21、パメラの生家、バンキエーリ男爵家の疑惑

「それでジルベルト殿下がお亡くなりになっていたという噂が――」


 私は心を落ち着けようと努めながら、冷静に考えて質問した。


「寝たきりだったという話は嘘で、王宮のほかの場所にいらっしゃったのでは?」


 もしくは仮面で顔を隠して、秘密を知る数少ない侍従を連れて、大建国祭を楽しんでいたとしても不思議ではない。しかしクリス兄様は声をひそめた。


「ベッドにはうっすら埃が積もっていたらしい」


 お兄様は順を追って、事件の様子を説明してくれた。


 王宮の使用人に変装した犯人は、テラスから窓伝いにジルベルト殿下の寝室まで移動し、バルコニーから室内へ侵入したという。だが見慣れぬ使用人を怪しんで、テラスまで尾行していた近衛兵が異変に気付いて、賊だと叫んだ。


 ジルベルト殿下の寝室前にはつねに近衛兵が立っていた。彼らは扉を蹴破って室内に駆け込み、賊はその場で取り押さえられた。


 だが近衛兵たちは、からっぽの寝台を見てしまった。賊がベッドカーテンを開け放った後だったのだ。サイドテーブルに置かれたランプに照らし出された豪奢な寝台には、うっすらと埃が積もっており、人が寝ていた形跡はなかった。


 王宮に勤める者たちの対応は早く、敷地内を巡回していた騎士団へも瞬時に連絡が届いた。騎士団員に近衛兵、さらには複数の使用人までが部屋になだれ込んだため、ジルベルト殿下が少なくとも数ヵ月はベッドを使っていないという事実が、明るみに出てしまったのだ。


「副団長様のお考えでは、陛下が解決を急いでいるからこそ、首謀者側も焦って行動を起こしたということなのね?」


「そうなんだ。つまり騎士団の動きが敵に漏れているってことだけどね。まあ人数の多い組織だし、諜報員が紛れ込むのも不可能ではないな」


 クリス兄様は他人事のようにつぶやいた。


 窓の下の運河を、楽団を乗せた舟が通り過ぎてゆく。楽しげなヴァイオリンの音色が遠ざかるのを聴きながら、私は祭りの雰囲気にそぐわない質問をした。


「賊はジルベルト殿下を暗殺するために忍び込んだのですか?」


「本人の自供では、王位継承権にふさわしい王子かどうか、確かめに入っただけだと」


「ジルベルト殿下の寝室の場所を知っていたのよね?」 


「依頼主であるバンキエーリ商会の担当者に教えられたと言うんだ」


 バンキエーリ商会はパメラの生家であるバンキエーリ男爵家が出資している。


 兄の口からバンキエーリの名前が飛び出して、私の心臓は跳ね上がった。昨日、自分がしでかしたことを思い出したからだ。パメラは父親であるバンキエーリ男爵に私の所業を訴えているかも知れない。新興男爵家が、歴史あるわが伯爵家に楯突くことはないと信じたいが――


「騎士団で調べたところ、男が言っていた担当者はバンキエーリ商会に存在しなかったんだ。商会側も一切の関わりを否定している」


 続きを話すお兄様の言葉で、私は現実に引き戻された。


「賊が適当にバンキエーリの名を出しただけなの?」


「だが捕らえられた男とバンキエーリ商会の間に関係がなかったわけじゃない。騎士団の調査で、王都の商人である男が、バンキエーリ商会から事業用資金を借りていたのは事実だと判明している」


 男は事業に失敗して首が回らなくなったそうだ。商会の担当者に相談したところ、危険な仕事を引き受ければ借金を帳消しにすると言われた――というのが男の主張らしい。


「男が嘘をついているのか、バンキエーリ商会が隠し事をしているのか、それとも第三者がバンキエーリ商会をかたったのか。父上が今、部下と共にバンキエーリ商会を家宅捜索しているところだよ」


 騎士団に踏み込まれては、令嬢同士の諍いなどかすんでしまうだろう。私はこっそり安堵しながらつぶやいた。


「バンキエーリ家が王家を狙って何か利益があるとは思えませんものね」


 私は自分の言葉にハッとした。バンキエーリ家に利益がないとしても、例えばブライデン公爵家から依頼されて動いていたとしたら? 両家の間には秘密のつながりがあったから、公爵は息子がパメラ・バンキエーリ男爵令嬢と婚約するのを止められなかった、なんてことはないかしら?


 だが私が飛躍した推理を口に出す前に、クリス兄様が肩をすくめた。


「バンキエーリ商会は方々に恨みをかっているから、騎士団もバンキエーリ家が誰かに陥れられた可能性を考えているよ」


 バンキエーリ商会は厳しい取り立てを行うせいで敵が多い。顧客の中には首の回らなくなった貴族も含まれる。


 だが私にとって一番気になるのは、第二王子ジルベルト殿下が生きていらっしゃるのかどうかだ。第三王子アルベルト殿下が生きていたとはっきりした今、毒殺事件自体、本当に起きたことなのか疑わしい。


 しかも毒殺事件が起きたとき、離宮に滞在していたお子様は王子殿下たちだけではない。ブライデン公爵の息子であるグイードも十年前はまだ七歳。同じ毒薬入りストローを使っていた可能性がある。その彼が現在ピンピンしている以上、毒薬事件が狂言だった可能性も濃厚だ。


「第二王子殿下はお元気なのかしら」


 ぽつりと漏らした私のつぶやきに、お兄様は椅子の背にもたれながら答えた。


「王宮から何も正式な発表がないんだ。たとえば寒い冬の間はあたたかい外国で過ごしているとか、空気の綺麗な湖畔の離宮で療養しているとか、なんとでも言えるだろうに」


 クリス兄様の指摘は的を射ている。第二王子が生きているなら、根も葉もない噂など否定すればよいだけだ。それをしないから王都民は余計に勘ぐってしまう。


 暗殺者から身を守るため、第三王子アルベルト殿下の存命も隠していた陛下なのだ。ジルベルト殿下もどこかで身を隠している可能性が高い。


 だがお兄様はまるで反対のことを口にした。


「大きい声では言えないが、ご逝去されているんだろうなあ。だがそれなら、王位継承権はブライデン公爵に移るんだから、なぜそれを発表して王都民を落ち着かせないのか、分からないんだよ」


 アルベルト殿下の生存を知っている私は、言葉を返すことができない。


 私は幼い頃、アルベルト殿下の葬列を見たのを覚えている。葬儀すら行われていないジルベルト殿下のほうが亡くなっているなんて、あり得るのかしら?


 黙りこくった私の前で、腕を組んだクリス兄様は一人で推理を繰り広げていた。


「陛下は王都民の口さがない噂を気にしていらっしゃるのか? 騎士団の仕事で何度かお会いしたブライデン公は立派な方だというのに残念だよ」


 兄の書斎机に向き合った私は、椅子に座ったまま固まっていた。


 私の頭が、兄には絶対に打ち明けられない疑問にたどり着いたからだ。


 王太子の馬車襲撃事件に恐れを為した陛下が毒殺事件をでっち上げて、第二王子と第三王子を隠したと考えたら――


 アルベルト殿下の命を守るために彼を教会に隠したのだ。世継ぎを作らなければならない唯一の王子を去勢するはずはない――!




─ * ─




ようやくに気が付いたか、リラ。しかし気付いたとて彼に質問できるのかな!? 乞うご期待!

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