41、グイードの末路と父上の陞爵

 私は父と共にゴンドラに揺られて王宮へ向かっていた。夕闇が迫る街のそこかしこから、ディナーの用意だろうか、オリーブオイルの香りが漂ってくる。


 お父様はまず私の新しい婚約に祝いの言葉を述べてくれた。それから安堵の吐息を漏らした。


「リラのはたらきに免じて、陛下はクリスの愚行にも目をつむって下さるそうだ」


「陛下はなんとお心の広い方なのでしょう。私を王家に迎えて下さるだけで驚いておりましたのに」


 行く手に見える壮麗な大理石の橋は夕暮れの名残を受けて、淡いオレンジ色に輝いている。アーチの下を行き来する商人たちから明るい舟歌が聴こえてきて、私はこの街を愛していたことに気が付いた。生まれ育った愛する街で、愛する人と暮らせる喜びを、私は嚙みしめていた。


「確かに陛下のとりなしは寛容だ。アルベルト殿下が説得してくださったゆえでもあるのだが」


 両岸にそびえる建物パラッツォから漏れる灯りが水面みなもにゆらめくのを見つめながら、お父様は声をひそめた。


「セグレート家が捜索に力を入れているせいで、エルヴィーラ嬢の出奔はすでに噂になっている。婚約者不在となった今、王家が何を発表するのか興味津々の者たちが、午前中から宮殿前につめかけているんだ」


「つまり私は王家にとって、ちょうどよい婚約者候補だったと?」


「リラは年若い娘でありながら、王家に多大な貢献をしたのだ。王太子の婚約者として、国民も貴族も納得せざるを得ないだろう」


 確かに国民への挨拶前夜に王太子の婚約者が逃げたとなれば、王家の面目は丸つぶれだ。そこに現れた最大の功労者である私の存在は、人々の関心をそらすのにちょうどよいというわけね。


 納得する私の横で苦笑する父の顔には、またクマが出ている。


「お父様、昨夜はお眠りになっていないのでは――」


「いや、仮眠はとっておるから大丈夫だ。わしが寝ている間に部下たちがグイードを尋問して、すべて吐かせたのだよ」


 言葉を止めたお父様の表情が苦しそうに歪んだ。


「優しいリラにつらい話をせねばならん。お前の元婚約者だったグイードだが、殿下と乱闘になった際、致命傷を負っていた」


 刺したのは私ですけれどね。


「弱っていたところを騎士団に拷問されて、命を落としてしまった」


 逝ってもらうつもりで刺したのだが、私は一応、眉尻を下げた。


「グイードの証言があってこそ事件は解決したのです。尊い犠牲ですわ」


「お前の言う通りだが、グイードもあわれなものだ」


 運河を渡る冷たい風に、父は紋章入りマントの前を合わせて暮れゆく空を見上げた。


「手柄を立てて父親に認められようと、焦っていたらしい」


 深い皺が刻まれたお父様の目元には、私と同い年である若者への慈愛と同情が浮かんでいた。


「賭け事を覚えたきっかけも、手下となる者たちと親交を深めるためだったようだ。密会に賭博場を使っていたからな」


「手下というのは昨夜の三人のような?」


「うむ。あの男たちはバンキエーリ家が手配した人間だったそうだ」


 パメラの生家が出てきて、私はハッとした。


「やはりブライデン公爵家とバンキエーリ男爵家にはつながりがあったのですね?」


「ああ、高利貸しから成り上がったバンキエーリ家は裏社会とつながっていた」


 大建国祭初日に王宮へ忍び込んだ賊が、バンキエーリ商会から依頼された仕事だと話したのも、決して妄言ではなかったのだ。


「今朝ブライデン公爵邸から押収した資料を精査すれば明らかになるだろうが、毒薬の入手などにもバンキエーリ家が関わっていると、騎士団では見ている」


 グイードとパメラの婚約がすんなり認められた理由がよく分かった。


 公爵自身は現在、王宮内に移されて軟禁状態にあるそうだ。罪が確定次第、処刑されるという。


「さすが、騎士団の手際は鮮やかですわね」


 感心する私に、お父様は腕を組んだ。


「アルベルト殿下の助言が的確だったのだ。不思議なことに殿下は、公爵の手記や帳簿書類など証拠品の場所をすべてご存知だった。おかげであっという間に押収品がそろったのだよ」


 父は首をひねった。


「殿下は独自にスパイを送り込んでおられたのだろうか」


 本人がスパイだったのよ!


 私が事実を明かす前にゴンドラは宮殿の船着き場に到着した。私と父は色大理石の柱が立ち並ぶ美しい広間を通り抜け、謁見の間へと案内された。


 正面の玉座に国王陛下夫妻が座り、その横には王太子然としたきらびやかな服に身を包んだアルが立っている。いつもはブルネットの髪を無造作に束ねているだけなのに、今日は銀髪のかつらをかぶっているせいで、別人のような気品が漂っている。


 純白の聖歌隊服に身を包んだ彼も素敵だと思っていたけれど、威厳さえ漂わせる立ち姿に、私の目は釘付けになった。


 アルの方も、豪華なドレス姿の私に目を見開き、それから嬉しそうにほほ笑んだ。


 精悍な面差しの国王陛下は、私たち親子をあたたかく歓迎してくださった。儀礼的な挨拶が終わると、国王陛下が父にお声をかけた。


「王家に十年来の安寧をもたらした、プリマヴェーラ騎士団長の献身的な働きを称え、侯爵位を授けたい」


「はっ」


 陞爵を告げられた父は跪き、こうべをたれた。


「このような栄誉をいただけるとは身に余る光栄です。今後も陛下と民のためにより一層尽力する所存であります!」


 父の迫力ある声が、謁見の間に響いた。その背中は幼いころから私が憧れ続けた堂々たる父の姿だった。


「よろしい。プリマヴェーラ侯爵にはブライデン公爵家が所有していた軍艦製造会社の株を与えよう」


「陛下のご厚情に、ただただ感謝の念に堪えません。侯爵の称号に恥じぬよう、さらに精進してまいります」


 父の言葉に満足そうにうなずいた陛下が、私を見下ろし、柔和な笑みを浮かべた。


「リラ・プリマヴェーラ侯爵令嬢、そちのおかげでようやく弟の長年の罪をあばくことができた」


 陛下の貫禄あるまなざしが、ふとどこか遠くを見つめた。


「弟は今でこそ立派な貴族としての振る舞いを身に着けているが、子供の頃の本性はずるがしこく、己の利益のためならば手段を選ばないたちだった」


 陛下は証拠がなくてもブライデン公を疑っていたから、頑なに彼の継承順位を繰り上げなかったのだろう。


「わが弟ながら情けない」


 陛下の声には怒りより悲しみがにじんでいた。どう答えるべきか逡巡する私に、陛下は鷹揚な笑みを向けた。


「そちは強く賢く勇気にあふれた令嬢だ。王家への忠誠心に厚く、高い志を持ったそちこそ未来の王妃にふさわしい」


 どうやら陛下はアルベルト殿下の創作話を徹頭徹尾、信じていらっしゃるようだ。


「すでに宮殿前の広場には王都民がつめかけておる。ぜひわが息子アルベルトと共に、そちの麗しい姿を民に見せてやってほしい」


 陛下の言葉が合図となって、私たちは謁見の間からバルコニーへ出ることとなった。


 王都民は私を王太子妃として認めてくれるだろうか?




─ * ─




次回、パメラの末路も判明します!

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