20、逃亡の期限はわずか四日後

 甘い夢が現実となって迫ってきて、心の準備が整っていなかったことに気付かされた。彼を誘ったエージェントが、大建国祭が終わったらブリタンニアへ帰ってしまうから? いいえ、それよりも――


「ブリタンニア王国で次のお仕事が決まっているの?」


「いや、エージェントは俺の都合を優先してくれて構わないと言っている」


 確かアルは一度ブリタンニア行きを断ったと話していた。エージェントがかの地での仕事を入れるはずはないと、私は思い直した。


「だが問題はほかにあるんだ」


 周囲を気にして声をひそめる彼のうしろで、また花火が上がる。赤い火の粉に照らされながら、彼は耳打ちした。


「大建国祭最終日の翌日、俺は二十歳になる。そうしたら国民の前に姿を現すと、以前から父上が決めているんだ」


 父上――つまり国王陛下がお決めになったこと。私は息を呑んだ。


「教会に身を隠したのは俺が子供だったから。父上も側近たちも、すぐに首謀者がつかまると考えていたが、解決しないまま何年も過ぎてしまった。いつまでも仮の生活を続けるわけにはいかない」


 私の頭の中で鍵が鍵穴に刺さり、カチャリと音を立てた。父上が陛下から、今年の大建国祭が終わるまでに事件を解決するよう命じられていた理由が、ようやく分かった。アルカンジェロがアルベルト殿下として再び姿を現す前に、国王陛下は危険を取り除きたかったのだ。


 そしてアルが危険を冒してブライデン公爵邸にお雇い歌手として忍び込んでいたのも、正体を明かす期限が迫っていたからなのだ。


 アルは記憶の底から苦い思い出がよみがえるのか、瞳に暗い色を浮かべた。


「宮殿に戻されたら抜け出すのは困難だ。子供の頃みたいな護衛に囲まれるんだから」


「その前に、二人でブリタンニア王国へ旅立つのね」


 私の声は想像以上に硬かった。大建国祭は五日間しかない。現在すでに一日目の夜を迎えている。


「四日後、私はアルと――」


 決意を固めようと口に出した言葉は、思いもかけない叫び声にさえぎられた。


「賊だー!」


 宮殿のテラスから近衛兵らしき人影が大声を張り上げ、続いて悲鳴が聞こえてきた。


「なんだっ!?」


 アルが私を守るように再び強く抱きしめる。


「ジルベルト殿下のお部屋に怪しい者が――」


 誰かが必死で叫んでいるが、再び夜空を彩った花火の爆音にかき消されてしまった。


「騎士団に通報を――」


 私が立ち上がろうとしたとき、塀の向こうが騒がしくなる。


 石畳を駆ける大勢の靴音が聞こえて、中庭の入り口に騎士団が姿を現した!


「急げ!」


 聞こえてきた勇ましい声はお父様だ。先頭を走る姿を見つめる私の頭上に、再び花火が打ちあがった。


 夜空に咲く大輪の花が中庭を真昼のように照らし出した瞬間、父と目が合った気がした――




 翌朝、いつもより遅く起きた私は、自室に運ばれてきたホットチョコレートを飲みながら、侍女マリアに髪を梳かされていた。


「父上はご在宅?」


 不安を押し殺してマリアに尋ねる。昨夜、花火に照らされた瞬間、私はアルカンジェロに抱きしめられたままだった。父は私だと気が付いただろうか?


「いいえ。旦那様は昨夜からお戻りになっておりません」


 仕事が立て込んでいると、父は騎士団寄宿舎内にある団長室に泊まり込む。


「昨夜、王宮に怪しい者が忍び込んだせい?」


「おそらくは」


 口の堅いマリアが多くを語らない代わりに、ベッドを直していた侍女が、


「寝たきりだと言われていた第二王子ジルベルト殿下が、お亡くなりになっていたんですって?」


 聞き捨てならない発言をした。


「なんですって?」


 私は思わず彼女を振り返る。城下の噂話は、朝一番に食料品を納入する出入り業者からもたらされ、厨房の使用人から侍女へとまたたく間に広がるのだ。


「お嬢様、前を向いてください」


 マリアは指先で私の頭の向きを戻しながら、若い侍女を静かにしかった。


「お嬢様にいい加減な話を吹き込まないで、あなたは手を動かしなさい」


 マリアの前で侍女から話を聞き出すのは難しい。私は香り豊かな白葡萄をつまみながら、髪を結ってくれているマリアに尋ねた。


「お兄様は戻っているかしら?」


「書斎にいらっしゃるかと」


 予想通りクリス兄様は帰宅していた。兄は将来の騎士団長となるべく、現在は「騎士団長補佐」というよく分からない役職について、父の仕事を学んでいる。父の部下にはベテランの副団長がいるから、兄には大した仕事もないらしく、毎日しっかり帰ってくる。


 果物とホットチョコレートだけの簡単な朝食を済ますと、私は兄の書斎に向かった。


 大きな窓から降りそそぐ午前の陽射しを背に受けて、兄は珍しく神妙な顔つきをしていた。ガラス戸は閉まっているものの、祭りに浮かれる人々の楽しそうな声が聞こえてくる。


「昨夜、王宮に何者かが侵入したと伺いましたが――」


 私の質問に兄は、ジュストコールの袖口からのぞくシャツのレースを整えながら答えた。


「祭りに乗じて忍び込んだ賊は、騎士団が駆けつけたときにはすでに、宮殿の使用人たちによって取り押さえられていた。祝祭期間が終わったら処刑されるらしい。今は地下牢につながれているよ」


 事件はすでに解決したようだ。だがそれなら、なぜお兄様は難しい顔をしているの?


「お父様はまだ帰って来ないのでしょうか?」


 私の問いに顔を上げたクリス兄様は、悩ましげに眉根を寄せた。


「父上は、十年前の王族暗殺事件の続きだと考えているようだ」


 兄の言葉に私は思わず息を呑んだ。彼は大きな書斎机に両肘を乗せ、組んだ手の上にあごを置いた。


「副団長が言うには、陛下が父上に、今年の大建国祭中に事件を解決しろと急がせていたことと、昨日の事件には関係があるんじゃないかって。賊が侵入したのは宝物庫や金庫室ではないんだ」


 クリス兄様の眉間には、さらに深いしわが刻まれた。


「ジルベルト殿下の寝室なんだよ」


「それで、第二王子殿下は――」


「起き上がれないほど具合が悪いと言われていた殿下のベッドには、誰も寝ていなかった――寝ていた形跡さえなかったんだ」




─ * ─




新たな事件が勃発。犯人がどんな人物なのかは次回、分かります!

リラはアルと抱き合っているところを父上に見られてしまったのか? こちらは少しあとで判明します!

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