第8話 酔っ払い
こともあろうに保安警察官の家に忍び込むとは・・・ナツカはそんな大胆な相手の正体を確かめようとした。
「両手を上げてゆっくりこっちを向くのよ!」
一方、沙羅は何とか心を鎮めようとしていた。
(この感じでは相手は強盗よ。多分、後ろから銃を突きつけている。こんな時は抵抗しても無駄・・・)
沙羅は両手を上げて後ろを向いた。
(撃たれないで!)
と思いながら・・・。するとそこにいたのは女性の保安警察官であり、沙羅を見て意外な反応をした。
「あっ! ユリさん! ユリさんじゃありませんか!」
その保安警察官は身構えた腕を下し、うれしそうに沙羅の手を握った。沙羅は訳が分からなかった。いきなり家に入って来て後ろから脅すわ、自分の顔を見た途端、急に懐かしい人に会った感じになっているわ・・・・。
(この人は誰?)
それと同時にこうも思った。
(ユリ? もしかしてこの人も間違えている?)
ダイも沙羅に初めて会った時、そう呼んだ。
(やはり私とそっくりだった、あの写真の女の人がユリ?)
そうなら目の前にいる保安警察官の行動にも合点がいく。
「ユリさん。わかりませんか? ナツカです。班長の部下の」
「あっ、そうそう。ナツカさん・・・ね」
沙羅は知ったかぶりをしなければならなかった。
「いつ以来ですかね。最後にお会いしたのは確か婚約パーティーの時でしたか?」
「ええと・・・。まあ、座って。何から話そうかな・・・」
沙羅に勧められてナツカは椅子に腰かけた。彼女は完全に沙羅をユリと思い込んでいる。沙羅は何とかごまかそうと考えた。だがユリとかいう人になり切るには無理がある。彼女のことを何も知らないのだ。ユリはさらに聞いてくる。
「今までどうしたのです? ずっといなくなって」
「私・・・覚えていなくて・・・思い出せなくて・・・」
沙羅はとっさにそう答えた。ナツカは驚いて聞き直した。
「えっ! 覚えていない?」
「え、ええ。どうも記憶喪失みたいなの」
沙羅はそう嘘をついた。
「そうでしたか。それは大変でしたね」
ナツカはあっさり信じてくれたようだった。
「ええ、まだ思い出せないの。でもここにいたら少しは思い出せるだろうって」
「班長がそう言われたのですね。わかりました。我々もお手伝いします」
ナツカは沙羅に同情しているようだった。
「私のことを教えてくれますか? 私の名前と年は?」
「ええ。あなたはナミヤ・ユリさんです。年齢はええと・・・あれから3年経つから28歳ですね」
「仕事とか、知っています?」
「モーツェイカの奏者です」
沙羅は聞きなれない言葉を聞いた。
「モーツェイカって何?」
「そんなことも忘れてしまったのですか? かわいそうに・・・。モーツェイカは伝統的な横笛です。美しい音色を出すのです。その演奏をする仕事をなさっていたのです。班長もお上手でその縁で知り合われたとか・・・」
ナツカは詳しく教えてくれた。
「私はダイと結婚していたの?」
「いえ、結婚式を挙げる前でした。ずっと婚約されていて結婚が決まり、荷物を家に入れて準備が整っていたのです。そんな時、あなたが急にいなくなったとか」
「私が姿を消したの?」
「はい。班長はその理由もわからず、方々をお探しになりました。栄転の話も断ってずっとここにおられるのです。あなたを待っておられたのでしょう」
ナツカはしみじみと話した。
(私とそっくりなユリさんはダイにとってそんな人だったのね。だからあまり話したがらなかった)
沙羅はそう思った。
「とにかくよかった。あなたが戻って来られたのだから。多分、あなたの記憶が戻らないから我々にも秘密にしていたのでしょう」
「そうなのですね」
「それからユリさん。怖がらせるようで申し訳ありませんが、最近、別の世界から来た者が紛れ込んでいるようなのです。目的はわかりませんが、きっとこの世界を破壊しに来ているに違いありません。不審な者に気を付けてください」
ナツカの話を聞いて沙羅はドキッとした。自分がその別の世界から来た者であるのだから・・・。だが沙羅はできるだけ平静を装って言った。
「そうね、気を付けるわ」
「班長ももうすぐ戻ってこられるでしょう・・・」
ナツカがそう言ったとき、玄関のドアが開く音がした。
「班長が帰ってこられたみたいですね」
ナツカが椅子から立ち上がった。そこにダイがキッチンに入ってきた。沙羅に何か言おうとしたが、ナツカがいるのに気付いて急に話しかけるのをやめた。
「班長。お邪魔しています」
「ナツカ。どうしてここにいる?」
「お留守なのに誰かいる気配がいて。不審者かと思って、失礼ながら上がり込んで確かめようとしました。そしたらユリさんじゃありませんか! 班長も人が悪い。ユリさんが戻ってこられていたのならおっしゃってくださればいいのに」
「あ、ああ。すまんな・・・」
ダイはそれだけしか言えなかった。ナツカが沙羅をユリと間違えているのはわかったが・・・。そこで沙羅が説明した。
「ナツカさん。いきなり家に来られたの。私、記憶喪失になっているでしょう。よくわからなくて・・・。でもナツカさんからいろいろと聞いたわ」
そう言われてダイは今の状況が少し理解できた。
「班長。ユリさんが大変な時ですからそばにいてあげてください。では私はこれで失礼します」
「ナツカ。このことは誰にも・・・」
ダイが言いかけたがすぐにナツカが遮った。
「班長。遠慮なさらず、もしお困りのことがありましたら言ってください。みんながお助けしますから」
ナツカはそう言って帰って行った。ダイは困った顔をしてため息をついた。沙羅がここにいるのが多くの人に知られてしまうと・・・。
「ごめんなさい。こんなことになって・・・」
「君のせいじゃない。しかし困ったな・・・」
「私、ナツカさんからユリさんのことをいろいろ聞いたの。だからユリさんのフリをするわ。そうしたら怪しまれないわ」
「そうだな・・・」
それしかごまかす方法はないように思われた。ダイはふと机の上を見た。そこにはかじった野菜が置かれていた。
「君。この野菜を食べたのか?」
「え、ええ。お腹がすいてね。残りのパンだけでは足りなかったから。でもこの野菜おいしかったわ」
「そうか。でもよく生で食えたな。調理しないとまずいはずだが、よほど飢えていたんだな」
ダイが冗談めかしてそう言うと沙羅がぷうっとふくれた。
「卑しいみたいに言わないでよ。日頃はもっといいものを食べているのよ!」
「そうかい。そうはみえないけどな。ははは」
「ひどい。はははは」
沙羅はここに来て初めて大きな声で笑うことできた。ダイも一仕事終えて気が緩んでいたからそんな冗談が言えたのかもしれない。
「とにかく食事にするか。俺も腹が減ったし」
「私もまたお腹がすいたわ」
すると玄関から呼ぶ声が聞こえた。
「班長さん! ニシミです」
また隣の奥さんが来たようだった。
「ちょっと待っていて」
ダイは玄関に行ってドアを開けた。するとそこにはニシミと近所の奥さんたちが手に袋を下げて立っていた。
「班長さん。婚約者のユリさんが戻ってきたんだって」
ニシミが言った。ナツカが奥さんたちにつかまってしゃべってしまったようだ。
「え、ええ。やっと戻ってきたのです」
ダイが答えると奥さんたちはうれしそうに口々に彼に言った。
「よかったわね」
「お祝いしなくちゃ」
「みんなで料理を持ってきたのよ」
「ねえ、ユリさんに会わせて」
ダイは困った。沙羅をこの奥さんたちの中に放り込んだら、すぐにボロが出てしまうのではないかと。
「ええと・・・ユリは記憶喪失で・・・」
そう言いかけた時、沙羅が出てきた。
「皆さん。また会えてうれしいです。さあ、上がってください」
「ああ、やっぱりユリさんね。よかった。じゃあ、みんなでお祝いしましょう」
ニシミを先頭に奥さんたちは家に上がって行った。ダイは止めることもできずに見ているしかなかった。彼は沙羅のそばに行って小さな声で聞いた。
「大丈夫なのか?」
「いつまでも奥さんたちを止められないでしょ。任せておいて。うまくごまかすから」
奥さんたちは持ち寄ったごちそうをテーブルに並べた。お腹がすいていた沙羅はそれを見て歓喜の声を上げた。
「おいしそう!」
「そうでしょう。みんなが腕によりをかけて作ったのよ」
「さあ、いただきましょう!」
「それより乾杯よ!」
ニシミが瓶を取り出した。中には琥珀色の液体が入っていた。
「さあ、どうぞ!」
みんなのコップに注いでいった。においをかぐと何かいい香りがしている。
「さあ! 乾杯!」
「乾杯!」
沙羅は恐る恐る口をつけてみた。それはお酒のようであったが飲んだことがない味がした。ただ口当たりはよく、後味もすっきりしていた。
「やはりニシミの酒ね。すばらしいわ。私にはまねできない味だわ」
「この日のために作って寝かせていたのよ」
「今度、コツを教えてね」
奥さんたちが話していた。これはニシミが自分で作った酒のようだった。ここでは個人で酒を造るようだと沙羅は思った。それにしても後ひく飲み口で沙羅は飲み干してしまった。
「おいしいわ。いくらでも飲める」
「そうでしょう! さあ、いって!」
ニシミは空になった沙羅のコップに酒を注いでいった。それをまたぐいっと飲むと気分が高揚してきた。
「楽しいわ! 楽しくなってきた!」
「そうでしょう! さあ、もう1杯!」
酔いの回った沙羅は奥さんたちとしゃべっていた。
「ここにはおいしいものがいっぱい!」
「そうでしょう。これはヤマンドを焼いたもの、これは・・・」
「聞いたことがないわ。で・・・でもおいしい!」
「ドンドン食べて。カスミは料理がお得意なのよ」
「いや、ここは幸せ!」
沙羅はすっかり酔っぱらっていた。それを奥さんたちが面白そうに見ていた。
「すっかりでき上っているわね」
「ええ。まるで人が変わったみたい。あんなに明るくなって」
「ユリさん。よほどうれしいのね」
そう話す奥さんたちもかなり酔っぱらっていた。この酒はかなり強いようだ。
「さあ、班長さんも。ぐっといってください!」
「は、はあ・・・」
ダイは酔っぱらった奥さんたちの迫力に押されていた。だが沙羅はその上を行っていた。
「さあ、ダイも飲んで! 飲んで!」
沙羅はダイの肩をつかんで揺らしていた。そして彼に絡んでくる。
「私はわからないことだらけよ。もっといろいろ教えてよ!」
「ああ、そうだな」
「それならもっと優しくしなさいよ! 冷たいわよ! こんなにいい女なのに」
「わかったよ。気を付けるよ」
ダイは苦笑しながら沙羅の相手をしていた。奥さんたちはその様子を面白そうに見ていた。
(酔っぱらっても余計なことはしゃべっていないから大丈夫そうだ。だが近所に彼女が家にいることがばれてしまった。このままユリとして押し通せるか・・・)
ダイの不安とは裏腹に目の前の沙羅は楽しそうに酔っぱらっていた。
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