。捕捉しているとのことだった。
ただ、具体的にどうやって居場所を知るのだろうか。……まさか、監視カメラとかではないよな? ……水戸角とのプレイ内容も監視してましたってことではないよな? それは俺の思考が飛躍し過ぎているだけだよな?
なんだか無性に気恥ずかしくなってきた。耳が熱い。
一方の黒白はたこ焼きを一口つまみ、「ダラダラ喋っとっても冷めへんでええわ。なぁ?」と式長に絡んでいる。「海老ちゃんらは喋るばっかで食べなすぎや」とストレートな指摘が入る。
「お待たせたー」
水戸角は右手に一升瓶と左手にコップ二つとを持ち、顔の横でヒラヒラさせつつ参上した。
「はい、はい、よっこいしょ」と掛け声しつつ、黒白と自分の席とにコップを置き、元の位置に戻る。あぐらになる。
黒白は水戸角に注がれつつ、「徳利とか出されんかったんや?」と尋ねる。
「よう分からなんだから、『コップでいいです』の一点張りしてきたわ。……ま、どうせ一升瓶は空くやろし、なんべんも徳利単位で注文すんのかったるいやろ」
今度は黒白が水戸角のコップに注ぐ。……お互い、ソフトドリンク用と思しき縦長のコップに、なみなみ注いでいる。作法もクソもない。
その最中、式長は席を立ち、
「ちょっとコンビニ行ってくる」と去ってしまった。
黒白は「おー、行ってらっしゃい」と赤ら顔で送り出しているが、……コンビニ。何か少し引っ掛かる感じがする。
引っ掛かるといえば、……水戸角が一升瓶を引っ提げて戻ってきてからの、黒白と水戸角の様子についてもだ。
水戸角の相次ぐ奇行に対して、黒白がノーリアクションなのだ。……黒白が反応したのは、水戸角が一升瓶を提げてきた件についてだけで、……およそ日本酒を飲む用のコップのサイズでないこととか、そのコップになみなみ注がれたことについては無反応だったのだ。……普通ならツッコミが入るはずのタイミングを、二度もスルーしているのだ。
その上で、水戸角にも同じだけの酒を注ぐのだ。……一連のやり取りは、予め示し合わせたかのごとく、淡々と進行しているのだ。
なんだか、二人だけの世界が出来ているような気がする。それもかなり良くない方向で…………………………………………。
「乾杯」
という男女の掛け声に、コップ同士のぶつかる軽やかな響き。俺はハッとする。
黒白と水戸角はコップに口づけ、透明の液体を一気に飲み干しにかかる。水のように。
ほぼ同時に空にし、タンと机上に戻す。深く息をする。
「……何やってんの? 二人して」
俺が尋ねている間にも、彼らの暴走は留まることを知らない。
水戸角は黒白に二杯目をお酌し、……相も変わらず、なみなみと注いでいる。
彼女はお酌しつつ、「乾杯って言うたからには杯を乾かさんと噓やろ」とか余裕ぶって軽口を叩いているが、……上瞼はトロンと下がっており、呼吸も深い。さっきの酔い方よりも目に見えて深刻だった。
人並み程度のアルコール耐性しかないことは明白だ。このペースで飲み続けていたらロクなことにならないに決まっている。
……水戸角は瓶を黒白に渡し、コップを差し出してお酌を受ける。
流石に看過できない。……俺は瓶を取り上げようと手を伸ばしつつ、「悪ノリが過ぎますよ。もうそのへんで…………」と宥めるが、
「止めんでくださいや午護さん」と、黒白から待ったをかけられた。
「これは俺らが対等に話し合うための神聖な儀式なんですわ。止めたら神の裁きに遭いますで」
普段より張り上げた発声で、彼は芝居がかった風にのたまった。
……こちらも顔面が高潮し、目が据わっていた。……人並みの酒耐性なのは黒白もだった。
「そ、対等さね」
そうこうしている間にお酌が完遂する。
水戸角は肘を突き、なみなみに注がれたコップのフチを親指と中指とで摘まんで、人差し指を立てる。
「黒白が望んだことや、ウチと対等に接したいってな。……そやから、黒白はウチとおんなじだけ飲まなあかん。ウチがコップ一杯分の日本酒を空にするんやったら、黒白も押っ取り刀で杯を空けなあかんのや。……そう、そういうルールに決まってん。今回この宴席においてはな……………………………………」
状況を整理する。
まず、事の発端は黒白だ。……彼は極性者である水戸角に対し、初対面から高圧的に接した。……挙句の果てに生来性犯罪者呼ばわりまでし、当然、水戸角はいい気がしない。
しかし会話が進むにつれ、黒白のそういった彼女に対する無礼は全て超越会の意向であって、彼の意思ではないのだと明らかになる。……黒白は、相手が極性者だろうと関係なく、協力者としてスカウトするつもりの相手には対等に接するべきだと考えており、……だから、水戸角に対して上から目線で偉そうにしていたのは、全く本意ではなかったのだと言うのだ。
そして、黒白は今まで水戸角にしてきた無礼を土下座して詫びるのだが、……その後の展開を鑑みるに、水戸角は黒白のことをまるで許していないらしかった。
日本酒を瓶ごと持ってきたのは水戸角。
ソフトドリンク用のコップを提げてきたのも水戸角。
グラスに日本酒をなみなみ注いだのは水戸角の方からで、
「同じだけのアルコールを摂取しないと対等じゃない」と言い出したのも水戸角だ。
……度数の高い酒をガブガブ飲めてしまう環境づくりと、水戸角が飲み続けるは限り黒白も飲み続けなくてはならないというルール設定。
要するに、自分もろとも黒白を酔い潰させてやろうという魂胆なのだった。……彼女自身が別に酒豪でもなんでもないあたり、捨て身の特攻には違いないのだが、……身体能力的に劣り、極性同意も利かない黒白に対して意地悪するには、もうこの手しかないということなのだろう。
……そこをいくと、式長が「コンビニに行く」と出ていったのは、……これより始まる壮絶な潰し合いに際して、諸々の物資を調達しに出かけたのかもしれない。
ウコンとかゴミ袋とかだ。……なんだか、大学の頃の無茶な飲み会を想起して、早くも具合が悪くなる俺である。
なお、俺がこうやって思考の世界に耽っている間にも、両者はグラスを半分減らしている。何やら景気よく話し合いながら。
行く末が地獄だと分かっていても、俺はもう止める気がない。……水戸角は二十六、黒白は知らないが大学生って歳でもないだろう。
酔うのも酔い潰れるのも当人の自己責任ということだ。……後はまあ、激動の一日間で疲弊していたのもあって、酒飲み二人組を宥めきる余力がなかった。
ただ、疲弊にかまけてボーっとしている場合でもなかった。
というのも、水戸角と黒白が会話しているのは、超越会や同意のことについてだったからだ。……仮にも構成員であるはずの俺が知らないような情報が、ポンポン出ていたからだ。
俺はこの会話を記憶しておかなくてはならない。
それは自分のためでもあるし、……後日、水戸角に共有する可能性も踏まえてのことだった。
このペースで飲み進めていけば、十中八九が記憶を飛ばすに決まっている。気が確かな人間がテープレコーダー代わりになる必要があるのだった。
そして、記録した内容を整理したものが以下である。
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