娘がツンデレなんてありえない

畝澄ヒナ

娘がツンデレなんてありえない

結婚して二年、俺たちの間に子供ができた。ずっと欲しかった女の子、名前は優。俺の名前、優介と、彼女の名前、優菜から取って、優しい子に育つようにと願いを込めてつけた名前だ。


 出産にはもちろん立ち会い、俺は彼女の手を握りながら見守った。そして室内に産声が響いた時、俺は思わず泣いてしまった。


「もう、なんで優介が泣いてるの?」


「だって、だってさあ」


 鼻水を啜りながら生まれたばかりの優を抱いた。なんならもう優より泣いていたと思う。


 そこから二年間、彼女は育休をとって育児に専念していた。その代わりに俺は会社員として仕事を続けた。彼女と優のためなら残業だって苦ではなかった。


 二年が経ち、彼女は看護の仕事に復帰した。今度は逆に俺が育休をとり、優の世話をすることになった。それで今、彼女の大変さや凄さを実感しているところだ。


「優、お散歩行こうか」


「いや」


 最近こんなことばかりだ。パパ、ママ、と呼んでくれて、歩けるようにもなって、可愛くて仕方がないのだが、多分これは『イヤイヤ期』というものに突入している。


「さっきあんなに楽しみにしてたろ?」


「いーやー!」


 はあ、どうすればいいんだ。優菜、助けてくれ。


 そんな怒涛な日々を過ごすこと一年。優は三歳になり、物心というものがついてきたように思う。きりっとした目元が優菜に似ている、と俺が言うと、逆に彼女は、ふにゃっとした笑顔があなたに似ている、と嬉しそうに言っていた。


「優ちゃーん、おいでー」


「優、こっちだこっち」


 彼女と俺、どっちに優が来るか、一度はやりたくなる夫婦恒例の真剣勝負だ。


「ママー!」


「さすが優ちゃん、わかってるわねー」


 現実は時に残酷だ。勝負は一瞬で決着がついた。一年間俺の方が一緒にいる時間が長かったはずなのに。


「優ちゃん、ほら、パパは?」


「いや」


 彼女が抱っこした優をこちらに向けるが、優はそっぽを向いてしまった。


「なんでパパじゃだめなんだよお」


 俺はだだ、好感度の差を実感して嘆くことしかできなかった。


 もうお互い仕事にも復帰し、優は保育園へと通わせていた。迎えは基本交代制で、何かあったときは職場が近い俺が迎えに行っていた。


「優ちゃん、お父さん来たよ」


 保育園の先生に連れられてやってくる優は、毎回俺の手を無言で握る。だけど今日は、なんだか表情が暗い。


「優、どうした、元気ない?」


「なんでもないの、早くお家帰るの!」


 優は強く手を引っ張って帰ろうとする。一体どうしたんだ。


 それを見た先生が俺に声をかけた。


「お父さん、あの、優ちゃん、今日男の子とけんかしたんです。それで突き飛ばされて、幸い怪我はなかったのですが、私の注意不足で、本当に申し訳ありません」


 先生は深く頭を下げた。優は俯いたままだ。


「大丈夫ですよ。先生もお忙しいでしょうし、怪我がないならそれでいいですから」


 俺は軽く会釈して、優と保育園を後にした。


「どうしてパパに言わなかったんだ?」


 優は何も言わない。


「別に怒らないから、話しても……」


「パパじゃ、いや!」


 嫌、と言うだけでそれ以上は何も話してくれなかった。これが『イヤイヤ期』というものなのか。


 俺は心の中で落ち込みながら、優と手を繋いで帰った。




「優菜、俺嫌われてんのかな」


「急にどうしたの」


 優を寝かしつけた後、俺は彼女に相談していた。


「全然甘えてこないしさ、イヤイヤってことあるごとに言われるしさ、ちゃんとパパやれてんのかなって」


 彼女はくすっと笑い、俺の手を握る。


「あなた、気づいてないのね」


「え?」


「優ちゃん、言ってたよ」


 今日の出来事の真実を、俺は彼女から聞く。


「パパが大好きで、心配かけるのが嫌だから、言いたくなかったんだって」


 彼女の言葉に、俺の心は撃ち抜かれた。


「ゆ、優が、本当にそんなこと言ってたのか?」


「優は照れ屋さんなのよ」


 照れ屋というかあれは……また別のものように思える。


「うーん、そうなのかあ」


「大丈夫! あんまり疑ってると本当に嫌われちゃうわよ」


「そ、それだけは……!」


 直接『大好き』だなんて、言われたことはない。どうやら本音を話すのは彼女にだけのようだった。


 そこから数年、優は小学生になった。


「優、学校楽しいか?」


「んー、別に普通だよー」


 優は絵本を読みながら、俺の質問に適当に答える。


「も、もっと他にないのか? ほら、お友達のこととか」


「パパ、優、絵本読んでるから邪魔しないで」


 ばっさり言われてしまった。これが成長というものなのか。


「わかった……」


 保育園の時から悪化しているように思える、このとげのある態度。相変わらず、俺だけには甘えてこない。もう少し俺に優しくしてくれてもいいのになあ。


 またまた数年経ち、優は中学生になった。


「ママ! パパの服と一緒に洗わないでって言ったじゃん!」


「そんなのパパが可哀想じゃない」


 これが噂の『思春期』か。彼女と優の会話を盗み聞きしていた俺は、聞かなければよかったと後悔した。


 そんな年の、バレンタイン一週間前。


 今年もキッチンから甘い匂いが漂っていた。毎年バレンタインは彼女と優が手作りチョコをくれていて、今回も当然のように楽しみにしていた。でもなぜか、作っている姿を見るのは禁止、と優に釘を刺されている。


 保育園の頃は「見ないでー!」だったのが、小学生の頃は「あっち行って!」と言われ、今に至っては「近づかないで!」と、だんだん言葉がきつくなっているのが辛くてしょうがない。


 待ちに待ったバレンタイン当日。


「え、パパの分なんてないけど」


 ショックというか、俺の中で何かが崩れた。


 優はそう言ったが、俺は待ち続けた。一日中、会社にいる時も、夕食の時も、風呂に入っている時も、そして寝る準備をするこの瞬間まで!


 でも、優が俺に話しかけてくることはなかった。


「あなた、大丈夫? 顔色悪いけど」


「優が、優があ……」


 彼女が俺を心配して声をかけてきたが、それどころではない。


「拗ねてるの? 本当に優のこと大好きなのねえ」


 なんだか不公平だ。やっぱり俺は嫌われているのだろうか。


「パパ」


 顔を上げると、彼女の隣に優が立っていた。


「ママは洗い物洗い物っと」


 彼女は何かを察してキッチンへと行ってしまった。優が俺を見下げている。


「ど、どうしたんだ? もう寝る時間じゃ……」


「これあげる」


 恥ずかしそうに渡してきたのは、きちんと包装された手作りチョコだった。


「パパの分、作ってくれてたのか……!」


 俺は思わず涙目になる。男がこんなことで泣いてはいられない、と必死に引っ込める。


「べ、別に余っただけだから! あと、うじうじしててキモかったから! じゃあ、おやすみ!」


「あ、優!」


 優は自分の部屋へと、階段を駆け上がって行ってしまった。


 なんだろう、この温かい感覚は。今まで冷たいとげのある態度ばかりだったけど、この一回で全てチャラになった。


「あら、チョコもらえたのね」


 洗い物を終えた彼女が戻ってきた。


「なんかもう、俺死んでもいいわ」


「全く、大袈裟なんだから」


 そういえば昔にも似たようなことがあった。俺たちが高校の時、まだただのクラスメイトだった時だ。




「木立くん」


「み、皆川さん? 俺に何か用?」


 バレンタインの放課後、義理チョコさえもらえなかった俺に、突如後ろから声をかけてきた当時の彼女は、恥ずかしそうに何かを差し出した。


「これ、あげる」


 それは綺麗に包装されたチョコだった。見た感じ手作りのようだ。


「俺のために……?」


「勘違いしないでよね。義理チョコだから」


 そう言って、長いツインテールを派手に揺らしながら、彼女は走って行ってしまった。




「優菜に似てる」


 俺は思い出し笑いをしながら、彼女を見つめる。


 今の彼女は肩まで伸びた髪をおろし、落ち着いた雰囲気を放っている。そして、今の優はツインテールだ。


「えー? そうかしらあ」


「高校の時の優菜にそっくりだよ」


 彼女は、俺が高校の話題を出すと、すぐに赤面する。


「あ、あの頃の話は恥ずかしいからやめてよお」


 こういうところはまだ学生の時の感覚が抜けてないようだ。


 雰囲気が変わっても、俺の妻は相変わらず可愛い。


 三年後、優は高校生になり、卒業の日がやってきた。


「もう優も大人になるのか」


「早いわねえ」


「パパは卒業式来なくていいから」


 優はまた俺に冷たい言葉を吐く。でも、その言葉には続きがあった。


「ま、まあ、見えないところにいるなら別だけど?」


 ますますあの頃の彼女に似ている気がする。これは俗に言う、あれだろうか。


 卒業式、彼女は優から見える位置に堂々と座り、俺は後ろの方の席で目立たないように座っていた。


 優が入場してくる。俺は手を振るが、当然気づかない。いや、無視しているだけかもしれない。


 高校の卒業証書授与は代表者が行う。代表者が受け取るのを待っている間、優が背筋を伸ばし、姿勢良く座っているのを見ていると、成長したんだなと実感が湧く。


 卒業式が終わり、生徒は教室へ、保護者は多目的室へと案内された。


 そこには生徒一人一人の保護者に向けた手紙が置いてあった。俺と彼女は手紙を開く。


「ママ、パパ、ここまで優を育ててくれてありがとう」


 もうこの文章だけで泣いてしまいそうだ。


「ママは料理が上手で、毎日美味しいご飯や可愛いお弁当を作ってくれたよね」


 彼女はもうすでに泣いていた。


「パパは毎日会社に行って、優たちのためにお金を稼いでくれたよね」


 俺の時だけなんか違う。


「悩んでいたときはいつもママが話を聞いてくれて、とても嬉しかったよ」


 なんか俺の思い出少なくないか?


「もちろん、パパも役に立ったことあったよね」


 手紙の中でも俺はなぜか雑な扱いだ。でも最後の文で、優は本当に優しい子に育ったんだと確信した。


「いつもは素直になれないけど、ママ、パパ、ずっと大好きだよ。優より」


 もう俺たちは文章が見えないほど泣いていた。


 それはもう、周りが引くほどだ。


「優は恥ずかしがり屋さんねえ」


 彼女は鼻を啜りながら手紙の文面を読み返していた。


 そうだ、思い出した。


「いや、『ツンデレ』だな、これは」


 まさか、俺の娘がツンデレなんて、ありえないと思っていたのにな。


 俺たちはこれからも幸せな家庭を築いていくだろう。

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娘がツンデレなんてありえない 畝澄ヒナ @hina_hosumi

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