3.熱狂的なファンが発見されました

ホールに揃った使用人たちは一斉に、行ってらっしゃいませ、という言葉とともに頭を下げた。


「ありがとう。平日は寄宿舎で生活することになるからあまり会えないけれど、身体には気をつけて頑張って頂戴。では、行ってまいります。」


雪弦は踵を返し、ドアマンの開いた両開きのドアから外に出た。


「アリソン・ウィルソン、おはよう。今日も良い朝ね。そしてあなたの名前も、今日も変わらず良い響きね。」


「お嬢様、おはようございます。僕の名前は、ユーモアセンス溢れる両親が韻を踏んだ名前を、と付けたんですから響きが良いのは当然です。」


車に乗り込んだ彼女は、運転手と恒例の挨拶を交わす。


「出発しますよ。東京院に向かえばでよろしいですね?」


「えぇ、勿論。」


朝日に輝く黒塗りのリムジンは、日本の首都の道へと滑り出していった。


 ◇◇◇◇◇


軽快な足音を響かせ、雪弦はプロムナードを進む。


「おはようございます。」


校舎に入り、フロントの女性に声をかける。


「おはようございます。本日はどのようなご用向きでしょうか?」


「本日から東京中等院に編入することになっている、リュディヴィーヌ・エリノア・ジークリット・近衛・雪弦・ランディクアロリスです。」


雪弦がそう告げると、女性は呆気にとられたような顔を一瞬見せた。


「すみません、予想していたよりもずっと日本語が上手かったので。キャンベラ中等院からの転入生ですよね?」


「えぇ、そうです。」


「担当の教師が来るまで時間がかかるので、こちらでお待ちください。」


雪弦は言われた通り、フロントのソファに座った。数分経った後、女性が近づいてきた。


「あの。呼び方は近衛さん、でいいですよね?」


「はい。日本では基本的に近衛雪弦このえ ゆづるで通すつもりですので。」


「申し訳ないのですが、近衛さんが入る予定のクラスの担任教師から、問題が発生したため10分程待ってもらうように、と連絡が来ました。」


「わかりました。教えて頂き、ありがとうございます。」


雪弦は相変わらずの淡々とした態度で首肯した。


「——あの。」


「はい、何の用でしょう?」


雪弦は、何やら口ごもっている女性に再び目を向ける。


「近衛さんは、“世界一有名な天才少女”、リュヴィー・バッセルフォードさんでは?」


「世界一云々については否定しますが、わたくしは確かにリュヴィー・バッセルフォードとして芸能界に身を置かせてもらっています。」


「やっぱりそうですか!」


ぱっと彼女は表情を明るくする。


「わたし、近藤美音こんどう みおんといいます。リュヴィーさんのデビュー時からのファンなんです。」


「そうですか。ありがとうございます。」


「この前発表された映画、“ホワイト・カレンダー”のイリーナ・クゼヤノフ役も、素晴らしかったです。特に、『金の亡者、死に急ぐ者、狂人しかいないこの終わりの近い世界で、あなたは唯一まともだった。唯一の救いだったの。だから、お願い。生きて、わたしたちの理想郷を火星に作って。いつか、生まれ変わって会える日まで、——さようなら。』ってところ、ほんとに14歳か、と思うほど哀愁とともに色気が溢れていて。主役、と言ってもいいほど印象に残る役でした。」


食い気味の発言に、雪弦は視線を彷徨わせた。が、すぐに優美な笑みを小さく浮かべ、口を開いた。


「ありがとう。色気は流石に言いすぎだと思いますが、あのシーンは監督にも手放しで絶賛されたんですよ。あなたにもそう言ってもらえて、嬉しいです。」


「インタビューで、イリーナ役は難しかった、とリュヴィーさんもリヒャート・キーン監督も口をそろえて言っていたじゃないですか。難しいって、どのくらいだったんですか?」


雪弦は、ほっそりとしたあごに手をあてた。数秒の思考の末、口を開く。


「3番目です。一番難しかったのが、もうすぐ発表される“holy pirates”の主役、クラウディア・マレ・フォッシェンド。2番目は“ネリー”で、エリノアの妹、フラヴィア・ファーザリー。その次ですね。」


「どの役も演技には見えないくらい上手くて、いつも尊敬していました。―――あっ!」


「どうしました?」


突然声を上げた美音を、雪弦は訝しげに見つめた。


「実物に会えた嬉しさのあまり、忘れていました。さ、サイン、もらってもいいですか?って、今、写真も何も持ってないんだ……。」


雪弦は、ズーン、と音がしそうなほど落ち込んだ美音に呆れを含んだ声で話す。


「あなたは、ここの受付なのでしょう?またいつでも会えますから、次の機会ですね。」


「は、はい!」


美音は目尻に歓喜の涙を浮かべながら、首をブンブンと縦に振った。


「——で?話は終わりましたか?受付に誰も居ないのはよろしいのでしょうか?お答え頂いても、本日の受付担当、近藤美音さん?」


ブリザードのような声が、美音の背後から聞こえてきた。彼女は、ピシリ、とその場に硬直した。


雪弦は、先程からその人物に気づいていたのだろう。ほとんどわからないほどではあるが、苦笑をもらした。


「はい、よろしくないです。大変申し訳ございませんでした!」


「素直でよろしい。——学園長に見つかったら、減給になるからな。注意しろよ。」


どうやら、素の口調はこちららしい。


「で、編入生は、君ですか?」


「はい。リュディヴィーヌ・E・S・近衛・雪弦・ランディクアロリスです。これからよろしくお願いします。」


佐々木文宣ささき ふみのりです。こちらこそよろしく。初っ端から遅れて、悪かった。」


彼は申し訳無さそうな顔をする。


「いいえ。先生にも事情はあるのでしょうし、近藤さんとも話せましたので。」


雪弦は、ニッコリと微笑んで返す。


「そう言ってもらえるとありがたい。——予定より遅くなってしまったな。教室に向かっても?」


「勿論です。近藤さん、それでは失礼します。また会いましょうね。」


「はい!」


美音は、キラキラとした瞳で元気に返事をする。それを見届け、雪弦と文宣は教室の方に足を向けた。

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