04、彼から秘密を打ち明けてもらうには?

 アルカンジェロ・ディベッラは、何者かがブライデン家に送り込んだ密偵なのだ!


 直感したのは私自身がブライデン公爵邸に入り込んで、過去の記録を調べたいと考えていたからだ。


 暴漢を雇って馬車を襲わせたり、毒薬を調達したりといった悪行に関する秘密の帳簿が残っているかも知れない。


 現在、証拠は何も出ていないのだ。人々の間に黒い噂が立っているだけ。その根拠も、三人の王子を亡き者にすれば、次期国王はブライデン公爵だからという単純なものだ。


 国王陛下は騎士団長である父に事件解決を命じている。だが父は、王弟であるブライデン公爵をみだりに疑って、公爵邸に潜入調査をすることなどできない。


「この手帳――」


 私が手を伸ばしたのと同時に、侍女のマリアが戻ってきた。


「お嬢様、お水をお持ちしました」


 私がグラスを受け取っているあいだに、アルカンジェロは素早く手帳を拾い上げ、ウエストコートのポケットに入れてしまった。


 手帳の内容について尋ねたいが、侍女の前で話してもらえるとは思えない。


 私は冷えた水を一気に飲み干し、


「もう一杯持ってきてくださらない? 彼の分もお願いするわ」


 マリアを再び部屋から追い出した。


「具合はよろしいのですか?」


 カウチの足元にひざまずいたまま、アルカンジェロは何事もなかったかのように尋ねた。


 私は彼の瞳をひたと見据える。


「十年前の王族暗殺事件について調べているのね?」


 小さな部屋に沈黙が落ちた。暖炉の火がパチパチとはぜる音にまざって、夜の暗い運河が冷たい手のひらで、公爵邸の外壁を打つ音がかすかに聞こえる。


 私は彼を見下ろしたまま目をそらさなかった。嘘をついても無駄だと察したのか、彼は困ったようにほほ笑んだ。


「よくお分かりですね」


「ブライデン公爵家お抱えのあなたが、一体なぜ?」


 声をひそめて尋ねるも、彼は肩をすくめただけだった。話すつもりがないのなら、こちらから当てるまで。


「あなたは大聖堂聖歌隊のソリストでもあるわね?」


 この質問には、


「ええ」


 彼は素直に答えた。


 大聖堂の最高位は大教主様。国王陛下の叔父にあたる方だ。


「あなたは大教主様のめいを受けて、密偵として送り込まれているの?」


「そんな感じです」


 アルカンジェロは窓の方に視線を向けたままだ。


 私と目を合わせようとしないのは、何かを隠しているからじゃないかしら?


 ブライデン公爵家と親戚になる計画が絶たれてしまい、私は落胆していた。でもアルカンジェロは、私が目論もくろんでいたことをすでに実行していた人物かもしれない!


 相手から話を引き出すには自分の秘密を打ち明けるのが一番だ。


 マリアはすぐに戻って来るだろう。いや、その前にお兄様が様子を見に来るかも。


 迷っている時間はない。未婚の令嬢に自由はないのだ。今この機会をのがしたら、次いつこの歌手と言葉を交わせるか分からない。


 私は意を決して口をひらいた。


「私も同じなのよ」


 はじかれたように、アルカンジェロが私の顔を見た。


 興味を示した彼の反応に手ごたえを感じつつ、私はたたみかける。


「陛下から事件解決を命じられたお父様のために、私はブライデン公爵家に出入りできる立場が欲しくて、グイード様との婚約を喜んでお受けしたの。でも今はその道も絶たれてしまった」


 同情を誘って彼を仲間に引き入れる作戦よ!


 だが彼は眉を曇らせた。


「お嬢様がスパイのようなことをなさるなんて危険ではありませんか?」


「私を誰だと思っているの? 鬼の騎士団長の娘、リラ・プリマヴェーラよ。父の役に――いいえ、この国の役に立ちたいの」


 私は彼の端正な顔に唇を寄せ、声をひそめた。


「世間の噂通り、十年前の暗殺計画をくわだてたのが本当にブライデン公なら、必ずその罪を暴かなくてはいけないわ」


 私たちの視線はしっかりと絡み合った。壁の中央では暖炉の炎が激しく燃え上がる。


「ですがブライデン公は――」


 彼が口をひらいたとき、


「リラお嬢様」


 侍女マリアの硬い声が響いた。


 部屋に入ってきた彼女はアルカンジェロにつかつかと歩み寄り、グラスを突き付けた。


「お嬢様のご様子はわたくしが見ますので、あなたはお仕事にお戻りください」


 グラスを受け取ったアルカンジェロは素直に従って、


「では失礼いたします」


 礼儀正しく声をかけると、部屋から出て行ってしまった。


 ああ、もう、あとちょっとだったのに! 彼は何を話そうとしたのかしら?


「お嬢様、ご気分はよろしいのですか?」


 マリアの声には棘がある。彼女の仕事は私の身の回りの世話だけでなく、変な虫がつかないように監視する役目も含まれる。


「随分とよくなりましてよ」


 私はつんと窓の方を向いた。燭台に火を灯したせいで、もう運河に映る月影は見えなかった。冷たいガラス窓には、プラチナブロンドの髪を高く結い上げた私が、意志を秘めた薄紫の瞳で見つめる姿が映っていた。




 翌日になっても私は、昨夜のことを悶々と考え続けていた。もちろん、あのアルト歌手に私の秘密を打ち明け損となった件だ。アルカンジェロと出会ったおかげで、婚約破棄という悲劇はかすんでいた。


 わが伯爵邸の音楽室で、蓋を開けた鍵盤楽器チェンバロを前にして座っていても、ちっとも弾く気にならない。


 音楽室の窓際はガーデンルームになっていて、その向こうには中庭が見える。だが今日は朝からあいにくの雨が降りしきり、三月に入ったというのに真冬のように寒い。


 あたたかい季節には中庭で茶会をひらき、音楽室からチェンバロを運び出して、軽やかなメロディをお供に甘いお菓子を味わうのだ。だが雨にけむる中庭では常緑樹の葉もくすんで見える。


 演奏する気分になれない私は、T字型の調律鍵でチェンバロのチューニングを始めた。


 雨音に閉じ込められた部屋で、オクターブの響きに集中していると、少しだけ心が落ち着いてくる。


 アルカンジェロにもう一度会って、彼が何をどこまで突き止めたのか尋ねたい。


 大聖堂のミサにあずかれば彼に会うことは可能だ。でもどうすれば二人きりで秘密の話ができるだろう?


 めぐる思索を破ったのは、廊下を走ってくる足音だった。


 厳格なお父様にしつけられた伯爵邸の使用人たちは、廊下を走らない。そんな愚か者はただ一人。


「遅刻、遅刻ー!」


 想像した通りのソプラノが聞こえてきて、私はこめかみを押さえた。


 大きな音を立てて音楽室の扉が開け放たれた。肩で息をしているのは、オレンジ色に脱色した髪を結いあげ、楽譜をくわえた町娘――に見える男だった。

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