18、仮面舞踏会と驚愕の告白

 夕闇が迫るころ、私とアルカンジェロは宮殿の大広間へやって来た。美しい絹の壁には金箔の額縁に収められた絵画がいくつも並び、金の装飾に囲まれた天井画からは、色ガラスで飾られたシャンデリアが下がっている。


 磨き上げられた大理石の床が壁の燭台とシャンデリアを反射する、壮麗な宝石箱のような空間で、アルカンジェロは私の手を取った。


「踊りましょう」


 仮面の奥からのぞく情熱的な瞳に魅せられて、私は熱に浮かされたようにうなずいた。


 仮装した宮廷楽師たちが華やかなジーグを奏で始める。快活な八分の六拍子に合わせて、ヴァイオリニストの弓が花から花へと飛び移る蝶のように跳ねた。


 広間に集まった人々は楽しげに踊り回る。誰もが仮面をつけ、色とりどりの衣装に身を包んでいた。音楽に合わせて羽根飾りが揺れ、絹のマントがひるがえる。まるでおとぎ話の中へ迷い込んだようだ。


 アルカンジェロのあたたかい手のひらが私の指先を支え、熱い視線を交わし合う。


 言葉はいらない。二人で踊れば呼吸が重なるから。


 木管フルートがたおやかな音色で、小鳥たちのさえずりを模倣する。


 愛するアルとなら、私も鳥になって羽ばたける。


 リズミカルなチェンバロの音色が私の心を勇気づけ、感情豊かに歌い上げるヴァイオリンが、想いのままに生きて良いのだと教えてくれる。


 アルと過ごした夢のような一日を振り返りながら、私は彼の頼もしい腕に抱かれて踊った。


 彼の体温に包まれて、泣き出したい気持ちで願う。この時間が永遠に続けばよいのに、と。


 かつて彼は貧しい両親と、報酬に目がくらんだ外科医に尊厳を奪われたかもしれない。


 でも今の彼は力強く、自由に人生を歩んでいる。私はそんな彼の隣で生きていきたい。


 天使となった彼と二人、このしがらみだらけの世界を抜け出して、空高く羽ばたいて行くの――


 音楽が止まっても私たちが夢から醒めることはなかった。


 仮装した男女が連れ立って王宮の中庭に消えてゆく。仮面は彼らの素性を隠し、交わすまなざしには秘密の輝きが宿っている。広い中庭の草陰で、彼らは月明かりから身を隠す。それゆえに、貴族でも庶民でも、大建国祭中に身ごもる娘が後を絶たない。だが生まれた子供はロムルス神から授けられたとされる。


 音楽が再開し、私たちもまた踊り出す。


 メヌエット、ガヴォット、サラバンドと様々なリズムの舞曲を踊るうち、汗ばんできた。


「中庭に出て涼みましょうか」


 ちょうど喉が渇いてきた頃、アルカンジェロが提案した。


「それがいいわ」


 二人連れ立って壁際を歩きながら広間を見渡すと、中央でお母様とチョッチョが堂々と踊っているのが見えた。


 廊下に出る前に振り返ると、壁際で見覚えのある空色のドレスを着た大きな令嬢が、小柄な小姓と踊っている。女装したクリス兄様と、男装したエルヴィーラ様に違いない。


 今夜は愛し合う秘密の恋人たちが、いつまでも踊り明かせる夢の夜なのだ。


 私たちは控室へ寄って発泡白葡萄酒プロセッコの注がれたグラスをいただいてから、中庭へ出た。


 見上げると、ふっくらとしたお月様が紺色の空に浮かんでいる。上弦の月を過ぎ、満月へ向けて成長してゆく淡い曲線は、夜の秘密を解き明かそうとしているかのよう。何かが起こりそうな期待感に誘われて、私たちは影の衣をまとった柱廊から抜け出した。


「向こうのベンチがあいているようですね」


 アルカンジェロが剪定された生垣の奥を指さした。


 庭のあちこちに配された篝火かがりびが、優しい橙色の光で花々を浮かび上がらせる。甘い香りを運ぶ夜風が汗ばんだ首すじを撫でた。


「夜になるとまだ冷えますね」


 アルが緋色のマントで私を包んでくれる。


 音もなく揺らぐ篝火が石畳に映し出す幻想的な影を踏んで、鉢植えや樹木の間を歩く。私たちはひとつの影になって、彫像の隣に据えられたベンチに腰を下ろした。


「ロムルス神をたたえて」


 アルカンジェロは手にしたグラスを掲げた。


 私も大建国祭お決まりのセリフを口にする。


「ロムルツィア王国よ、永遠なれ」


 私たちは寄り添ったまま乾杯してプロセッコを飲み干した。さわやかな酸味と微炭酸がほてった体に心地よい。


「素晴らしい一日だったわ」


 発泡酒の優しい酔いが心をほぐして、私はホッとしたようにほほ笑んだ。


「俺もリラお嬢様と踊れて幸せです」


 グラスをベンチに置いたアルが私の肩を抱いた。 抱きしめられるまま、私は彼の厚い胸板に頬を寄せる。


「あなたとずっと踊っていたいわ。大建国祭が終わっても」


 彼はうつむくように私を見下ろした。ふと見上げた私の額を、彼の唇がさらった。


 彼は顔の上半分を覆っていた仮面を持ち上げ、小さな声で尋ねた。


「本当に?」


 彼の瞳は篝火の炎を映して、不安そうに揺れていた。


 私は結い上げた髪の上に仮面を乗せ、


「本当よ。離れたくない」


 両手で彼の白い衣をつかんだ。


「ずっと一緒にいたいの」


 アルは大きな手のひらで私の髪を優しく撫でながら、ささやくように歌い出した。


「どこまでも続く青の果てに

 光り輝く太陽を求めて

 君の手を取り飛び立ちたい」


 月明りに照らし出された彼の美貌を見つめたまま、私は答えて歌った。


「空高く舞い上がって

 海を越える渡り鳥のように

 君と共に旅立ちたい」


 彼が私をさらに強く抱きしめた。


「俺と一緒にブリタンニア王国へ行ってくれるかい?」


 私は彼の胸に顔をうずめたまま、何度も首を縦に振った。


「君に不自由な暮らしはさせないと誓うよ」


 アルは私の肩に両手を置き、じっと瞳を見つめた。


「ブリタンニアから来たエージェントが提示した金額は高額だ。お嬢様には今まで通り、貴族のような暮らしをしていただけます」


 彼の宣言に、私は少し笑いながら首を振った。


「私だって働くわ。中流階級のお嬢さんの家庭教師になるのよ」


 ブリタンニア王国では貴族位を持たない市民階級が豊かになり、高い教養を求めるようになったそうだ。私が今まで伯爵令嬢として学んできた知識やマナーが役立つはずだ。


 アルカンジェロは指の甲で私の頬を撫でた。


「なんと心の強い方だ。でも俺は、あなたを家族から引き離すと思うと胸が痛むのです」


 彼の美しいかんばせが苦しげにゆがんだ。


 私は彼を安心させるように、笑って見せた。


「私の心残りは、十年前の第三王子毒殺事件を解決できなかったことくらいよ」


「それも騎士団長である父上のためでしょう? リラお嬢様は本当に家族思いの優しい方だ」


 彼の言葉に私は少し戸惑った。お父様の役に立ちたい気持ちが全くないわけじゃない。だけど本当は――


「アルベルト殿下の仇を討ちたかったのよ」


「王家への忠誠心だったとは。貴族連中の噂通り、リラ様は誠実な方だ」


 まだ誤解しているアルに、私は首を振った。彼は私の躾けられた真面目さを肯定的に受け止めてくれる。でもありのままの私を知ってほしい。


「私、子供の頃にアルベルト殿下とお会いしているの。本当に偶然なんだけど、言葉を交わす機会があって、彼の優しさと美しさをずっと忘れられなかった」


 幼い恋心を打ち明ける恥ずかしさを乗り越えて、私は告白した。事件の首謀者を明らかにできないならせめて、気持ちに区切りをつけたかった。


 私はアルの視線を避けるようにうつむいたまま言葉を続ける。


「有りていに言えば、初恋だったのだと思うわ」


 アルは何も言わなかった。沈黙が落ちると、そこかしこからささやきあう男女の声が聞こえてくる。話の内容までは分からないが、声をひそめて笑いあっている。


「リラ、聞いてほしい」


 ふいに、アルカンジェロが硬い声を出した。


 驚いて顔を上げると、夜の中で彼の瞳は黒曜石のように輝いて見えた。


「俺が、アルベルトなんだ」




─ * ─




アルカンジェロからついに驚きの告白が。リラの答えは?


ここまでお読みくださりありがとうございます!

多くの方にレビューを書いていただき、感激しています。


次回からは第三幕となります。続きが気になるという方は★評価で応援いただけると嬉しいです!

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